慰安婦「従軍」でない 知事 平和資料館、表記見直しも

2006年06月28日 | 政治 経済
慰安婦「従軍」でない 知事 平和資料館、表記見直しも

 上田知事は27日、県議会本会議の一般質問で、県平和資料館(東松山市)で展示されている昭和史年表の「従軍慰安婦」という表記について、「東西古今、慰安婦はいても従軍慰安婦はいない。間違った記述は修正しなければならない」と述べた。知事発言を受け、同館は表記の見直しを検討する。
 同資料館の年表には、昭和史に加えて平成に入ってからの社会の動きなどが記載されており、1991年の項で「従軍慰安婦問題など日本の戦争責任論議多発」と記されている。
 小島信昭氏(自民)が「展示内容が偏ってる」と指摘したのに対し、知事は「県民に自虐的な感情を抱かせることなく学べるようにするのが大事」としたうえで、「(慰安婦は)兵のいるところに集まってきたり、兵を追っかけて業者が連れていったりするのであって、軍そのものが連れていったりするわけは絶対にない」と述べた。知事は議会終了後、記者団に「軍は衛生管理を行っただけで、慰安婦を連れて行ったわけではない」と持論を繰り返した。
 同資料館は、学識経験者ら14人による運営協議会が展示内容などを決めており、原田美岐子館長は「内容が適切かどうか、運営協議会に諮ることになるかもしれない」と話している。

(2006年6月28日 読売新聞)
埼玉 : 地域 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/saitama/news003.htm





県議会で知事発言 「従軍慰安婦いない」

2006年06月28日
◇政府公式見解と矛盾
 上田清司知事は27日の県議会の一般質問の答弁で「慰安婦はいても、従軍慰安婦はいない」と発言した。従軍慰安婦問題については93年に当時の河野洋平官房長官が旧日本軍の関与を認める談話を出しており、「政府の公式見解を否定するもの」と発言の撤回を求める動きも出ている。
 上田知事は、県平和資料館(東松山市)に展示されている年表の91年の欄に「従軍慰安婦問題など日本の戦争責任論議多発」と書いてあることを挙げ、「古今東西、慰安婦はいても、従軍慰安婦はいない。民間の業者が連れて行ったりするのであって、軍そのものが連れて行ったりするわけは絶対にない」と発言した。
 さらに「自虐的な感情を抱かせることなく、真実、日本の正確な立場を学べるようにするのが大事」「こうした間違った記述は修正しなければならない」と話し、有識者で作る同資料館の運営協議会に展示内容の見直しを要請した。
 議場から「そうだ」「間違っている」と賛意と反発の声が上がり、一時騒然とした。
 従軍慰安婦問題を巡っては93年、政府が公文書や関係者を調査し、「慰安所は当時の軍当局の要請により設営されたもので、旧日本軍が直接または間接に関与した」「業者が募集した場合も本人の意思に反して集められた事例が多い」と日本軍の関与を認めている。
 議会後、共産党県議団は「知事の答弁は政府の公式見解を否定するもの」との談話を発表し、発言の撤回を求めている。

asahi.com:県議会で知事発言 「従軍慰安婦いない」 - マイタウン埼玉
http://mytown.asahi.com/saitama/news.php?k_id=11000000606280003



上田知事:「従軍慰安婦いない」発言、在日団体など抗議声明 /埼玉

上田清司知事が県議会一般質問で、戦時中の従軍慰安婦問題について「古今東西、
慰安婦はいても、従軍慰安婦はいない」と答弁し、在日本大韓民国青年会中央本部は
28日、発言の即時撤回や辞任を求める抗議声明を発表した。

知事は27日の答弁で、県平和資料館(東松山市)に展示されている年表の1991年の
項に「従軍慰安婦問題など日本の戦争責任論議多発」と記述されていることに触れ、
「兵のいるところに集まってきたり、兵を追っかけて民間の業者が連れていったりする
のであって、軍そのものが連れていったりするわけは絶対にない。(年表は)間違った
記述で修正しなければならない」と述べた。小島信昭議員(自民)の「展示内容が偏っ
ている」との指摘に答えた。

従軍慰安婦問題を巡っては93年、政府が調査し、河野洋平官房長官(当時)が「慰安
所の設置、管理及び慰安婦の移送については、旧日本軍が直接あるいは間接に関与
した。慰安婦の募集については、軍の要請を受けた業者が主として当たった」とする談話
を発表している。知事の発言について、共産党県議団、日朝協会県連合会、県教職員
組合も抗議を表明している。【高本耕太】

ソース:毎日新聞
http://www.mainichi-msn.co.jp/chihou/saitama/news/20060629ddlk11010198000c.html




上田知事発言に抗議
日朝協会県連合会など

上田清司知事が「従軍慰安婦はいなかった」などと発言した問題で、日朝協会県連合会
(渡辺貢会長)などが二十八日、抗議する声明を発表した。

同連合会の声明では「知事自身がどのような持論を持とうとも、歴史の事実は打ち消す
ことはできない」と指摘。謝罪の気持ちを表した一九九三年の河野洋平官房長官(当時)
の談話や、二〇〇一年の小泉純一郎首相の手紙を挙げ、「歴史の事実を回避せず、
日本国民自身の教訓として直視し、政府、内閣総理大臣の見解を尊重し真摯(しんし)
に対処されることを望む」としている。

在日本大韓民国青年会中央本部も同日「侵略戦争を肯定し、史実を覆い隠し、戦争
被害を受けた韓国やアジアとの関係に大きな溝をつくる身勝手な史観による発言」とし、
発言の撤回や謝罪などを求める声明を発表。

また、県教職員組合も同日「知事発言は世界の平和の潮流に逆行する。日本の信頼を
揺るがし、県行政への信用を失わせる」などとして発言の撤回を求めた。 (藤原正樹)

ソース:中日新聞
http://www.chunichi.co.jp/00/stm/20060629/lcl_____stm_____004.shtml







「従軍慰安婦」問題(上)~日韓友好に打ち込まれた楔~
 H11.09.25

■1.米軍がレポートする慰安婦の実態■

 米軍情報部は、北ビルマのミチナ慰安所で収容された慰安婦か
らの聞き取りをもとに、以下のような報告書を残している。

 女性たちはブローカー(および経営主)が、300~1000円の
前借金を親に払って、その債務を慰安所での収入で返還してい
る。経営者との収入配分比率は40~60%、女性たちの稼ぎは月
に1000~2000円、兵士の月給は15日~25円。[1,p270]

 慰安婦たちは、通常、個室のある二階建ての大規模家屋に宿
泊して、・・・・寝起きし、業を営んだ・・・・彼女たちの暮らしぶり
は、ほかの場所と比べれば贅沢ともいえるほどであった。

 慰安婦は接客を断る権利を認められていた・・・・負債の弁済を
終えた何人かの慰安婦は朝鮮に帰ることを許された[1,p275]

 また、ビルマのラングーンで慰安婦をしていた文玉珠さんの手
記では、その生活ぶりを次のように語っており、米軍のレポート
を裏付けている。

 支那マーケットにいって買物した。ワ二皮のハンドバッグと
靴をわたしのために買った。母のためにもなにか買った。

 将校さんたちに連れられてジープに乗って、ぺグーの涅槃像
をみに行った・・・・ヤマダイチロウ(日本兵の恋人)と大邱の母
の無事を祈って帰ってきた。[1,p276]

 ちなみに文玉珠さんは、平成4年に日本の郵便局を訪れ、2万
6145円の貯金返還の訴訟を起こして敗れている。千円もあれば故
郷の大邱に小さな家が一軒買えると体験記で述べているが、現在
の貨幣価値なら、4~5千万円程度の金額を、3年足らずで貯め
たことになる。[2,p301]

 「従軍慰安婦」というと、海外では"military sexual slavery
(軍用性奴隷)"などと呼ばれるように、日本軍によって郷里から
強制連行され、戦地では何の自由もなく、もちろん無給で、ひた
すら兵士にもてあそばれた、というイメージが定着している。し
かし、この米軍の報告書では、まったく違う実態が報告されてい
る。一体、どちらが真実に近いのか?

■2.慰安婦問題の経緯■

 まず慰安婦問題の経緯を時系列的に見渡しておこう。

1) 昭和58(1983)年、吉田清治が、著書「私の戦争犯罪・朝鮮
人連行強制記録」の中で、昭和18年に軍の命令で「挺身隊」と
して、韓国斉州島で女性を「強制連行」して慰安婦にしたとい
う「体験」を発表。朝日新聞は、これを平成3('91)年から翌
年にかけ、4回にわたり、報道。

2) 同3年8月11日、朝日新聞は、「女子挺身隊」の名で戦場
に連行され、売春行為を強いられた「朝鮮人従軍慰安婦」の一
人が名乗り出た、と報道。

3) 同4年1月11日、朝日新聞は、一面トップで「慰安所、軍
関与示す資料」、「部隊に設置指示 募集含め統制・監督」
と報道。この直後の16日から訪韓した宮沢首相は首脳会談
で8回も謝罪を繰り返し、「真相究明」を約束。

4) 同5年8月4日、河野官房長官談話、政府調査の結果、「甘
言、弾圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例
が数多くあり、更に、官憲等が直接に荷担したこともあっ
た」と発表。

 この河野談話によって日本政府は、慰安婦が軍によって強制徴
集されたことを公式に認めてしまったことになる。これを契機と
して、中学高校のほとんどの歴史教科書に、「従軍慰安婦」が記
述されることになっていった。

 今日では、各方面の調査が進み、以上の報道、発表がどれだけ
の事実に基づいていたのかが明らかになってきた。以下、この4
点を検証する。

■3.吉田清治の慰安婦狩り■

 まず1)、吉田清治の「私の戦争犯罪・朝鮮人連行強制記録」
では、韓国斉州島での、慰安婦強制連行を次のように、描写して
いる。

 若くて大柄な娘に、山田が「前へ出ろ」とどなった。娘がお
びえてそばの年取った女にしがみつくと、山田は・・・・台をまわ
って行って娘の腕をつかんで引きずりだした・・・・女工たちはい
っせいに叫び声を上げ、泣き声を上げていた。隊員たちは若い
娘を引きずり出すのにてこずって、木剣を使い、背中や尻を打
ちすえていた。・・・・女工の中から慰安婦に徴用した娘は十六人
であった。

 当時は、戦地での強姦事件を防ぐために、公娼業者に戦地で開
業させていた。戦地であるから、業者の指名、戦地への移動、営
業状態の監督などは、軍の関与が当然あった。これらは当時、合
法であった公娼制度の戦地への延長で、特に問題はない。

 「従軍慰安婦」問題とは、本人の意思に反した「強制連行を、
軍が組織的に行ったか、どうか」の問題なのである。したがって、
吉田の言うような強制連行が事実であったら、これは日本の国家
的犯罪となる。

■4.日本人の悪徳ぶりを示す軽薄な商魂の産物■

 吉田の記述は済州島の城山浦にある貝ボタン工場という設定だ
が、この記事に疑問をもった済州新聞の許栄善記者が現地で調査
し、以下のような記事を書いている。

 島民たちは「でたらめだ」と一蹴し、この著述の信想性に対
して強く疑問を投げかけている。城山浦の住民のチョン・オク
タン(八五歳の女性)は「250余の家しかないこの村で、15
人も徴用したとすれば大事件であるが、当時はそんな事実はな
かった」と語った。

 郷土史家の金奉玉は「1983年に日本語版が出てから、何年か
の間追跡調査した結果、事実でないことを発見した。この本は
日本人の悪徳ぶりを示す軽薄な商魂の産物と思われる」と憤慨
している。

 現地調査を行った秦郁彦日大教授は、許栄善女史から、「何が
目的でこんな作り話を書くのでしょうか」と聞かれ、答えに窮し
たという。[1,p232]

 この吉田清治を、朝日新聞は、宮沢首相の訪韓前後1年の間に、
4回も紙面に登場させたのだが、秦教授の調査の後は、ぷっつり
と起用をやめた。今日では、慰安婦問題の中心的糾弾者である吉
見義明中央大教授すら、吉田清治の著作は採用しなくなっている。

■5.名乗り出た慰安婦■

 次に2)の自ら名乗り出た慰安婦について。平成3年8月11
日付け朝日新聞は、社会面トップで「思い出すと今も涙」「元朝
鮮人従軍慰安婦 戦後半世紀重い口開く」とのタイトルで、「日
中戦争や第二次大戦の際、女子挺身隊の戦場に連行され、日本軍
人相手に売春行為を強いられた朝鮮人従軍慰安婦のうち、一人
が」名乗り出たと報じた。

 しかし、この女性、金学順さんは、「女子挺身隊」として連行
などされていない事を、8月14日の記者会見で自ら語っている。
ある韓国紙はそれを次のように報じた。[2,p291]

 生活が苦しくなった母親によって14歳の時に平壌のあるキ
ーセン検番(日本でいう置屋)に売られていった。三年間の検
番生活を終えた金さんが初めての就職だと思って、検番の義父
に連れていかれた所が、華北の日本軍300名余りがいる部隊
の前だった」「ハンギョレ新聞」'91年8月15日付

 当時、内地でもよくあった気の毒な「身売り」の話なのである。
国家による組織的な強制連行とは関係ない。

 そもそも「女子挺身隊」とは、昭和18年9月に閣議決定され
たもので、金学順さんが17歳であった昭和14年には存在して
いない制度である。さらに「女子挺身隊」とは、販売店員、改札
係、車掌、理髪師など、17職種の男子就業を禁止し、25歳未
満の女子を動員したものであり、慰安婦とは何の関係もない。

 さらに「従軍慰安婦」という言葉自体が、当時は存在しなかっ
た。従軍看護婦は、軍属(軍隊の一部)であり、従軍記者、従軍
僧は、法令により定められた身分で指定された部隊につく。慰安
婦は公娼業者が雇ったもので、それはたとえば、県庁の食堂に給
食業者を入れていた場合、その業者の被雇用者は、県の職員では
なく、身分も契約も県とは関係ないのと同じ事だ。「従軍慰安
婦」とは、従軍看護婦などとの連想で、あたかも部隊の一部であ
ると読者に思い込ませるための造語である。

 金学順さんは、その後、日本国を相手とした訴訟の原告の一人
となるが、それを支援しているのが太平洋戦争犠牲者遺族会であ
り、この記事を書いた朝日の槙村記者は、会の常任理事の娘と結
婚している。当然、韓国語も達者であり、金学順さんの話した内
容はよく知っていたはずである。

 金学順さんが「売られた」という事実を隠し、「女子挺身隊と
して連行された」というこの記事は槙村記者による、意図的な捏
造記事である。その後の訂正記事も出していない。

■6.強制連行された慰安婦はいたか?■

 韓国で慰安婦問題の取組みの中心となっている「挺身隊問題対
策協議会」は、元慰安婦として登録された55名のうち、連絡可
能な40余名に聞き取りをした。論理的に話が合うか、など、検
証をしつつ、その中から信頼度の高い19人を選んで、証言集を
出版した。

 今まで何らかの機会に、強制連行されたと主張しているのは、
9人だが、信憑性があるとしてこの証言集に含められたのは、4
人のみ。さらにそのうちの二人は富山、釜山と戦地ではない所で
慰安婦にされたと主張していて、「従軍慰安婦」ではあり得ない。
残る二人が、金学順さんと、冒頭の4~5千万円相当の貯金をし
たという文玉珠さんなのだが、この証言集では、強制連行された
とは述べていない。

 結局、韓国側調査で信憑性があるとされた証言のうち、従軍慰
安婦として強制連行されたと認められたものは、ひとつもない、
というのが実態である。[2,p275]

■7.軍の関与とは■

 次に宮沢首相の訪韓直前に発表され、公式謝罪に追い込んだ
3)の「慰安所、軍関与示す資料」の朝日新聞記事はどうか。

 発見された文書とは昭和13年に陸軍省により、「軍慰安所従業
婦等募集に関する件」であり、その中では、

 民間業者が慰安婦を募集する際、①軍部諒解の名儀を悪用、
②従軍記者、慰問者らを介した不統制な募集、③誘拐に類する
方法を使って警察に取調べられるなどの問題が多発しているの
で、業者の選定をしっかりし、地方憲兵警察と連繋を密にせよ
[2,p267]

と命じている。すなわち「関与」とは、民間の悪徳業者による
「強制連行」を、軍が警察と協カしてやめさせようとした事なの
である。

 この内容を「慰安所、軍関与示す資料」、「部隊に設置指示 
募集含め統制・監督」とタイトルをつけて、一面トップで報道し、
さらに次のような解説を載せた。

従軍慰安婦。1930年代、中国で日本軍兵士による強姦事件が多
発したため、反日感情を抑えるのと性病を防ぐために慰安所を
設けた。元軍人や軍医などの証言によると、開設当初から約八
割は朝鮮人女性だったといわれる。太平洋戦争に入ると、主と
して朝鮮人女性を挺身隊の名で強制連行した。その人数は八万
とも二十万ともいわれる。

 これらをあわせ読めば、ほとんどの読者は、「日本軍が組織的
に強制連行に関与した」と思い込むであろう。まことに巧妙なひ
っかけ記事である。

 この記事が、狙い済ましたように、宮沢首相訪韓のわずか5日
前に発表されたことから、絶大な効果を発揮した。ソウル市内で
は抗議・糾弾のデモ、集会が相次ぎ、日の丸が焼かれる中で、宮
沢首相は事実を確認する余裕もなく、8回も盧泰愚大統領に謝罪
を繰り返した。(続く)

■ 参考 ■
1. 「慰安婦の戦場の性」、秦郁彦、新潮選書、H11.6
2. 「闇に挑む!」、西岡力、徳間文庫、H10.9
3. 「慰安婦強制連行はなかった」、太子堂経慰、展転社、H11.2
4. 「歴史教科書への疑問」、日本の前途と歴史教育を考える
  若手議員の会編、展転社、H9.12.23
5. 「日本人が捏造したインドネシア慰安婦」、中嶋慎三郎、
  祖国と青年、H8.12
6. 産経新聞、H11.08.27 東京朝刊 4頁 国際2面

http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h11_2/jog106.html





「従軍慰安婦」問題(下) ~仕掛けられた情報戦争~
H11.10.02

■1.強制を示す文書はなかった■

 宮沢首相は、盧泰愚大統領に調査を約束し、その結果が、4)
(前号)、翌平成5年8月4日の河野官房長官談話となった。政
府調査の結果、「甘言、弾圧による等、本人たちの意思に反して
集められた事例が数多くあり、更に、官憲等が直接に荷担したこ
ともあった」と発表され、慰安婦強制連行があったことは、政府
の公式見解となった。

 この発表のために、政府はおおがかりな文書調査と、元慰安婦
への聞き込みを行った。前号冒頭に紹介した米軍の報告書も、こ
の文書調査で発見されたものだ。それでは、いかなる事実によっ
て「官憲等が直接に荷担した」と結論づけたのか?

 この調査を実施した平林博・外政審議室室長は、平成9年1月
30日、参議院予算委員会で、片山虎之助議員(自民党)の質問
に対し、次のような答弁をしている。[3,p204]

 政府といたしましては、二度にわたりまして調査をいたしま
した。一部資料、一部証言ということでございますが、先生の
今御指摘の強制性の問題でございますが、政府が調査した限り
の文書の中には軍や官憲による慰安婦の強制募集を直接示すよ
うな記述は見出せませんでした。

 ただ、総合的に判断した結果、一定の強制性があるというこ
とで先ほど御指摘のような官房長官の談話の表現になったと、
そういうことでございます。

■2.総合的に判断した結果■

 資料はなかったが、「総合的に判断した結果」、強制性があっ
たという。この判断の過程について、当時、内閣官房副長官だっ
た石原信雄氏は、次のように明らかにしている。

 強制連行の証拠は見あたらなかった。元慰安婦を強制的に連
れてきたという人の証言を得ようと探したがそれもどうしても
なかった。結局談話発表の直前にソウルで行った元慰安婦十六
名の証言が決め手になった。彼女達の名誉のために、これを是
非とも認めて欲しいという韓国側の強い要請に応えて、納得で
きる証拠、証言はなかったが強制性を認めた。

 もしもこれが日本政府による国家賠償の前提としての話だっ
たら、通常の裁判同様、厳密な事実関係の調査に基づいた証拠
を求める。これは両国関係に配慮して善意で認めたものである。
元慰安婦の証言だけで強制性を認めるという結論にもっていっ
たことへの議論のあることは知っているし批判は覚悟している。
決断したのだから弁解はしない(櫻井よしこ「密約外交の代
償」「文塾春秋」平成9年4月)[3,p58]

 元慰安婦からの聞き取り調査は、非公開、かつ裏付けもとられ
ていないと明かされいるが、そうした調査の結果、「韓国側の強
い要請」のもとで「納得できる証拠、証言はなかったが強制性を
認めた」ものなのである。

 聞き取りが終わったのが7月30日。そのわずか5日後の8月
4日、河野談話が発表された。同日、宮沢政権は総辞職をした。
まさに「飛ぶ鳥跡を濁して」の結論であった。

■3.日本の言論機関が、反日感情を焚きつけた■

 「強い要請」を行ったという韓国政府の態度について、石原氏
は国会議員との会合で次のように語っている。

 もう少し補足しますと、この問題の初期の段階では私は韓国
政府がこれをあおるということはなかったと。むしろこの問題
をあまり問題にしたくないような雰囲気を感じたんですけれど
も、日本側のいま申した人物がとにかくこの問題を掘り起こし
て大きくするという行動を現地へいってやりまして、そしてこ
れに呼応する形で国会で質問を行うと。連携プレーのようなこ
とがあって、韓国政府としてもそう言われちゃうと放っておけ
ないという、そういう状況があったことは事実です。[4,p314]

 この「いま申した人物」について、石原氏は「ある日本の弁護
士さん」として、名前は明かしていない。

 慰安婦問題は、日本の一部の人間が焚きつけた、という認識は、
韓国側の盧泰愚大統領の次の発言にも、見られる。

 日本の言論機関の方がこの問題を提起し、我が国の国民の反
日感情を焚きつけ、国民を憤激させてしまいました。(文芸春
秋、H5.3 )[1,p302]

■4.インドネシアに現れた日本人弁護士たち■

 日韓関係と同様、インドネシアとの間でも、慰安婦問題が焚き
つけられた。平成5年に高木健一氏(金学順さんらの日本政府に
対する訴訟の主任)ら、日本の弁護士3人がインドネシアにやっ
てきて、地元紙に「補償のために日本からやってきた。元慰安婦
は名乗り出て欲しい」という内容の広告を出した。[5]

 兵補協会のラハルジョ会長は、「補償要求のやり方は、東京の
高木健一弁護士の指示を受け」、慰安婦登録を始めた。会長は取
材した中嶋慎三郎ASEANセンター代表に対して、「慰安婦に2百
万円払え」と怒号したというから、名乗りでれば、2百万円もら
えると宣伝している模様であった、と言う。

 インドネシアでの2百万円とは、日本なら2億円にも相当する
金額なので、大騒ぎとなり、2万2千人もが元慰安婦として名乗
りをあげた。ちなみに、当時ジャワにいた日本兵は2万余である。

 この様子を報道した中京テレビ製作のドキュメンタリー「IA
NFU(慰安婦)インドネシアの場合には」に、英字紙「インド
ネシア・タイムス」のジャマル・アリ会長は次のように語った。

 ばかばかしい。針小棒大である。一人の兵隊に一人の慰安婦
がいたというのか。どうしてインドネシアのよいところを映さ
ない。こんな番組、両国の友好に何の役にも立たない。我々に
は、日本罵倒体質の韓国や中国と違って歴史とプライドがある。
「お金をくれ」などとは、360年間、わが国を支配したオラ
ンダにだって要求しない。

■5.慰安婦番組での仕掛け■

 ちなみに、この番組では、元慰安婦のインタビュー場面が出て
くるが、ここでも悪質な仕掛けがあった。元慰安婦が語る場面で、
日本語の字幕で

 戦争が終わると日本人は誰もいなくなっていたんです。私た
ちは無一文で置き去りにされたんです。

 と出ているのだが、実際には、インドネシア語で、

 あの朝鮮人は誰だったろう。全員がいなくなってしまったん
です。私たちは無一文で置き去りにされたんです。

 と話していたのであった。慰安所の経営者は朝鮮人であり、戦
争が終わると、慰安婦たちを見捨てて、姿をくらましたのである。

■6.あなた方日本人の手で何とかしてください■

 この番組の予告が、日本共産党の機関紙「赤旗」に出ていたこ
とから、インドネシア政府は、慰安婦問題の動きが、共産党によ
り、両国の友好関係を破壊する目的で行われていると判断したよ
うだ。

 スエノ社会大臣が、すぐにマスコミ関係者を集め、次の見解を
明らかにした。

1) インドネシア政府は、この問題で補償を要求したことはな
い。
2) しかし日本政府(村山首相)が元慰安婦にお詫びをしてお
金を払いたいというので、いただくが、元慰安婦個人には
渡さず、女性の福祉や保健事業のために使う。
3) 日本との補償問題は、1958年の協定により、完結している。

 インドネシア政府の毅然たる姿勢で、高木弁護士らのたくらみ
は頓挫した。この声明の後で、取材した中嶋氏は、数名のインド
ネシア閣僚から、次のように言われたという。

 今回の事件の発端は日本側だ。悪質きわまりない。だが、我
々は日本人を取り締まることはできない。インドネシアの恥部
ばかり報じてインドネシア民族の名誉を傷つけ、両国の友好関
係を損なうような日本人グループがいることが明白になった。
あなた方日本人の手で何とかしてください。

■7.国内で急速に冷める関心■

 地道に調査を進める人々の努力により、奴隷狩りのような強制
連行の事実はないことが明らかになると、さすがに慰安婦問題を
糾弾する人々の間でも、強制性の定義を修正せざるを得なくなっ
てきた。たとえば、糾弾派の中心人物である吉見義明・中央大学
教授は、岩波新書の「従軍慰安婦」で、次のように述べている。

 その女性の前に労働者、専門職、自営業など自由な職業選択
の道が開かれているとすれば、慰安婦となる道を選ぶ女性がい
るはずはない・・・たとえ本人が、自由意思でその道を選んだ
ように見えるときでも、実は、植民地支配、貧困、失業など何
らかの強制の結果なのだ。[6,p103]

 「強制性」をここまで広義に解釈すれば、現代の風俗関係の女
性たちも、貧困や失業など何らかの「強制の結果」であり、国家
が謝罪と補償をすべきだ、ということになってしまう。さすがに
このような暴論では、常識ある国民の理解を得られるはずもなく、
国内の慰安婦問題に関する関心は急速に冷めていった。

■8.国連での攻防■

 しかし国際社会では、事実の伝わりにくさを利用して、慰安婦
問題をスキャンダルに仕立てようとするアプローチが今も展開さ
れている。その最初は宮沢首相の訪韓直後の平成4年2月17日、
日本弁護士連合会の戸塚悦郎弁護士が、国連人権委員会で、慰安
婦を人道上の罪と位置づけ、国連の介入を求める発言をした事で
ある。

 平成8年3月にジュネーブで開かれた国連の人権委員会に提出
されたクマラスワミ女史の報告書は、家庭内暴力を主テーマにし
ているのに、その付属文書に「戦時の軍用性奴隷制問題に関する
報告書」と題して、半世紀以上前の日本の慰安婦問題を取り上げ
ている。

 戸塚弁護士は、この時にもジュネーブで本岡昭次参議院議員
(社会党→民主党)とともに、デモやロビー活動を行っている。

 報告書は、やはり吉田清治の本や、慰安婦たちの証言を取り上
げている。その中で、北朝鮮在住の元慰安婦の証言として、

 仲間の一人が一日40人もサービスするのはきついと苦情を
言うと、ヤマモト中隊長は拷問したのち首を切り落とし、「肉
を茹でて、食べさせろ」と命じた。

 などという話が紹介されている。この元慰安婦は、1920年に生
まれ、13歳の時に一人の日本兵に拉致されたという拉致された
というのだが、1933年の朝鮮は平時であり、遊郭はあったが、軍
専用の慰安所はなかった。その程度の事実確認もされていない証
言が、4例紹介され、その上で日本政府に対し、被害者への補償、
犯罪者の追及と処罰を勧告している。

 日本のジュネーブ外務省はこの文書に関する40頁の反論を作
成し、根回し工作をしたもようだ。西側諸国代表の間では、クマ
ラスワミ報告書の欠陥が理解されたが、韓国、北朝鮮、中国、フ
ィリピンなどの関係国は立場上、強く反発した。

 このような攻防の結果、人権委員会では家庭内暴力に関する本
文は「賞賛する」という最高の評価を得た一方、慰安婦に関する
部分は、take note(留意する)という最低の評価であった。
[1,p259]

■9.情報戦争から、いかに国益と国際友好関係を守るか■

 平成10年8月、今度は、ゲイ・マクドゥーガル女史が、旧ユ
ーゴスラビアなど戦時下における対女性暴力問題を調査した報告
書を作成したが、その付属文書で、またも慰安婦問題を取り上げ、
「レイプ・センターの責任者、利用者の逮捕」と「元慰安婦への
法的賠償を履行する機関の設置」を日本政府に勧告した。

 慰安所は「レイプ・センター(強姦所)」と改称されている。
しかし、これは人権小委員会の勧告としては採択されず、日本政
府はマ女史の個人報告書に過ぎない、としている。

 本年8月には、米カリフォルニア州上下院が第二次大戦中に日
本軍が行ったとされる戦争犯罪について、「日本政府はより明確
に謝罪し、犠牲者に対する賠償を行うべきだ」とする決議を採択
した。この「戦争犯罪」には、捕虜の強制労働、「南京虐殺」と
ならんで、「従軍慰安婦の強要」が含まれている。[7]

 カリフォルニア州議会の決議には、アイリス・チャンの「レイ
プ・オブ・ナンキン」の影響が指摘されている。チャンの本につ
いては、本講座60号で紹介したように、中国政府の資金援助を
受けたシナ系米人の団体が支援している。

★ JOG(60) 南京事件の影に潜む中国の外交戦術

 南京事件と慰安婦問題は基本的に同じ構造をしている。チャン
の本は、日米関係に対する楔であり、慰安婦は日韓友好への楔と
して仕掛けられた。これらの問題について、米国や韓国の対応を
非難することは、友好関係を破壊しようとする狙いに乗ることに
なる。

 国家の安全を脅かすものは、テポドンや工作船のようなハード
の武力だけではない。一国の国際的地位を貶め、友好国との関係
に楔を打ち込むような情報戦争が、外国と国内勢力の結託により
次々と仕掛けられている。こうした攻撃から、いかにわが国の国
益と国際友好関係を守るか、ソフト面の自衛体制が不可欠となっ
ている。

■ 参考 ■
1. 「慰安婦の戦場の性」、秦郁彦、新潮選書、H11.6
2. 「闇に挑む!」、西岡力、徳間文庫、H10.9
3. 「慰安婦強制連行はなかった」、太子堂経慰、展転社、H11.2
4. 「歴史教科書への疑問」、日本の前途と歴史教育を考える
  若手議員の会編、展転社、H9.12.23
5. 「日本人が捏造したインドネシア慰安婦」、中嶋慎三郎、
  祖国と青年、H8.12
6. 「従軍慰安婦」、吉見義明、岩波新書、H7.4
7. 産経新聞、H11.08.27 東京朝刊 4頁 国際2面

JOG(107) 「従軍慰安婦」問題(下)
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h11_2/jog107.html


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