今日買い物をした帰りに、某自転車置き場にて、一人の男性が自分の自転車を出すために、他の人の自転車を道に放り投げて自分の自転車を出して、投げた自転車には目もくれず走っていきました。立派な大人がそんなことをしていることが情けないなと思ったけど、注意できなかった自分も情けなかった。こんな自分に嫌気がさします・・・。
さて、話は変わりますが、(突然こんな話して良いのかと思いますが)よく、「あ~楽して生きたい」とか、「効率」という言葉を耳にします。楽に単位を取ったり、自分の利益を優先させることに没頭している人も。
自分も最近そんな生き方に傾き始めた感じがする。授業も去年に比べるとちょっとさぼり気味だったり、忙しさに託けてサークルに行かなかったり。全部自分の不利益になることは分かってるんだけど、一時期は病院に通ったりしたし、自分の体調とか余裕とかに合わせていくように病院の先生に言われたり。カウンセリングも少ししたり。
僕は、効率を求める生き方は生涯後悔することになると思っています。というのも、無駄にこそ自分の探していた物があると思っているから。自分の一番幸せを感じる瞬間は、小さな幸せを見つけることです。決して大きな幸せを求めようなんて思ってません。そんなに大きな幸せは自分にはもったいないから、って考える。
小さな幸せって言うのは、例えば、「ありがとう」の一言だったりとか、赤ちゃんの笑顔に癒されることとか、ココアを飲んでいるときとか、泣ける映画を見ているときとか。初めて作った料理が成功するっていうのはかなり大きな幸せになっちゃいますかね。僕の価値観だと。
ちょっと話がずれてしまいましたかね?まあいいや。効率を求める余りに小さな幸せを一緒にそぎ落としてしまう、ということは、表面上自分の利益にはなっても真の幸せを勝ち取ったことにならないような気がします。利益というのはなんか機械的な物のような感じがする。僕も昔は効率がすべてだと思ってました。でも、効率を求める余りに周りを見失ったり、他人の優しさに気付かなかったりしてた。それが実はとてももったいないことだと感じるようになりました。
こんなことを考えるようになったのは、高校生になったときからだと思います。高校に入って、自分よりも頭のいい人が山ほどいたし、島の中学校を出て世界の大きさに挫折してしまったとき、他の人に出来ないことをしようと思った。それが自分の周りにある小さな幸せを追い求めよう、ということだった。いろいろ小さな幸せはありました。いろいろ悩んで、自分の超えられなかった物を超えたとき(これは、数学の問題と格闘してやっと答えが出たときとか)、先生やお友達、お母さんが励ましてくれたりしたとき。本当に自分は幸せだって思いました。
自分は予備校で教えてるけど、生徒はよく「だって先生、めんどくさくないですか?」とか「そんなのしても無駄だよ」なんて言います。でも、僕は無駄に見えることをやって今の自分があるし、周りの人はみんなの「無駄」ということをやって賢くなってた。めんどくさいからやらない、とか言う人は自分をどんどん狭くしていく様な気がしますが、皆さんはどう思っているのでしょう。
ご意見お待ちしています。
さて、話は変わりますが、(突然こんな話して良いのかと思いますが)よく、「あ~楽して生きたい」とか、「効率」という言葉を耳にします。楽に単位を取ったり、自分の利益を優先させることに没頭している人も。
自分も最近そんな生き方に傾き始めた感じがする。授業も去年に比べるとちょっとさぼり気味だったり、忙しさに託けてサークルに行かなかったり。全部自分の不利益になることは分かってるんだけど、一時期は病院に通ったりしたし、自分の体調とか余裕とかに合わせていくように病院の先生に言われたり。カウンセリングも少ししたり。
僕は、効率を求める生き方は生涯後悔することになると思っています。というのも、無駄にこそ自分の探していた物があると思っているから。自分の一番幸せを感じる瞬間は、小さな幸せを見つけることです。決して大きな幸せを求めようなんて思ってません。そんなに大きな幸せは自分にはもったいないから、って考える。
小さな幸せって言うのは、例えば、「ありがとう」の一言だったりとか、赤ちゃんの笑顔に癒されることとか、ココアを飲んでいるときとか、泣ける映画を見ているときとか。初めて作った料理が成功するっていうのはかなり大きな幸せになっちゃいますかね。僕の価値観だと。
ちょっと話がずれてしまいましたかね?まあいいや。効率を求める余りに小さな幸せを一緒にそぎ落としてしまう、ということは、表面上自分の利益にはなっても真の幸せを勝ち取ったことにならないような気がします。利益というのはなんか機械的な物のような感じがする。僕も昔は効率がすべてだと思ってました。でも、効率を求める余りに周りを見失ったり、他人の優しさに気付かなかったりしてた。それが実はとてももったいないことだと感じるようになりました。
こんなことを考えるようになったのは、高校生になったときからだと思います。高校に入って、自分よりも頭のいい人が山ほどいたし、島の中学校を出て世界の大きさに挫折してしまったとき、他の人に出来ないことをしようと思った。それが自分の周りにある小さな幸せを追い求めよう、ということだった。いろいろ小さな幸せはありました。いろいろ悩んで、自分の超えられなかった物を超えたとき(これは、数学の問題と格闘してやっと答えが出たときとか)、先生やお友達、お母さんが励ましてくれたりしたとき。本当に自分は幸せだって思いました。
自分は予備校で教えてるけど、生徒はよく「だって先生、めんどくさくないですか?」とか「そんなのしても無駄だよ」なんて言います。でも、僕は無駄に見えることをやって今の自分があるし、周りの人はみんなの「無駄」ということをやって賢くなってた。めんどくさいからやらない、とか言う人は自分をどんどん狭くしていく様な気がしますが、皆さんはどう思っているのでしょう。
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