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tiandaoの自由訳漢詩

ティェンタオの自由訳漢詩 杜甫98ー102

2010年02月06日 | Weblog
 杜甫ー98
   早秋苦熱堆安相仍      早秋 熱に苦しみ 堆安相い仍る

  七月六日苦炎蒸   七月六日  炎蒸(えんじょう)に苦しむ
  対食暫餐還不能   食に対し暫(しばら)く餐(くら)わんとするも還(ま)た能(あた)わず
  常愁夜来皆是蝎   常に愁う  夜来(やらい)  皆(みな)是(こ)れ蝎(かつ)なるを
  况乃秋後転多蠅   况(いわ)んや乃(すなわ)ち秋後(しゅうご)  転(うた)た蠅多し
  束帯発狂欲大叫   束帯(そくたい)  狂を発して大叫(たいきょう)せんと欲(ほっ)し
  簿書何急来相仍   簿書(ぼしょ)  何ぞ急に来たって相い仍(よ)るや
  南望青松架短壑   南望すれば  青松(せいしょう)の短壑(たんがく)に架(か)す
  安得赤脚踏層冰   安(いず)くんぞ赤脚(せききゃく)もて層冰(そうひょう)を踏むを得ん

  ⊂訳⊃
          七月六日  蒸し暑くてやりきれない
          食膳に向くが  食事も咽喉を通らない
          夜ともなれば  蝎(きくいむし)が総出で這い出し
          秋というのに  蠅がうるさく飛んでくる
          官服は窮屈で  つい大声を出したくなり
          書類はどうして  つぎつぎに押しかけてくるのか
          南を望むと  切り立つ崖に青松が生え
          幽邃の地を  素足で踏みたい気がしてくる


 ⊂ものがたり⊃ 春の終わりになると、旧派と見られた廷臣への圧迫が強くなります。中書舎人の賈至(かし)は些細なことが原因で汝州(河南省臨汝県)刺史に左遷され、さらに岳州(湖南省岳陽市)の司馬に貶されました。杜甫の友人の岑参(しんじん)も虢州(河南省盧氏県)に移されます。
 房琯は宰相を罷免されたあとも高官として遇されていましたが、政事の中枢からは遠ざけられたままでした。夏になると房琯への弾劾が集中するようになり、六月に詔書が発せられて邠州(陝西省彬県)刺史に転出となりました。邠州(ひんしゅう)は杜甫が「北征」のときに通った水中流の城市です。京兆尹(けいちょういん)になっていた厳武(げんぶ)も、同じ六月に巴州(四川省巴中県)の刺史に左遷となります。
 杜甫もこのとき左拾遺を免ぜられて、華州(陝西省華県)の司功参軍(しこうさんぐん)に任ぜられ、すぐに赴任してゆきました。華州は長安の東90kmほど、華山山麓の街です。中央の清官から地方の属官に移されたわけで、杜甫の失望は大きかったと思われます。
 詩は夏の暑さと華州の官舎の不衛生なことに腹を立て、仕事も雑用が多くて忙しいことに音をあげています。南にある華山の崖の松を見て「赤脚もて層冰を踏むを得ん」と結んでいるのは、涼しい山のなかに隠遁したいという気持ちの表現でしょう。崋山は夏に氷が張るような高い山ではありません。

 杜甫ー99
    孤雁             孤雁

  孤雁不飲啄     孤雁(こがん)  飲啄(いんたく)せず
  飛鳴声念群     飛鳴(ひめい)して声は群を念(おも)う
  誰憐一片影     誰か憐(あわ)れむ一片の影
  相失万重雲     万重(ばんちょう)の雲に相(あい)失うを
  望尽似猶見     望み尽(つく)して猶(な)お見るに似(に)
  哀多如更聞     哀しみ多くして更に聞くが如し
  野鵶無意緒     野鵶(やあ)  意緒(いしょ)無く
  鳴噪自粉粉     鳴噪(めいそう)  自(おのずか)ら粉粉(ふんぷん)たり

  ⊂訳⊃
          孤雁は飲みも喰いもせず
          鳴きながら飛んで仲間をさがす
          一羽の鳥が   雲の波間に消え去っても
          誰が憐れんでくれようか
          姿は消えても  見えているようで
          悲しげな声は  いつまでも聞こえる
          だが  こころない烏どもは
          があがあ鳴いて騒ぐだけだ


 ⊂ものがたり⊃ 杜甫はすこし苛立っていました。そんなとき、戦乱によって音信の途絶えていた弟から便りがありました。この弟は斉州(山東省済南市)の臨邑県で主簿をしていたすぐ下の異母弟、杜頴(とえい)であると思われます。鄲州(山東省平陰県)に移って露命をつないでいるというのです。
 この便りを読んで、杜甫は急に洛陽の陸渾荘にやった継母の盧氏と幼い弟妹のことが気になってきました。洛陽が奪回されて半年以上もたつのに何の連絡もないのです。杜甫は杜観を呼んで、すぐに洛陽に行って母親のようすを確かめて来いと命じたのではないでしょうか。これは私の小説的な推測ですが、根拠はあります。盧氏の長子杜観はこのとき十三歳ですので、杜甫の命令に顔色を変えたと思います。しかし、非常のときなので杜甫は厳しく励ましてひとりで旅立たせたと思います。
 杜甫には司功参軍としての仕事が山積していました。しかも華州のような田舎町では共に詩を語るような相手もおらず、ただただ俗事に忙殺される毎日です。「孤雁」は杜甫自身のことでしょう。「野鵶」は都や州の上司かもしれず、また仕事にかかわりのある町の住民であるかもしれません。

 杜甫ー100
   贈高式顔           高式顔に贈る

  昔別是何処     昔  別れしは是(こ)れ何(いず)れの処なりし
  相逢皆老夫     相い逢えば皆(み)な老夫(ろうふ)なり
  故人還寂寞     故人(こじん)は還(な)お寂寞(せきばく)
  削跡共艱虞     削跡(さくせき)  共に艱虞(かんぐ)
  自失論文友     文(ぶん)を論ずる友を失いて自(よ)りは
  空知売酒壚     空しく知る  売酒(ばいしゅ)の壚(ろ)
  平生飛動意     平生(へいぜい)  飛動(ひどう)の意(い)
  見爾不能無     爾(なんじ)を見ては無きこと能(あた)わず

  ⊂訳⊃
          以前別れたのは  何処であったか
          いま逢えば     みな老人となっている
          君は依然として  うだつがあがらず
          追放されて     共に苦労の連続だ
          文学の友をなくしてからは
          酒屋に行っても  虚しい思いだけ
          かねてからの燃える憶いが
          君と逢って  湧き立たずにはいられない


 ⊂ものがたり⊃ 杜甫がささくれだった心境にいたとき、詩人の高式顔(こうしきがん)が訪ねてきました。高式顔は杜甫の詩友高適(こうせき)の甥にあたり、戦乱をへての久しぶりの再会でした。高式顔はまだ浪々の身で、たがいに老いのきざした顔を見合わせて複雑な気持ちです。しかし、杜甫は久しぶりに文学のわかる友と語り合うことができて嬉しそうです。

 杜甫ー101
    所思             思う所

  鄭老身仍竄     鄭老(ていろう)  身(み)  仍(な)お竄(ざん)せられ
  台州信始伝     台州  信(しん)  始めて伝う
  為農山澗曲     農と為(な)る  山澗(さんかん)の曲(くま)
  臥病海雲辺     病に臥(ふ)す  海雲(かいうん)の辺(ほとり)
  世已疎儒素     世  已(すで)に儒素(じゅそ)を疎(うと)んずるも
  人猶乞酒銭     人  猶(な)お酒銭(しゅせん)を乞(あた)えん
  徒労望牛斗     徒(いたず)らに牛斗(ぎゅうと)を望むを労(ろう)し
  無計斸龍泉     龍泉(りゅうせん)を斸(しょく)するに計(けい)無し

  ⊂訳⊃
          鄭先生  あなたはまた左遷され
          台州から はじめて便りをいただきました
          山や谷川のそばで 農作業をし
          海辺のほとりで   病に臥すと
          世はすでに  儒学を軽んじていますが
          人によっては 酒代を出してもくれましょう
          私は牛斗の星を いたずらに眺めるだけで
          龍泉の名剣を   掘り出す力のないのが残念です


 ⊂ものがたり⊃ 台州に貶謫された師友の鄭虔から書信が届いたのもこのころのようです。鄭虔は山中の谷川のほとりで農耕をし、病に臥すこともあると書いてきましたが、杜甫にはどうすることもできません。ただ慰めの詩を贈るだけです。
 「牛斗」は星の名前で、杜甫はいたずらに空の星を見上げるだけで、「龍泉を斸するに計無し」といっています。「龍泉」というのは晋代の故事で、雷煥(らいかん)という人が牛星と斗星のあいだに剣の気があるのを見て、龍泉・太阿の二つの名剣を掘り出したという話を踏まえています。杜甫は龍泉にも比すべき儒学の師鄭虔を救い出す力のない自分の無力を嘆くのでした。

 杜甫ー102
   九日藍田崔氏荘       九日 藍田の崔氏の荘

  老去悲愁強自寛   老い去(ゆ)きて悲愁(ひしゅう)に強(し)いて自ら寛(ゆる)うし
  興来今日尽君歓   興(きょう)来たりて今日(こんにち)ぞ君の歓(よろこ)びを尽くす
  羞将短髪環吹帽   羞(は)ずらくは短髪を将(もっ)て環(な)お帽(ぼう)を吹かるるを
  笑倩旁人為正冠   笑いて旁人(ぼうじん)を倩(やと)いて為に冠(かんむり)を正さしむ
  藍水遠従千澗落   藍水(らんすい)は遠く  千澗(せんかん)従(よ)り落ち
  玉山高並両峰寒   玉山(ぎょくざん)は高く 両峰(りょうほう)を並べて寒し
  明年此会知誰健   明年(みょうねん) 此の会 知んぬ 誰か健(けん)なるを
  酔把茱萸子細看   酔うて茱萸(しゅゆ)を把(と)りて子細(しさい)に看(み)る

  ⊂訳⊃
          老いては  秋の愁いをみずから慰め
          遠慮をせずに  今日のもてなしを受けよう
          薄毛のあたま  風に帽子というほどもないが
          苦笑いしつつ  そばの人にゆがんだ冠を直してもらう
          藍水は遠く   谷川を落として流れ
          玉山は高く   峰を並べて寒い
          明年この会に  誰が達者でいるだろう
          酔って魔除けの茱萸を把り  しげしげとみる


 ⊂ものがたり⊃ 秋になって九月九日の重陽節に、杜甫は崔氏の藍田の別荘に招かれました。主人の崔李重(さいりじゅう)は杜甫の母方の一族ではないかと見られています。藍田は華州からだと西南に60kmほどの道程ですので、杜甫は馬で出かけたでしょう。
 この詩については吉川幸次郎著『杜甫ノート』に詳しい評釈がありますので、ご存知の方が多いでしょう。首聯と頷聯には杜甫の屈折した心情が巧みに詠われています。「羞ずらくは短髪を将て環お帽を吹かるるを」は東晋の孟嘉の故事を踏まえており、頭髪も薄くなった自分を風流人の孟嘉に例えるのも気恥ずかしいが、と苦笑いしながら、かたわらの人に冠のゆがみを直してもらうのです。
 「玉山」は藍田山のことで、硬玉を産することから玉山といいました。崔氏の別荘の西隣りには王維の輞川荘があり、王維はそのころ乱後の処罰を受けた身をはばかって別荘に出入りせず、門は固く閉じられたままであると、杜甫は別の詩で詠っています。 

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