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大虐殺「蒋介石の虚構」 南京陥落70年「再検証」出版相次ぐ

2007年12月08日 | Books
2007.12.8 00:18
 南京攻略戦の関連書籍の出版が相次いでいる。東京日日新聞の“百人斬り”記事によって銃殺刑に処された野田毅少尉が生前につづった『野田日記』が近く刊行されるほか、日中関係史、戦史、死傷者数の検証など多様な観点からの出版ラッシュだ。南京陥落(1937年12月13日)から間もなく70年。「大虐殺」説に基づく米映画が話題になるなど虚構が“事実”として広まるなか、きちんと史実を再検証しようという機運が高まっている。(桑原聡、牛田久美)
 『野田日記』は、直筆の7冊を遺族が保管していたものを展転社が書籍化。公開を前提とせず書き留められていたもので、出来事を活写した一次資料として貴重なものと校了前から予約が相次いでいるという。同社からは11月末に『「百人斬り訴訟」裁判記録集』も刊行された。
 南京事件の犠牲者数を4万人とみる実証史家、秦郁彦氏は『南京事件-「虐殺」の構造』(中公新書)の増補版を出版。“ニセ写真”の実証で知られる東中野修道氏は、一次資料で行軍を再現した『再現南京戦』(草思社)を刊行した。
 近現代史研究家の阿羅健一氏=写真=による『再検証 南京で本当は何が起こったのか』(徳間書店)は、国民党による「戦時宣伝」から「南京大虐殺」という虚構が生み出され、独り歩きを続けるプロセスの解明を試みていて興味深い。
 「大虐殺など存在しない。蒋介石の宣伝工作によるでっちあげだった」と阿羅氏は指摘する。東京裁判では、欧米の特派員のリポートや宣教師の証言が「大虐殺」の証拠とされた。だが、彼らが国民党に抱き込まれ、反日宣伝工作をしていたことなどが近年の研究で判明している。

 「毛沢東は、国民党の戦時宣伝だったことを知っていたから、1976年に死ぬまで『南京大虐殺』という言葉を口にしなかった。中国がこれを外交カードとして使うようになったのは、●(=登におおざと)小平が実権を握った80年代からです」
 79年3月に発行された中国の中学用の歴史教科書のどこにも「南京大虐殺」の記述はない。教科書に初めて記述が登場するのは81年。「日本軍は南京を占領すると狂ったように大規模な殺戮(さつりく)を展開した。(中略)殺害された者は30万人を下らなかった」という内容だった。
 日本でも、東京裁判終了後、20年あまりの間、「南京大虐殺」が報じられることはなかった。それは「南京攻略戦の周辺現場にいた人々が新聞社の中核にいたため」だという。「南京大虐殺」が再び注目を集めたのは昭和46(1971)年に本多勝一氏が朝日新聞に連載した「中国の旅」がきっかけだった。
 「本多氏以前にも『南京大虐殺』があったと信じるジャーナリストや学者が中国側に証言や史料を求めていた。こうした日本人の要求で、中国側は外交カードになると考え、『虚構』を『事実』とする準備を進めていった」(阿羅氏)
 南京攻略戦については「大虐殺」の存在を前提にした米ドキュメンタリー映画「南京」がアカデミー賞の有力候補に挙げられて話題になっている。歴史的事実がどうであるのか、冷静に見極めたい。
 ■南京攻略戦 旧日本軍が中華民国首都・南京を攻撃した戦闘。中国側はその際に虐殺、略奪などが行われたと主張。死者数は当初「2万人」とされたが、中国側発表は「20万人」「30万人」と次第に膨れあがった。しかし、証拠とされるものは誇張や偽装だったことが実証的研究で明らかになっている。

http://sankei.jp.msn.com/culture/academic/071208/acd0712080018000-n1.htm 

南京で本当は何が起こったのか
http://specialnotes.blog77.fc2.com/blog-entry-1193.html




「大虐殺なかった」 南京の真実 国民の集い、旧日本兵証言
12月7日8時1分配信 産経新聞
 「南京事件」から70年を迎えるに当たり、「南京陥落70年 国民の集い 参戦勇士の語る『南京事件』の真実」(南京事件の真実を検証する会主催)が6日、東京都千代田区の九段会館で開かれ、参戦した旧日本兵が「南京での大虐殺はなかった」と証言した。

 検証する会の加瀬英明会長が「中国、米国などがこの事件を取り上げ、日本の非道を改めて告発する動きがある。これに対し南京事件の真実を世に訴えたい」と開催の趣旨を説明した。

 日本「南京」学会の冨沢繁信理事は「当時、南京の市民は南京の安全地帯に集められていた。中国軍は南京を捨てて退却したが、一部は市民に紛れて安全地帯にいた。安全地帯以外に人がいない状況で事件が起こるはずがない。南京の当時の人口は20万人だったが、安全地帯の人口は減らなかった」と述べた。

 南京戦に参戦した元兵士5人が拓殖大の藤岡信勝教授の質問に答える形で証言。第9師団(金沢)に所属していた近藤平太夫さん(93)は「城内では中国人が日本人相手に露店を出して商売をしていた」と述べ、その際に購入した印鑑を示して城内が平和だったことを強調。虐殺や略奪については全員が「見聞きしたことはない」と明言した。

 「南京事件」については中国などが、昭和12年12月に旧日本軍が南京を占領した際、一般市民を巻き添えにして虐殺、婦女暴行、略奪を行ったとしている。中国側は被害者数を30万人と主張している。

写真説明=参戦勇士の語る「南京事件」の真実。最高齢の稲垣清さん(97)ら5名の参戦勇士が当時の様子を語った(午後7時26分、千代田区の九段会館)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20071207-00000102-san-soci



(読者の声1) 『南京の真実 第一部 七人の「死刑囚」』完成試写会(14日、九段会館)での二時間に亘るパネル・ディスカッション、宮崎さんもご登壇。お疲れ様でございました。

その中である方が、日本の教科書が最初に「南京事件」を取り上げたのは昭和50年で、死者を4.2万人とした。 一方中国の歴史教科書が「南京」を最初に記載したのは昭和56年と述べていました。

そして実は、朝日新聞記者の本多勝一が昭和46年に週刊朝日に連載し、47年に単行本化した「中国の旅」が、「南京事件」の教科書記述の切欠となったと述べていました。

1980年代の初めに、靖国神社を「靖国問題」にした当時中国特派員だった加藤千洋、安倍晋三・中川昭一両議員による渋谷放送への政治介入をでっち上げた本田雅和など、火のないところに煙を立て、歴史的事実を偽造して、世を騒がせ、瓦版を売ることに長けた異能の輩が揖集する胡乱な集団が築地瓦版屋です。

本多勝一氏は「中国の旅」について連載当時、次のように語っています。
(引用開始)

「今なぜああいうものを書いたかといいますとね、結論から先に云えば、今だからこそ書いたんです。終戦直後でもない、十年前でもない、まさに今だからこそなんです。今、ああいうものを読めば、イヤな感じを受け、もうウンザリだという人がいるでしょうね。ぼくはそういう人に読んでもらおうと思って書いたんですよ。日本人は、大雑把に云って侵略民族です。

アメリカもそうですね。侵略民族というのは、侵略される側のことはまったく理解できないんです。だから、読んでもウンザリするだけなんでしょう。

日本では、ナチスのユダヤ人殺しがどのように行われたのか、そういう風景を描いたものがたくさん翻訳されている。ところが、日本人自身がやったことは触れたがらない。私が今回、具体的にそれを描いているのは、どういう殺され方をしたかを知らせることです。
 概念的に何千万人殺されたか、じゃあ説得力がない。風景として、どのように殺されたのかを知ることで、それは意味が違ってくるんです」。

(引用止め)

本多は日本兵が村人達を一ヶ所に集め、包囲して機関銃の一斉射撃をする様子を、次のように描写しています。
「・・・言葉に表しようのない地獄絵になった。即死する者や重傷者はもちろん倒れたが、生きている者も本能的に伏せた。ぎっしり重なった死者も生存者も血にまみれ、その間にとびだした内臓もまぜこぜになった。・・・上向きの人、下向きの人、割れた頭、けいれんした足などが、血だらけになっている。 死にきれない重傷者たちの、うめく声がたくさんきこえた・・・」

別のパネリストの方が云っていました。

旧ソ連大使館の前にはシベリアに抑留され死んでいった同胞6万人(一説には10万人近い)を悼む巨大な塔を建て、中国大使館の前には通州事件で虐殺された同胞228人を22万人として悼む塔を建て、皆で毎日祈りをささげようと。

途中退席した渡部昇一氏が、日本の雑誌を読める外国人学者や外人ジャーナリストなんて見たことがない。だから我々は英語の土俵で戦い、そこで勝負しなければいけない。そしてこれは必ず勝てる情報戦だと述べていたのが印象的でした。

宮崎さんは今年『中国は猛毒を撒き散らして自滅する』を書いて好評だったので、来年は「中国経済の崩壊・自滅」(仮題)をテーマに書くと予告されていました。

楽しみにしております。
    (有楽生)






平尾治 著「或る特種情報機関長の手記-わが青春のひととき-」

《私が北京の方面軍司令部に在勤の折、上司の秋富繁次郎大佐(陸士29期生)に盧溝橋事件の真相について質問してみた。大佐は即座に中共の仕業に間違いないと言われ、その理由を次のように語られた。
 支那駐屯軍は当時天津に軍司令部が置かれ、その司令部内に少佐を長とする特種情報班が配属され、無線による情報収集に任じていた。班に所属する通信手が盧溝橋事件発生の深夜、北京大学構内と目される通信所より、延安の中共軍司令部の電台に緊急無線で呼出が行われているのを傍受した。
 電信内容は平文の明●(※石へんに馬)で「2052 0501 0055」ー成功了ーうまくいったーと三回連続して反復送信したという。その時は何がうまくいったのか判断に苦しんだが、数日してこれは盧溝橋で日中両軍をうまく衝突させることに成功したと、報告したことに間違いないとわかったとか。
 この電報は中国軍の機要室でも傍受したらしく、青島で戦後中国参謀と会談の際、出所ははっきり言わなかったが、盧溝橋事件の直後、延安に成功電報を打ったから、これは中共の陰謀であったと話していた。》

 《東京裁判で、連合国側は盧溝橋事件は日本軍が起こしたものと判断し、当時の責任者として河辺旅団長、牟田口連隊長を戦犯として起訴拘留していた。ところが昭和23年頃だったか、中共政府の劉少奇副主席が突然西側諸国の記者団に対し、証拠を示して盧溝橋事件を起こしたのは自分が北京大学の学生を使って発生させたものであると発表した。東京裁判判検事団は大騒ぎとなり、すぐ二人の戦犯容疑を取消して釈放された。この頃中共政府は日本に対しとても好意的で、毛主席も日本の訪中団に対し、中国の共産革命が成功したのは、旧日本軍が国府軍を撃破してくれたお陰だと、とても感謝していたとか。
 又盧溝橋事件の裏づけとして、戦後中共軍に入隊していた葛西純一氏が、中共の47年(昭和22年)人民解放軍総政治部発行の「戦士政治読本」には、「7・7事変は劉少奇同志の指揮する抗日救国学生の一隊が、決死的行動を以って党中央の指令を実行したもの」と記されてあると、手記を発表されている。
 なお仄聞する処によると、この事件の首謀者は、中国革命の最大功労者として表彰されたとか。》

平尾治さんという方の著書「或る特種情報機関長の手記-わが青春のひととき-」

与党訪中団への危惧と盧溝橋事件-国を憂い、われとわが身を甘やかすの記:イザ!
http://abirur.iza.ne.jp/blog/entry/103746







【やばいぞ日本】「日本人、恥ずかしい…」
 ■第4部 忘れてしまったもの(8)

 旧日本軍の“残虐行為”をアピールする中国の南京大虐殺記念館の一隅に、多数の千羽鶴が飾られているコーナーがある。日本から修学旅行で訪れた高校生らが贈ったものだ。

 見学した高校生はどう感じたのだろうか。鹿児島の県立高校生は、同館を訪れた感想文をこうつづった。

 「日本人が中国人にどれだけひどいことをしたのかがよく分かりました。どのパネルも悲惨なものばかりで目を覆いたくなりました。特に山積の死体の写真や日本兵が首を切ろうとする直前の写真が印象に残りました。同じ日本人として、絶対に許されるものではなく、とても恥ずかしく思いました」

 別の生徒はこう書いた。

 「あまりにも無惨(むざん)な写真を1枚1枚見ていくごとに、涙があふれでていた。私と同じ日本人が、中国人に対して人間のすることじゃないことをしていたなんて。私は彼らと同じ日本人であることが恥ずかしかった。それに、あんなひどいことをした私たち日本人に対して、優しく接してくれる中国人の偉大さに驚いた」

 このように見学した生徒の大半は、日本人であることを「恥ずかしく思う」と記した。

 円高で海外旅行が身近になった1990年代以降、修学旅行先に中国や韓国を選ぶ学校が急増した。文部科学省によると昨年度に中韓を訪れた中学は28校(2149人)、高校は324校(4万309人)に上る。中には南京大虐殺記念館や盧溝橋抗日戦争記念館などの反日プロパガンダ施設をコースに含む学校も。文科省が以前、高校8校を抽出してコースを調べたところ、うち2校が反日施設を見学していた。

 1999年には、卒業式の国旗国歌問題で校長が自殺した広島県立世羅高校でも、生徒が韓国の独立運動記念公園で謝罪文を朗読したことが分かった。

 鹿児島県でも、毎年10校近くの県立高校が南京大虐殺記念館を訪れていたが、2002年、県議会は修学旅行先から同館を除くよう求める次のような陳情を全国で初めて採択した。

 「政治的宣伝の場に生徒を誘導し、反国家的教育をすることがあってはならない」
 「反戦平和や償いなどの大義名分で、生徒の精神を自国への懐疑と侮蔑(ぶべつ)、強烈な自己不信へと追いやってはならない」

 「反日的企図で生徒の洗脳に好都合な施設を選定することは、特定の傾斜を持った歴史観を強要することであり、道義上も許されない」

 ところが採択後も、一部の県立高校は「生徒自身が選択した」として同館を訪れた。その理由について、生徒を以前引率した経験があるという別の高校関係者は、こう打ち明ける。

 「一部の教員が『南京で平和教育ができるから』と強く主張し、コースに入れられた。教員全員が賛同していたわけではない。だが、平和教育のためといわれれば、反対しにくい」

 祖国への自信や誇りを持たせないようにする教育がいまだにまかり通っている現実がある。

 ■育まれない国旗国歌への敬意

 文部科学省は2003年度から、公立小中高校の卒業・入学式での国歌斉唱率と国旗掲揚率の調査を中止した。「国旗も国歌もほぼ100%。学校での国旗国歌の指導は定着した」(文科省幹部)と判断したからという。

 大分県の国歌斉唱率も1999年度から毎年100%と報告されている。

 だが、大分県の教育関係者らの集まりである民間教育臨調が県内の小中学校の約2割、95校を対象に昨年実施した保護者アンケート調査によると、児童生徒が国歌をきちんと歌った学校は26%にすぎない。半数近くの学校は会場に国歌のテープが流れるだけで、児童生徒は誰も斉唱しなかったというのだ。

 教員はさらにひどい。「大部分が斉唱」したのは8%だけだ。逆に「校長ら管理職以外は誰も斉唱しない」ケースが66%だ。校長すら斉唱しない学校も複数あった。

 なぜ、こんな事態になっているのだろうか。日教組などが進める「平和教育」の影響が大きい。

 大分県教組大分支部の平和教育小委員会は2002年、小1から中3まで各学年で国旗国歌をどう教えるかを示した「日の丸・君が代学習系統表」を作成、現場の教員に配布した。そこには次のような指導目的が掲げられていた。

 小1▽「ああうつくしい」と歌われている「ひのまる」を悲しい思いで見ている人たちがいることを知る

 小2▽「君が代」が「国歌」として使われるようになったが、この歌で悲しい思いをする人もいることを知る

 小5▽戦時中、戦争を推し進める手段の一つとして、小学校でも「日の丸」教育が行われ、日本中で戦意を高揚させていたことを知る

 小6▽99年8月、(国旗及び国歌に関する法律が)「数の力」によって成立し、法制化された経緯を知り、問題点を考える

 中1▽「日の丸」「君が代」が思想統制のために使われたことを知る

 中3▽国民主権と天皇制の矛盾、現在の国旗・国歌のあり方について考える…

 この系統表について大分県教組大分支部は「作成したのは事実だが、現在は配布しておらず、現場でも使われていないと思う。詳しいことは分からない」と言葉を濁す。

 学習指導要領は「我が国の国旗と国歌の意義を理解させ、これを尊重する態度を育てるとともに、諸外国の国旗と国歌も同様に尊重する態度を育てるよう配慮する(小学6年)」と規定している。

 昨年12月、改正された教育基本法も「伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛する」とうたっている。

 文科省は、大分県教組の系統表に対し、「学習指導要領に反する内容だ」(教育課程課)としながらも、実態調査などに乗り出すつもりはないという。

 自国や他国の国旗・国歌に敬意を示すことができない児童生徒がこうして誕生していくのである。(川瀬弘至)

【用語解説】南京大虐殺記念館
 1937(昭和12)年、旧日本軍の南京攻略で捕虜や市民に多くの犠牲者が出たことを受け、1985年に開館した。入り口付近の石壁に犠牲者数が30万人とする数字が刻まれ、館内には残虐な絵画などが展示されている(60周年記念行事、ロイター)。「30万人虐殺」説は、日本側の実証的な研究によって否定されている。

http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/natnews/101914/





【週末読む、観る】『中国人とは愛を語れない!』
2007.12.15 09:54
『中国人とは愛を語れない!』
 ■河添恵子著『中国人とは愛を語れない!』(並木書房・1575円)
 中国人のいやな面を「これでもか」とあぶりだしている。どこの国にもいやな人間はいるものだが、著者によると、中国人はホリエモンもびっくりの拝金主義者で、公衆道徳も衛生観念もなく、反省などまっぴらで「ごめん」と謝ることをなにより嫌う。
 「世界の工場」ではニセモノをせっせと生産し、人が死に至る危ない薬さえも作ってしまう。段ボール製の肉まんも話題になった。1980年代後半に著者が中国留学中に買った白パンは、3カ月が経過してもカビひとつ生えず、防腐剤の固まりのような“消費無期限食品”だったらしい。
 読めば読むほど、中国の毒気に当たりそうだが、ものは考えようだ。中国へ行く前に、本書を読んで免疫力を高めておけば、決してへこたれないだろう。

http://sankei.jp.msn.com/culture/books/071215/bks0712150954027-n1.htm

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