イタリアではというか、私の周りのイタリア人達は、いくつになっても誕生日を祝うのが当たり前になっているらしく、誕生日の日が近づくとかなり落ち着かない様子で、今年はどんな風に友人をもてなすかと、思案を巡らしていることが多い。グレッグもそのうちのひとりである。
従って私のことも当然そうあるべきだと思うらしく、早くから何人かの友人から『えーと誕生日はこの日だったけ?』と電話がかかってくる。(毎年聞かないでほしいが)当然今年はいつ何を計画しているか、という事も含めて聞きたいのだ。
日本にいた頃と違って、こちらでは同じ気分でお祭り騒ぎを楽しんだり、イタリア人と対等に冗談を交わせるほどイタリア語が上達していなかったせいで、誕生会を祝うということをちょっと避けてきた。
でもしばらく長く暮すようになると、やはりはずせない年中行事の一つとなるのであるが、私自身は毎年憂鬱な気分になってしまうのだ。
何年か前のことだが、誕生日の日、いつもの様に出勤した。
いつもの様に仕事は9時から始まり、大抵10時頃から交替で休憩時間をとって、階下の自動販売機の置いてある踊り場へコーヒーを飲みに同僚達と行くはずだった。
突然、私の背後に彼女らが花束を持ってやって来て、『tanti auguri』(ハッピーバースデイ トゥ ユー伊語版) を歌い始めたのだ。同僚にも何も言っていなかったからその日が私の誕生日であることは誰も知らないはずだった。私は他の同僚の様に前もって宣伝していなかったから特に。でも、いつも楽しいことを探しているような、こういう祭り事が大好きな彼女らは事前のチェックは忘れないのだった。
mamma mia! と思わずイタリア語がよぎった。
恥ずかしいやら嬉しいやら、こういう時はどういうリアクションをするべきか、急に日本人らしくなって戸惑ってしまった。もちろんすぐにイタリア式に、そこに来てくれた同僚達ひとりひとりにお礼を言って回った。なんて可愛らしい同僚達なんだ!
花束もプレゼントも気が利いていたが、何よりも嬉しかったのは、同僚達の私を驚かせ喜ばせたいという気持ちだった。それは私のつたないイタリア語で上手くは伝わらなかったかもしれない。
お昼頃近くのパステッチェリアに出向いて、出来るだけ美味しそうなパスタとスーパーで甘口ワインとコカコーラを買い、事務所に戻り、確か金曜日で仕事は皆3時までだったから、帰る時間の少し前に集まってパスタとワインで同僚達と共に誕生日を祝った。
イタリア人の習慣は、誕生日を迎える本人が皆にパスタあるいはケーキをもてなし、一緒に祝ってもらうのだ。私ときたら出来るだけ知らん顔していたかったので、プレゼントを頂くのが先だった。
今年も、メイルで『もし日にちが間違ってなければ誕生日おめでとう』と言ってきた友人にお礼の返事を書きながら、年齢を抜きにして、なぜ毎年憂鬱になるのか、ということを考える。少し心を許して話せる彼女には、多分、イタリアにいる自分が、この年齢でこうありたいという自分とは違うことに対して素直に祝うことができないのだ、とつけ加えておいた。
一方いつになったら、プレゼントを頂くまえに、または催促の電話が来る前に、自分の誕生会を率先して行う気分になるのだろう、自ら誕生日を祝う日が来るのだろうとも思いながら。
従って私のことも当然そうあるべきだと思うらしく、早くから何人かの友人から『えーと誕生日はこの日だったけ?』と電話がかかってくる。(毎年聞かないでほしいが)当然今年はいつ何を計画しているか、という事も含めて聞きたいのだ。
日本にいた頃と違って、こちらでは同じ気分でお祭り騒ぎを楽しんだり、イタリア人と対等に冗談を交わせるほどイタリア語が上達していなかったせいで、誕生会を祝うということをちょっと避けてきた。
でもしばらく長く暮すようになると、やはりはずせない年中行事の一つとなるのであるが、私自身は毎年憂鬱な気分になってしまうのだ。
何年か前のことだが、誕生日の日、いつもの様に出勤した。
いつもの様に仕事は9時から始まり、大抵10時頃から交替で休憩時間をとって、階下の自動販売機の置いてある踊り場へコーヒーを飲みに同僚達と行くはずだった。
突然、私の背後に彼女らが花束を持ってやって来て、『tanti auguri』(ハッピーバースデイ トゥ ユー伊語版) を歌い始めたのだ。同僚にも何も言っていなかったからその日が私の誕生日であることは誰も知らないはずだった。私は他の同僚の様に前もって宣伝していなかったから特に。でも、いつも楽しいことを探しているような、こういう祭り事が大好きな彼女らは事前のチェックは忘れないのだった。
mamma mia! と思わずイタリア語がよぎった。
恥ずかしいやら嬉しいやら、こういう時はどういうリアクションをするべきか、急に日本人らしくなって戸惑ってしまった。もちろんすぐにイタリア式に、そこに来てくれた同僚達ひとりひとりにお礼を言って回った。なんて可愛らしい同僚達なんだ!
花束もプレゼントも気が利いていたが、何よりも嬉しかったのは、同僚達の私を驚かせ喜ばせたいという気持ちだった。それは私のつたないイタリア語で上手くは伝わらなかったかもしれない。
お昼頃近くのパステッチェリアに出向いて、出来るだけ美味しそうなパスタとスーパーで甘口ワインとコカコーラを買い、事務所に戻り、確か金曜日で仕事は皆3時までだったから、帰る時間の少し前に集まってパスタとワインで同僚達と共に誕生日を祝った。
イタリア人の習慣は、誕生日を迎える本人が皆にパスタあるいはケーキをもてなし、一緒に祝ってもらうのだ。私ときたら出来るだけ知らん顔していたかったので、プレゼントを頂くのが先だった。
今年も、メイルで『もし日にちが間違ってなければ誕生日おめでとう』と言ってきた友人にお礼の返事を書きながら、年齢を抜きにして、なぜ毎年憂鬱になるのか、ということを考える。少し心を許して話せる彼女には、多分、イタリアにいる自分が、この年齢でこうありたいという自分とは違うことに対して素直に祝うことができないのだ、とつけ加えておいた。
一方いつになったら、プレゼントを頂くまえに、または催促の電話が来る前に、自分の誕生会を率先して行う気分になるのだろう、自ら誕生日を祝う日が来るのだろうとも思いながら。