アサの四方山話

長靴の国イタリアから、トレンティーノ斯く斯く然々、、、

Il Sole

2006-03-20 20:13:37 | 映画
監督:Aleksandr Sokurov
主演:イッセ-尾形、Rovert Dawson、桃井かおり、佐野四郎他
フランス、イタリア、ロシア、スイス合作2005年公開

昭和天皇(1901‐1989)を描いた映画。第2次大戦終戦直後、マッカーサー将軍との会談、『天皇』=『神の子』の地位を返上し、一般人と同様の『人間』であることを自ら認めるまでの数ヶ月間の昭和天皇の姿を描いている。

この映画を観ている限りでは、皇室の整然としたオーガナイズぶり、そして静寂さなどは、日本の理想的な社会を凝縮した感じ。一般的にもこれほどでなくてもこの傾向はある、(あった?)と思わず納得。それにひきかえ、米軍の記者達が訪問したときの、とりとめのない騒々しさ、雑多な感じ、将軍のリラックスした様子がいかにも対照的。

主演のイッセ-尾形が、むかーしテレビで見たことのある、私の記憶にある昭和天皇とあまりにも似ていた。彼の演技力はイタリアの新聞で絶賛されているようだ。またこの映画監督にとってヒットラー、レーニンに続く三人目の権力者を描く作品となるそうで、政権の座にあった歴史上の重要人物の『孤独』を見事に描いているという、映画評である。

日本を離れている生活のなかでは、時代を数える称号はもう2006年という4桁の数字に慣れてしまっているので、時代の変化と数字の大きさとの係わりを特に意識することは少ないが、日本では昭和から平成になり、称号が変わるごとに、やはり少しずつ社会も人々の意識も変わっているのだと感ずる。

昭和時代に生まれ育っているせいか、日本を凝縮したような整然とした厳粛な皇室のかたちは、自分のどこかにある『日本』と結びつくこともある。


onigiri o polenta おにぎり、それともポレンタ?

2006-03-12 22:50:50 | 
コミダデママのブログでおにぎりの話題で少し盛りあがっていたようなので、白いご飯が苦手なグレッグでも結構気に入るかもしれないと、ある日せっせと用意してみた。

彼はごく一般的なトレンティーノ人で、料理の上手なお母さんが作る美味しい肉の煮込みだとか、ロースト、カネーデルリ、ポレンタ、クラウティ、ルガネガ、時には狩猟の野生動物の肉料理なども好んで食べる人である。

食生活は確かに気候や環境に大きく影響するものと思っている。私自身もトレンティーノ地方料理も全般に美味しいと思うし、しょうゆ味よりトマト味がこの気候にしっくりくるような気がする。しかし帰国した時は和食がやたら美味しいと思う。もちろん懐かしいということもあるが、和食の方が胃にも視覚、嗅覚にも無理がない。

さて私の知るところのイタリア人達のほとんどが、白いご飯が苦手である。
住んでいる地域で売っているイタリア産日本米は、やはり日本で食べているもののような甘みがないし、炊きあがりのつやもないのは仕方がない。でもリゾット用のお米に比べると粘りがあるし、外観も日本米らしいのだ、だから彼らが好きな巻き寿司を作るときはこれを炊くし、時々和食が恋しいと思いご飯を炊くときはこれ、で、私は満足する。

でも回りのイタリア人達が白いご飯だけ味見した後は曰く『ノン・サ・ダ・ニエンテ』つまり味がないってこと、らしい。ご飯だけでなく、他の和食についてもデリケートな味の場合は同じ感想だ。(割合優しい友人が多いのでこうははっきり言う人は少ないが、和食の時にとってもデリケート、といわれたら味が薄いんだろうな、と思うことにしている。)
だから比較的濃い目のはっきりした味付けにしてみると、美味しいといってくれることが多い、どういう舌をしてるのやら。

白いご飯をパンの代わりに食べるということは、なかなか慣れないらしい。それは私がリゾットがプリモのときには、パンを食べないということと同じに、意識の違いからくる。
つまり、私はパンとお米は同じにカテゴリ-に位置付けているから、二度も同じもの食べないけれど、イタリア人はリゾットはパスタと同様にプリモ、パンは別のカテゴリーなのだ。

それでも白いご飯が妙に食べたくなる時は、リゾット用のお米でパスタと同じように塩味の熱湯でアルデンテに茹で、お湯を切り、パルメッジャーノとエキストラヴェルジネのオリーブオイルをかけて食べる。実はこのシンプルなイタリア風リゾ・ビアンコ(白いご飯)というのも、なかなかイケルのだ。

でも何故彼らが、この日本風に炊いた白いご飯が好きになれないのだろうか?

巻き寿しが美味しいと思えるならば、中に濃い味付けのものが入ったおにぎりは絶対食べられるはず、という発想だった。実際コミダデママも彼女の子もおにぎりが好きらしいし。(最も彼女はとてもポップに飾り付けるに違いないのだが)

ところが失敗をひとつしてしまった。前日に残ったポレンタを一緒の食卓に並べてしまったのだ。

ポレンタは作りたてが当然ダントツに美味しいが、残って固くなったポレンタを薄く切って、熱くした鉄板(なければフライパン)で、焦げ目がつくくらいにトーストするとその香ばしさが家中にひろまり、食欲をそそり、作りたてのものよりも少し乾燥し歯ごたえのある感じが、また食べやすいのだ。

このあたりの日常食としてかつては質素な食事の代表だったポレンタだが、今ではストーロ産の粉がいいとか、変わった所でソバ粉で作るとか、地方料理として格も一段と上がっている。

トレンティーノでは肉料理が主だが、癖のあるチーズにも、魚介類などにもよくあい、それはパンのかわりにおかずと一緒に食べるから、和食でいう『白いご飯』のような位置づけに違いない、と勝手に理解している。

ところがおにぎりを一口食べるや『ノン・サ・ダ・ニエンテ』、これは鮭入りふりかけを混ぜたもの。かつお節入りは結構自信作だったのだが、小さめの俵型に作ったにもかかわらずナイフで半分に切って、味見。

そして少し考えてから『んん、でも僕はポレンタが好きだな』ときた。そうですか?!やはりね。食の好みはそう簡単に変わらないってことでしょう。

Hotel Rwanda ホテル・ルワンダ

2006-03-05 07:54:35 | 映画
毎年秋から冬にかけて地域の公民館のようなところで映画が上映される。つい家に篭りがちな長い冬の長い夜、夕食後に出掛ける上手い口実でもあり、見逃したものや大きな映画館では見られないような個性的な作品を観る良い機会である。

その日はなぜか上映内容が変更となっていた。先に来ていた友人は知らずに入場券を買ってしまったらしい、でも少し話題になっているし多分良い映画だと思うから観ていく、ということだったので、あまり気も進まなかったがお付き合いすることにした。

どうやらアフリカのホテルの映画らしい、でも民族対立の話し?94年実際にあった大量虐殺?ルワンダが、一体アフリカのどの辺にあるのかということさえ、すぐに地図を浮かべても思いあたらないくらい無知な私だった。http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/africa.html

事前の知識も持たないまま、映画の話しも突然に始まる。http://rwanda.hp.infoseek.co.jp/about_movie.html
映画はかなり暴力的だと思う、全ての人々が緊張し、脅えて、そして憤りを持っているのだ。しかし、これらのシーンは大袈裟に演出されていないために、反って生々しい。

ちょうど数日前にトレントで毎年行われる『移民の祭り』の準備のための会合があり、『移民』と言われると何時も少し抵抗があるのだが、在住日本人のひとりとして参加したばかりだった。

そこに出席した人々はほとんどがアフリカ、あるいはラテンアメリカからトレンティーノに新しい生活を求めて移民してきた人々だった。

その中でアフリカ人のひとりが、『今年は是非ともアフリカを大陸で括らずに、各国のアイデイティティを示す方向で祭りを行ってほしい。私達はアフリカでも南部の国出身でアフリカ系黒人であるし、アフリカ北部のアフリカ系白人の人々とはまた異なる問題を抱えているのだから。』と発言した。

アフリカ系白人と彼が言っているモロッコやチュ二ジア、エジプトなどの欧州大陸に近い国のアフリカ人たちとは、文化も経済も相当異なる次元の状況にあるらしい。それはひょっとすると、民族間の紛争のことを示唆していたのかもしれない。

恥ずかしながらこの会合に参加してようやく、アフリカ大陸には50数ヶ国の独立国があることを思い出した。そしてそのひとつひとつの国のなかにも、さらに夥しい数の少数民族が存在するらしいことも。

この部族間の共存に伴う緊張感は、現代の日本やイタリアの社会の中にいると想像することさえ難しい。そして実際『アフリカで何が起きているか』という疑問は決して身近なこととはいえず、頻繁に思い描かない。映画『ホテル・ルワンダ』はこの小さな疑問を、自分のどこかに植え付けてくれた機会だった。
http://rwanda.hp.infoseek.co.jp/

同じ時代の同じ瞬間に理由なく、自分の意思とは関係なく、生命を断たれる人々の数がまだ随分いることを知るべきで、また日本やイタリアという国がいかに豊かであるかということを、自覚する必要がありそうだ。そして、日本人として生まれ何年も暮し、現在イタリア生活を行える、いずれも比較的安全で滞りなく生活ができる国とかかわっている自分は、かなり幸運なほうかもしれない、幸運に感謝すべきだ。

Trofie al pesto トロフィエ アル ペースト

2006-03-03 07:28:50 | 
ここのところ少し慌しい日が続いていた。でも新しい出会いの多い、割合ポジティヴな忙しさだった。

コミダデママとは、その一連の出会いのなかで、アムステルダムで日本食を教えた経験があるオランダ人女性がいるからと聞き、別の目的もあって、メイルでのやり取りを始めたのだった。ところがイタリア語がやたらに正確で豊富、会う前日に電話で確認したその時も同じ印象で、しかしオランダ人のわりにかなりイタリア語上手いなぁ、イタリアに引っ越したばかりだというのに、と疑問がいっぱいのうちに会いに出掛けたのだった。

雨の日で街は人通りが少なく、待ち合わせたドゥオモ広場に、大きな傘を広げて髪をまとめた背の高い彼女がぽつりと立っていた。電話で『ポパイに出てくるオリーブみたいな感じよ』と要約してくれていたので、間違いなくコミダデママだとわかった。

彼女はイタリア人DOCだった、人の口を通すと話しはあらぬ方向に進むものだ。ダンナ様の仕事の都合でアムステルダムに5年間滞在、その間にオランダ人にイタリア料理を教えていたという。そして料理の興味はオリエンタル方面にも傾きタイ、中華、日本料理と教室に通うほど徹底していたらしい。一方でイタリア料理に興味をもつ、アムステルダム在住の日本女性と知りあうことになる。コミダデママはこのアムステルダム在住の日本女性のおかげで、料理を通して彼女の背景にある日本文化にふれ始めることになったのだ。(ありがとう、スミさん)

コミダデママの場合は日本の家庭料理にも興味を持っているのはもちろん、日本人の持つ、視覚でも楽しむ食卓という感受性に共感を得ているようだ。

初対面にも拘わらず、ほぼ3時間話しつづけ、その中でお互いの興味が『書くこと』にもあることを発見、彼女のブログの中に時々『日本食』が登場することがわかった。

最近では、懐かしき日本のお母さんの絵でおにぎりの作り方を説明しているブログがあり、イタリアのトレントで、こんなことがきっかけで『おにぎり』が流行ったら面白いと期待してしまう位の数のコメントもあるようだ。日本の暮しについて理解しようとする、彼女の好意的な気持ちが嬉しい。

料理好きな彼女は早速他の友人も交えて夕食に招待してくれて、その日のプリモのメニューはトロフィエ・アル・ペーストだった。

ちょうどサン・ロレンツォという会社が、ブロガー達に試食の感想をそれぞれのブログに載せることを条件に、ペーストとパスタのセットを送るという試食キャンペーンを行っていて、招待された私達は試食にあやかったのである。
http://blogs.san-lorenzo.com/sl/2006/02/pesto_al_blogger.htm

『trofieトロフィエ』というのは、 手でねじってちぎったという感じのショートパスタで, リグーリア州の地方の伝統的なパスタの種類だそうだ。リグーリアといえばバジリコペースト(ペーストジェノヴェーゼ)でよく知られている。このショートパスタと小さいサイコロ状に切ったジャガイモと、短く切ったインゲンをパスタと茹で、茹であがったら予め用意してあるペーストとまぜるだけというごくシンプルだが、とっても美味なイタリアの代表的な地方料理のひとつである。ほんとイタリア料理は、特にプリモは、食材を変に調理しきらず、素材を生かすことに則っている。

ここのペーストはバジリコの香りが強く、使っているオイルもさっぱりしている感じだ。健康に育ったバジリコの青緑色と、パスタの肌の白さ、ジャガイモ、インゲンという食材の互いの味と色合いの特徴を生かした、目にも美味しい、これは日本の料理を頂く際にも通じるところがあるな、なんて思う。

数日後に彼女が送ってくれた、和食用のお椀に盛り付けたイタリアンパスタの写真がこれである。