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「タイムバール」少年探偵団の時代

元少年探偵団、現ダメ社長が「記憶と夢」を語ります。

偉いかなぶん

2007年04月26日 | Weblog
名は体を表す、と言いますがラジオも街を表します。昭和20年代の清水では9時と午後の4時と10時には必ずどこかのラジオから「気象通報」が聞こえてきたものです。「南大東島では北北東の風、風力2、天気晴れ、1020ミリバール、26度・・・」と言うあれです。遠洋漁業で食っている港町の「音の風景」です。あの抑揚のない独特な言い方は音楽のように子供をいい気持ちにさせます。特に「ミリバール」はハイカラで「今日の俺は1100ミリバールだ!」「いいなあ!俺なんか950ミリバールだ!」なんてガキの気分の尺度でもありました。それが勝手に「ヘクトパスカル」に変えられて記憶にケチがつきました。そんな単位にこだわるのは「かなぶん」が深く係わっています。

「かなぶん」と言ってもAV女優の金沢文子ではありません。正真正銘の虫の方です。昭和20年代のオモチャがない時代では「かなぶん」は子供にとって、大切な「オモチャ」でした。子供にとってはどの虫を「家来」にしているかは重要です。当時は捕獲難易度から「かなぶん」「クワガタ」「鬼ヤンマ」と進むのが常で、特に日本最大のトンボ「鬼ヤンマ」は当時「B29]と呼んで捕獲の技を競いました。運よく捕まえると町内を回って「お披露目」したくらいで、糸に結ばれた「B29]は戦争に負けた年寄りを喜ばせたものです。その点、「かなぶん」は雑木林にいけば簡単にとれるのでその「地位」は低かったのです。その「かなぶん」が一夜にして「偉く」なったのです。

ことの起こりはメートル法です。メートル法の実施は昭和34年からですが、すでに小学校ではメートルでした。ただ困ったことが起きました。話の前後は忘れましたが、先生が「・・・だから一寸の虫にも五分の魂が・・」と言ったとき誰も理解できません。ガキ共の様子を見てとった先生は説明の要を感じたのでしょう。「3センチの虫にも1.5センチの根性がある!舐めたらいかんぞ!」「・・・」皆どよめきました。3センチの虫といったら「かなぶん」しかいません。「あいつはそんなに偉かったのか!」しかも身体の半分は根性が占めているようです。そう言えば「かなぶん」の妖しく光る緑色もどこか高貴に見えます。ガキ共が「かなぶん」に一目置くようになったのは言うまでもありません。

但し、「かなぶん」には困った性質があります。落ち着かないのです。すぐどこかへ飛んで行ってしまします。しかも、あの独特の飛び方から判るように糸で結んでおくのが結構大変です。糞をされたガキもいます。そんな訳で「かなぶん」の天下は長くは続きませんでしたが、「単位」を身近なもので表現する方法は捨てるべきではありません。地球の経度から割り出したメートル(今では一定時間に光の進む距離からメートルをきめています)より、足の長さから割り出した「尺」とか「フィート」、一人の人間が一年間食える米の量から割り出した「一石」、ちょと古いですが「腕」の長さから割り出す「キュビット」など本来「単位」は身体が元になっていたのに何ゆえ実体のない数字にしたのか面妖です。極限で頼りになるのは己の勘と体力です。身体が単位になっていることの有難味が判るのは天変地変しかないのでしょうか・・・なんて強引なまとめ方で失礼しました。

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