若者の事件がある度に「やはり戦後教育のあり方が問われているのかも知れません」なんてコメントでまとめるのが日常化しています。教育が大事であることには依存がありませんが、自分を振り返ってみると不思議なことに気づきます。我々昭和20年前後の世代が特殊なのか、特殊な地域に育ったのか、実は小学校で何を習ったのか全く記憶がありません。何一つ記憶にない、と言うことは我々ガキ共には教育は何の影響も与えていないことになります。
物心ついてから小学校低学年までの「刷り込み時期」は見るもの、聞くもの、触るもの、した事の全てが斬新で、これがその後の人生の下敷きになる訳ですが、これを「学習」と言うなら全ての学習は「少年探偵団」による学習と言うことになります。つまり「甘いもの」も「オモチャ」もない時代では欲しいものは全て自分で手に入れるか、作るしかなく、大人は何の役にも立ちません。従って、小学校の記憶は「遊ぶ時間まで我慢するところ」で、先生の記憶は「次々面白い遊びを考える兄貴分先生」と「怖いけれど優しいお母さん先生」だけです。
今、振り返ると我々は「可愛くない子供」だったかも知れません。当時学校には色々な絵本がありました。「浦島太郎」の絵本を見た時もガキ共の反応は以下の通りです。まず浦島太郎が乗れるような大きな亀なら、それは巨大な海亀である筈で、いじめるどころかヘタをすると踏まれて大怪我をします。本当は助けたのは亀ではなく、大きな亀に踏まれて困っている子供の方ではないかと思いました。実際に大きな海亀を何度も見ているからです。又、あんな南洋の原住民のようなフリフリを腰に巻いている漁師は皆無で、第一いくら肺活量があっても海の底まで潜れば溺死します。別のガキは比較的「寛容」で肺活量は問題にしません。ただ竜宮城で何を食べたのかに興味があるようです。昔話ですからライスカレーである筈もなく、ご馳走なら恐らく「お刺身」ではないでしょうか。となると鯛や平目さんの踊りを見ながらその刺身を食べていることになります。
更にまずいのは、天女が舞い降りたという三保の松原伝説です。三保の松原は地元です。ガキ共は何度も遊びにいって時々「伝説の松」を大人が取り替えているのを目撃しています。「松食い虫」にやられるからです。「これが伝説の松か・・・」なんて感心している観光客に「去年までこっちの松だったよ!」などと余計なことを言って引っ叩かれたガキもいます。
桃太郎もいけません。「肥後守のナイフ」で時々手を切っていたガキからすると、大きな桃の中で窒息もしないで無事おじいさんに拾われたとしても、おじいさんは中に桃太郎がいるのを知らない訳ですから、思い切ってマサカリを入れた筈です。当然死んだか、よくて大怪我です。猿やら犬やらキジを集めて、鬼が島に勝手に乗り込んで宝物を「略奪」したのもその後遺症かも知れません。
そんな感じですから、学校の絵本は「少年探偵団」に夢を与えるどころか、袋叩きに遭うために置いてあったようなものです。ここで話が終わるようなら「体験に勝る教育はない!」なんて締めるところですが、先生も只者ではありません。ある日、名前は忘れましたが女先生から大きな本を見せられました。栞が挟んであるページを開くと「錦絵」という一枚の絵が現れます。見た途端に我々は竦みあがりました。オドロオドロしく描かれていたのは包丁を砥いでいる「山姥」でした。少年探偵団の天敵である「おばさん」の究極の姿です。先生は我々の反応を確かめると静かに本を閉じて教室を出て行きました。あの先生は山姥の娘だったに違いありません。
物心ついてから小学校低学年までの「刷り込み時期」は見るもの、聞くもの、触るもの、した事の全てが斬新で、これがその後の人生の下敷きになる訳ですが、これを「学習」と言うなら全ての学習は「少年探偵団」による学習と言うことになります。つまり「甘いもの」も「オモチャ」もない時代では欲しいものは全て自分で手に入れるか、作るしかなく、大人は何の役にも立ちません。従って、小学校の記憶は「遊ぶ時間まで我慢するところ」で、先生の記憶は「次々面白い遊びを考える兄貴分先生」と「怖いけれど優しいお母さん先生」だけです。
今、振り返ると我々は「可愛くない子供」だったかも知れません。当時学校には色々な絵本がありました。「浦島太郎」の絵本を見た時もガキ共の反応は以下の通りです。まず浦島太郎が乗れるような大きな亀なら、それは巨大な海亀である筈で、いじめるどころかヘタをすると踏まれて大怪我をします。本当は助けたのは亀ではなく、大きな亀に踏まれて困っている子供の方ではないかと思いました。実際に大きな海亀を何度も見ているからです。又、あんな南洋の原住民のようなフリフリを腰に巻いている漁師は皆無で、第一いくら肺活量があっても海の底まで潜れば溺死します。別のガキは比較的「寛容」で肺活量は問題にしません。ただ竜宮城で何を食べたのかに興味があるようです。昔話ですからライスカレーである筈もなく、ご馳走なら恐らく「お刺身」ではないでしょうか。となると鯛や平目さんの踊りを見ながらその刺身を食べていることになります。
更にまずいのは、天女が舞い降りたという三保の松原伝説です。三保の松原は地元です。ガキ共は何度も遊びにいって時々「伝説の松」を大人が取り替えているのを目撃しています。「松食い虫」にやられるからです。「これが伝説の松か・・・」なんて感心している観光客に「去年までこっちの松だったよ!」などと余計なことを言って引っ叩かれたガキもいます。
桃太郎もいけません。「肥後守のナイフ」で時々手を切っていたガキからすると、大きな桃の中で窒息もしないで無事おじいさんに拾われたとしても、おじいさんは中に桃太郎がいるのを知らない訳ですから、思い切ってマサカリを入れた筈です。当然死んだか、よくて大怪我です。猿やら犬やらキジを集めて、鬼が島に勝手に乗り込んで宝物を「略奪」したのもその後遺症かも知れません。
そんな感じですから、学校の絵本は「少年探偵団」に夢を与えるどころか、袋叩きに遭うために置いてあったようなものです。ここで話が終わるようなら「体験に勝る教育はない!」なんて締めるところですが、先生も只者ではありません。ある日、名前は忘れましたが女先生から大きな本を見せられました。栞が挟んであるページを開くと「錦絵」という一枚の絵が現れます。見た途端に我々は竦みあがりました。オドロオドロしく描かれていたのは包丁を砥いでいる「山姥」でした。少年探偵団の天敵である「おばさん」の究極の姿です。先生は我々の反応を確かめると静かに本を閉じて教室を出て行きました。あの先生は山姥の娘だったに違いありません。