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屋久島喫茶日記 育児編

自家焙煎珈琲と古書の店「一湊珈琲焙煎所」

一湊川は誰のものか

2010-08-06 12:56:12 | 屋久島喫茶日記
「嶽詣り」の対象になる山は、一部の例外を除き、集落ごとに異なります。
多くの恵みをもたらし、ときに奪う、ありがたくも怖ろしい川の来し方。

険しい山々を抱え、平地の少ないこの島では、河口にできたわずかな平地に、人が暮らしてきました。
集落ごとの行き来は困難で、方言も食べものも、顔立ちまでも、集落によって異なります。
一湊をふるさとと呼ぶ私にとって、私の海といえば一湊湾、浜といえば河口の一つ浜、山といえば自分を取り囲む名前があったりなかったりする山、川といえば一湊川なのです。

ここでいう「私の」とは、所有ではなく「我々が属する」の意。
永田岳をみれば、「いい姿だなぁ」と思い、宮之浦川をみれば、「ふくよかで美しいなぁ」と思い足を浸せば、他人の風呂を借りるような、照れくさく落ち着かない気持ちを味わい、私の川は一湊川だという想いを新たにするのです。
テリトリー意識の強さは、この島の特徴ともいえるでしょう。

この「私の」川で、エビやハゼを採って調理して提供するツアーが行われていることを、昨日知りました。
http://twitter.com/nisekuronamako
こんなことをお金に変えるなんて。

一湊を褒められるとうれしい。ダイビングや海水浴を楽しむ人を非難する気もない。けれど、このツアーに関しては、自分たちの文化が軽んじられているように感じてしまうのです。

屋久島に拠点を移そうか、ぼんやりと思いはじめたとき、インディアン(現地の方々の望みとして、この本ではあえてネイティブアメリカンではなく、この言葉を使いました)のホピ族にまつわる本の編集を担当することになりました。
ただ日々を重ねることの困難さ、大切なものが失われるのを食い止められない無力感、観光と誇りの折り合い。身につまされ、辛い想いが残る一方、背中を押してくれた仕事でもありました。

業者は、「川を荒らすようなことはしていない」、「海や川の生きものは人間のモノではない」、との言い分です。
世界遺産になったからには、私の島ではなく、日本の、世界の島なのかもしれません。
それでも一湊川は、私や、一湊をふるさとと呼ぶ多くの「私たちの」川だと言いたい。
追付いする業者が出ないことを、切に願います。
ガイドと呼ばれる人たちが、こんな人ばかりではないと思いたい。

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