「バカは死ななきゃ直らない」と言いますが、本当のバカは死んでもバカです。喋ってボロが出ないよう頭を丸めて意気消沈のフリをした息子と、反省の欠片もなく報道陣を睨みつけて「こうなったのはお前らのせいだ」と言わんばかりの親父・・・隣で代弁に必死な金平会長が滑稽です。予想外の世論の反感に驚いて、このままでは飯の食い上げになると危ぶんで、とりあえず記者会見で謝罪のフリをしようと言う態度が見え見えで結局は逆効果でした。親父が何度も口に出した「とりあえず」と言う言葉がそれを表しています。この連中が救いがたいのは「負けたからこうなった」「行き過ぎた反則でこうなった」と言う態度です。問題になっているのは規則以前の「あまりにも下劣な人間性」なのに全く気づいていません。
昔はこうゆう人間を関西では「極道」、関東では「下郎」と言いました。我々が子供の頃はこうした連中が沢山いて子供にとって恰好の「識別教材」でした。しかし如何なる理由か今は「差別」と「識別」の区別がつかない「エセ人権屋」の言葉狩りのせいで、人間(生物)にとって最も重要な「識別能力=判断能力」が失われつつあります。大体われわれ大衆には大した判断力がある筈もなく、「大事な判断は誰か判断力のある人にまかせよう」と言う丸投げでエライ目に遭う歴史を繰り返しています。それでも「生きた教材」の外見と挙動から多少の判断能力は備えていたものです。
近頃はその判断も怪しくなってきたと思ったら久々の「極道=下郎」の登場です。「人間の品性には上下がある」と言うごくまっとうな事を明らかにした、と言う意味ではこの親子は役に立ったと言えます。また人間には「教養」が必要なことを明らかにしたことも「貢献」です。惜しむらくはあの会見で「わしらは確かに下品やが、それを銭儲けのネタにしとるお前らマスコミはもっと下品やないけ!」と大見得を切ればハイカラでしたが・・・。
昔はこうゆう人間を関西では「極道」、関東では「下郎」と言いました。我々が子供の頃はこうした連中が沢山いて子供にとって恰好の「識別教材」でした。しかし如何なる理由か今は「差別」と「識別」の区別がつかない「エセ人権屋」の言葉狩りのせいで、人間(生物)にとって最も重要な「識別能力=判断能力」が失われつつあります。大体われわれ大衆には大した判断力がある筈もなく、「大事な判断は誰か判断力のある人にまかせよう」と言う丸投げでエライ目に遭う歴史を繰り返しています。それでも「生きた教材」の外見と挙動から多少の判断能力は備えていたものです。
近頃はその判断も怪しくなってきたと思ったら久々の「極道=下郎」の登場です。「人間の品性には上下がある」と言うごくまっとうな事を明らかにした、と言う意味ではこの親子は役に立ったと言えます。また人間には「教養」が必要なことを明らかにしたことも「貢献」です。惜しむらくはあの会見で「わしらは確かに下品やが、それを銭儲けのネタにしとるお前らマスコミはもっと下品やないけ!」と大見得を切ればハイカラでしたが・・・。