元従軍慰安婦、ベトナム戦争時の韓国軍による虐待行為を調査

2006年03月30日 | 支那朝鮮関連
元従軍慰安婦、ベトナム戦争時の韓国軍による虐待行為を調査
2006/03/30 07:12 JST更新
 3月22・23日の両日、旧日本軍の従軍慰安婦被害者の会の会員であるYune-Chung Okさんと研究者グループが中部地方フーイエン省を訪れ、ベトナム戦争に参戦した韓国軍兵士が行ったベトナム人女性への性的虐待に関する調査を行った。

 調査は、ベトナム戦争中にアメリカを支援し参戦した各国軍による性的虐待が頻発した中部地方のフーイエン省、クワンガイ省、ビンディン省で実施され、研究者グループは被害者から直接聞き取りを行なうなど虐待の証拠を収集した。

 Yune-Chung Ok代表は、「戦時中に性的虐待を受けた多くの女性が現在も耐えがたい苦しみを抱えて生活しており、支援を必要としている」と語った。

元従軍慰安婦、ベトナム戦争時の虐待行為を調査 - VIETJO ベトナムニュース
http://viet-jo.com/news/social/060326094227.html







日本の慰安婦→強制、韓国の強姦→自由恋愛
http://blog.livedoor.jp/sanchez7/archives/50815612.html

【韓国】 慰安婦とベトナム戦争混血児・・・戦争被害・人権問題で世界の青少年の連帯を望む[08/19]
http://news21.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1187530723/
(京郷新聞)今月13日、8・15光復を迎え『平和を愛する韓国青少年の歴史の会』(以下、歴史会)が結成した11名の「日本軍慰安婦抗議訪問団」が日本を訪問した。

訪日中の日程には、日本の青少年たちと総理にあてた所信朗読が含まれていたが、その骨子はそれぞれ「他国人たちに苦痛を与えた日本の歴史に対して記憶することと真正な平和のために戦争に対して反省すること」を、そして「日本軍の戦争被害-生存女性問題に対して心より謝罪することで日本が経済大国だけではなく良心大国、平和大国の主軸になること」を促すのだった。

歴史会青少年らの日本訪問に対する消息はその日の夕方、テレビと新聞、インターネットを通じて詳しく報道されたが、インタビューに応じた何人かの青少年たちは、日本軍の戦争被害-生存女性問題について何も知らないと言って歴史会青少年らの真価をもっと輝かせた。試験成績や芸能人だけに没頭した私の青少年時代を振り返えても、歴史会青少年たちの活動は、意味のある行動であったことは間違いない。

ところが、これらの消息に接して、ベトナム青少年たちもベトナム戦争中の韓国兵士らが現地女性たちと一緒に生んだが‘見捨てて’きた子供たちの問題で我が国を抗議訪問する可能性もあると考えた。
もちろん日本軍戦争被害-生存者女性問題は日本政府が体系的で具体的に強制した結果で、ベトナム戦争孤児問題は韓国軍人とベトナム女性個人の意思決定によることだという差がある。それにもかかわらず、韓国被害-生存女性たちと、ベトナム孤児とその母親たちは願わなかったやり方で自分たちの人生の一部が他人によって‘作られた’と言う共通点を持っている。

大人たちが行った事によって、青少年たちが国境を出入りしてお互いの過ちを思い起したり謝罪を求めることは見ても想像してもきまり悪い事だ。彼らが既成世代よりもうちょっと開かれた心で会って交流しながら人類平和のために連帯することを希望するからだ。そうするために、青少年たちは民族と国籍を超越して、日本戦争被害-生存女性と、ベトナム戦争孤児とその母親たちに加えられた人権侵害という共通の問題にも関心を持ったらと思う。(中略)

ベトナム戦争の間にアメリカ兵士らがベトナム女性たちとの間に生んだが捨てて行った子供達は約60万名に推定されると言う。しかし、この子供達は国際赤十字社連盟を通じてすべてアメリカに連れて行かれた。彼らに比べて、我が政府は韓国の‘お父さん’らが捨てて来たベトナムの子供達が何人かも知らない。このため、ベトナムを旅行した私の知人たちはベトナムの人々に会う度にすまなくなって、韓国人を父親にもつ人々がたくさんいると知られた都市をわざわざ訪問したりする。

もちろん、韓国にもアメリカ人の父親から捨てられた子供たちは数えきれないほど多い。このような脈絡でアメリカ、ベトナム、日本、そして韓国の青少年たちはもちろん世界のすべての青少年たちはどのような個人の性的欲望のため、自分とまったく同じ人格を持った人々が道具のように使われて捨てられてはいけない、という自明な真理実現のために連帯することができないか。

これが私が歴史会青少年たちが次の段階に主導したらと望む課題だ。「青少年のみなさん、大人たちが課題だけ渡して申し訳ありません。」

ナイム・ユンギョン延世大教授(文化学科〉

ソース:(韓国語)世界青少年連帯を望んで
http://news.empas.com/show.tsp/cp_kh/20070819n05426/?kw=%C0%CF%BA%BB%20%3Cb%3E%26%3C%2Fb%3E

関連スレ:
【慰安婦】小・中・高校生が東京・上野公園で慰安婦抗議集会(写真)[08/16]
http://news21.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1187230419/
【慰安婦問題】 「お婆さんたちの血涙止めるため」~韓国の青少年、訪日して謝罪と賠償要求★2[08/12]
http://news21.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1186978216/
【越韓】 ベトナム戦争の混血児、ライタイハン~日本の様に後ろ指さされる前に支援を[07/09]
http://news21.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1183990628/








いま,ベトナムは
韓国とベトナム戦争(3)
    
  「これまでの通説では、アメリカの要請に応じて朴大統領は派兵を決意したこ とになっている。ところが、近年アメリカの研究者などのあいだでは、逆に韓 国側から派兵を持ちかけたとする異論が出され、こちらの方が説得力を持ちつ つあるのだ。いずれにせよ、アメリカは派遣されたすべての韓国兵に戦闘手当 てを支払い、その大半は右から左に韓国本国へ送金された。これらを含む、ア メリカからのベトナム特需の総額 は十億ドル(当時で三千六百億円)をはるかに上回り、実質的には朝鮮戦争時 の日本における朝鮮特需以上の利益を韓国にもたらしたのである」(野村進 「コリアン世界の旅」第六章「サイゴンに帰ってきた韓国兵たち」より引用)


韓国が持ち出したのか、米国が要求したのか、そもそも韓国軍のベトナム派兵をどちらが立案したのかは議論の分かれるところである。しかし、このベトナム戦争参戦を契機に韓国が「漢江の奇跡」と呼ばれる高度成長を成し遂げたことは事実だ。そしてその核となった企業が現在の財閥を築いていった。朴根好著「韓国の経済発展とベトナム戦争」(御茶の水書房、一九九三年)には、その間の経緯が詳述されている。本稿ではこの朴さんの労作に拠って、三つの韓国財閥のベトナム戦争中の姿をまとめてみたい。興味のある方はぜひ上記の本を手にとってもらいたい。

★韓進財閥★

現在、大韓航空のオーナーとして知られる韓進財閥は、ベトナム戦争中の軍事物資の輸送で急成長、政府より同航空を譲り受け、高速バス運行や海運業と合わせ陸海空の運輸財閥を築き上げた。そのきっかけは一九六六年に米国防総省と結んだ米軍装備と物資輸送の独占契約にあったという。その仕事はクイニョン港に荷揚げされた物資を韓国軍猛虎師団と米軍師団の各部隊まで輸送するものであったが、それは誰もやりたがらない危険な仕事であった。解放戦線ゲリラの奇襲で多くの労働者が死亡したという。ハイリスク・ハイリターンのこのビジネスによって、六八年から七一年までの四年間、韓国第一位の高額所得者となったといい、六十年代の韓国で最も現金を多く持つ企業となった。韓国大企業の私債依存率が高かった当時、こうした現金は各企業への融資にも回されたという。

★現代財閥★

グループの核である現代建設は、ベトナム戦争中、米国の大手建設会社の下請けとして急成長した。朝鮮戦争後の復旧工事の独占ですでに財をなしていた同社は、一九六六年にカムラン港湾浚渫工事を請け負ったのがベトナムでの最初の仕事だったという。その後もメコン川のビンロン港、ミト港の浚渫工事を順調に請け負い、その後の中東進出に向けての経験を積んだ。この建設業以外で面白いのがクリーニング業への進出である。ニャチャン、クイニョン、カムランに計七つの洗濯工場を設立、重要な収入源になったという。このようにして資本蓄積を図った同社はその後、現代自動車、現代重工業を設立、重化学部門の新興財閥としての地位を築き上げた。

★大宇財閥★

一九六七年に社員六人で設立された大宇実業は繊維製品の輸出で儲け、その後数々のライバル企業の買収に成功、七五年には韓国十代財閥の七位にランキングされる驚異的な急成長を遂げた。そのきっかけは六八年から三年間、ワイ シャツの対米輸出独占権を獲得したことが大きかったという。ベトナム派兵の 見返りとして、米国は韓国に大量の衣服を発注していたが、朴大統領はこれを 大宇に優先的に与えた。現在、ベトナムで最も目立つ韓国企業と言えば大宇で あるが、韓進、現代のように戦争中のベトナムを足場に財を成したというより も、参戦による見返りとして米国市場が特恵的に開放された点が大きく、いわ ば間接的なベトナム戦争による資本蓄積であったと言える。            
             
 鈴江 康二(ベトナム・ウオッチャー)
http://www.bangkokshuho.com/archive/1997-2000/shuho/articles/848-1598/vietnam.htm


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