「日本が核武装してもいいのか」 米有力政治家が中国に対北圧力を要求

2009年07月16日 | news
「日本が核武装してもいいのか」 米有力政治家が中国に対北圧力を要求
2009.7.21 11:12
 ギングリッチ元米下院議長は20日のワシントン市内の講演で、北朝鮮核問題に関して「中国は北朝鮮を支え続けて日本が核武装する結果となった方が安全か、北朝鮮の核放棄を強要した方が安全か真剣に考えるべきだ」と述べ、日本の核武装懸念を引き合いに中国に北朝鮮への圧力強化を求めた。
 元議長は先の米大統領選で一時共和党候補に名前が挙がった保守派の論客。講演後の記者会見では「米国にとって北朝鮮の核放棄の方が日本の核武装よりも好ましい」としつつ「日本国民は自身を守る権利がある」とも強調した。(共同)

http://sankei.jp.msn.com/world/america/090721/amr0907211114006-n1.htm








米有力上院議員「尖閣は日本の主権」公聴会で明言
7月16日19時56分配信 産経新聞
 【ワシントン=古森義久】米国のオバマ政権に近い有力上院議員がアジアの領土紛争に関する15日の公聴会で、尖閣諸島について米国が日本の主権をすでに認めていると発言した。近年の米国政府はそこまでの明言を避けてきた感があるが、同公聴会では米国が戦後、沖縄とともに尖閣諸島を日本に返還した経緯から、米国の日本主権承認という見解が出ても自然だという意見が専門家から述べられた。

 米国上院外交委員会の東アジア太平洋問題小委員会は同日、アジアの海洋領土紛争などに関する公聴会を開いた。議長役を務めた同委員長のジム・ウェブ議員(民主党)は冒頭の声明で、南シナ海や東シナ海での中国の主権主張を批判的に取り上げ、「第二次大戦後の日本による尖閣諸島の支配や、米国とその他の諸国による尖閣諸島の日本の主権承認にもかかわらず、中国は尖閣諸島の領有権を主張している」と述べた。

 米国政府は他国の領土紛争には基本的に中立の立場をとっており、近年の歴代政権は尖閣諸島への日米安保条約の適用を認めながらも、その帰属主権について明言することは避けてきたという印象が強い。

 東南アジアの中国の動きに詳しい証人のスティムソン・センター研究員リチャード・クローニン氏は「国務省は領土紛争一般への不介入という基本から尖閣諸島についても明言を避けてきたのだろうが、尖閣諸島は米国政府が沖縄とともに日本に返還した経緯があり、特別といえるだろう」と述べ、ウェブ議員の見解を支持する形となった。

 中国の海洋政策に詳しい米海軍大学のピーター・ダットン教授も証人として、「領有権の基盤はその地域の実効統治と独占支配だが、尖閣諸島に関しては中国側はその2つの条件を満たしていないため、主権の主張は弱くなる」と述べて、中国の尖閣諸島の主権保持の主張は根拠が希薄であることを強調した。

 ウェブ議員は海軍長官を務めた経験があり、オバマ大統領にも近く、オバマ政権にとって上院での有力な政策推進役となっている。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090716-00000624-san-int


沖縄タイムス 特集 沖縄の海図・メッセージ復帰30年
李登輝 台湾
「尖閣諸島は日本領土」
<2002年9月24日 朝刊 6面>
http://www.okinawatimes.co.jp/spe/kaizu20020924.html










技師の鳥居信平たたえ 胸像あす除幕 日台つなぐ環境ダム
7月11日7時57分配信?産経新聞
 台湾南部の屏東(へいとう)県にある環境ダム「二峰●」。地下にせきを作り、伏流水を集める地下ダムとして、鳥居信平(のぶへい)が1923(大正12)年に完成させた。その功績をたたえ、台湾から出身地の静岡県袋井市に胸像が贈られ、12日に除幕式が開かれる。

 鳥居は東京大学で土木工学を学んだ後、「台湾製糖」に就職、パイワン族など地元の人の飲料水や潅漑(かんがい)のためのダム建設に着手した。大武山系から一気に台湾海峡まで流れる全長42キロの林辺渓は急流のため、地元では長い間、雨期の洪水と乾期の干魃(かんばつ)の繰り返しに苦しめられてきた。

 このため、鳥居は流量に左右されない伏流水をせき止める当時の日本でもなかった地下ダム方式を採用することを決めた。一見すると普通の川のように見え、ダムの存在自体がわからないが、豪雨や干魃の影響を受けず、安定して飲料水を確保でき、現在でも、20万人に1日3~12万トンを供給している。

 「水の奇跡を呼んだ男」(産経新聞出版)で鳥居の半生を描いた平野久美子さんは「電力も要らず維持管理にお金もかからない。80年も前にロハスを実践していたことに正直、驚きました」と話す。

 鳥居と二峰●の存在は民間事業だったこともあり、台湾総統府が実施した公共事業と比較して、知名度が低かったが、2007年に風景文化資産に指定されるなど、環境を先取りした施設として、注目を集めている。

 「台湾の戦後世代は日本統治時代の遺産を探し、自分たちの未来に生かそうとしていますその一つが鳥居のダム。今回の交流をきっかけに、日本と台湾が水問題を共有する水のきずなが強くなればと思っています」。平野さんはそう願っている。

●=「土」へんに「川」
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090711-00000078-san-soci




袋井市で鳥居信平の胸像除幕式 静岡
2009.7.13 03:44
 台湾に地下ダムを建造した袋井市出身の技師、鳥居信平(のぶへい)(1883~1946)の功績をたたえ、台湾から袋井市に胸像が贈られ、文化施設「月見の里学遊館」で12日、除幕式が行われた。鳥居の親族や関係者約100人が参列し、鳥居の事跡を忍んだ。
 胸像は、高さ60センチのブロンズ製で、1メートル20センチの高さの台座に乗せられたもの。同館の玄関口に台湾の方角に向けて設置された。
 式典には、鳥居の評伝「水の奇跡を呼んだ男」(産経新聞出版)を出版したジャーナリスト、平野久美子さんも参加。除幕式を書名になぞらえて、「(胸像の設置は)皆さんが生んだもう一つの奇跡です」と祝辞を述べた。鳥居の孫で、東京大学工学部教授の鳥居徹さんも駆け付け、「これを機に日本と台湾の関係がさらに緊密になってほしい」と話していた。
 鳥居は大正12年、台湾島南端の屏東(へいとう)県に、一切の電力を必要としない地下ダムを建造した。約80年たった今も、20万人に1日3~12万トンの水を供給しており、同県長の曹啓鴻氏は「現在の省エネに通じる画期的な事業」と評価している。
http://sankei.jp.msn.com/region/chubu/shizuoka/090713/szk0907130346000-n1.htm



鳥居信平の胸像除幕
袋井出身の技師
鳥居信平の胸像を除幕する関係者(12日、月見の里学遊館で)

 日本統治時代の台湾で、地下ダムを建設した袋井市出身の水利技師鳥居信平(1883~1946年)の胸像の除幕式が12日、同市上山梨の月見の里学遊館で行われた。

 胸像はブロンズ製で、台座を含め高さ1・8メートル。台湾の実業家で、芸術家でもある許文龍氏が制作し、袋井市に寄贈した。

 鳥居は東京帝大農科大学に学び、農商務省、徳島県技師などを経て台湾製糖に転職。1914年にサトウキビ増産のため台湾に渡った。23年、南部の屏東(へいとう)県で伏流水を農業用水や飲料水に利用するための地下ダム建設を指揮した。

 地中にコンクリート堰(ぜき)を設ける自然や生態系を壊さない先駆的な工法で、36年に日本農学賞を受賞した。長男は南極越冬隊長として活躍した鉄也氏。

 80年以上たった現在も周辺住民約20万人がダムの恩恵を受け、台湾の中学の副読本でも取り上げられているという。

 除幕式には台湾の関係者や鳥居の親族ら約200人が出席。曹啓鴻・屏東県長が「私たちは水を使うたびに鳥居さんに感謝しています」と述べ、袋井市の原田英之市長は「市の新たなシンボルとして、功績を伝えていきたい」と語った。
(2009年7月14日??読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/shizuoka/news/20090713-OYT8T00994.htm



鳥居信平胸像 袋井で除幕式 『水使うたびに感謝』
2009年7月13日
除幕された信平の胸像の前で、新たな交流の幕開けを喜ぶ袋井市の原田市長(右端)や台湾・屏東県の曹県長(左から2人目)ら=袋井市月見の里学遊館で

台湾と交流の“新芽”に
 大正時代に台湾で地下ダム建設に尽力し、荒れ地を豊かな緑地に変える功績を残した袋井市出身の技術者、鳥居信平(のぶへい)(1883~1946年)の胸像除幕式が12日、故郷の同市上山梨であった。台湾から「偉業をたたえたい」と胸像寄贈を受け実現した式典。台湾からはこの日も関係者が駆け付け、建設から80年を経ても変わらぬ感謝の念をうかがわせた。
 「水を使うたび感謝している」。台湾から駆け付けた来賓のあいさつが式典会場の月見の里学遊館に響いた。
 正面玄関前には台座を含め高さ1・8メートルのブロンズ胸像。地下ダム建設地、台湾・屏東県(へいとうけん)の曹啓鴻県長(知事)の言葉だった。
 袋井市側からも原田英之市長や信平の親族、地域住民ら約200人が出席し、「信平氏は袋井の誇り」などと喜びつつ、台湾の人々の心に感謝した。
 信平の偉業は80年前にさかのぼる。当時、台湾を統治していた日本政府にサトウキビ栽培拡大の命を受け、最南端の屏東県に入って、1923年に地下ダムを完成させた。荒れ地の下を流れる伏流水をためることを主眼に、粘土とコンクリートの堰(せき)を地中に埋め込む画期的な技。山を削るなど大きな環境変化を伴わずに、農業用水と飲料水の安定供給を実現した。
 ダムは80年以上たった今も現役で、学校の副教材に載るなど語り継がれている。2007年にダムが台湾の土木遺産に指定されたのがきっかけで顕彰の機運が高まり、台湾経済界の重鎮で芸術家の許文龍さんの手で胸像が製作されて、日本に届けられていた。
 式典では未来への思いも語られた。「現地を訪ね、親睦(しんぼく)を深めたい」と原田市長が言えば、曹県長も「袋井市と交流していきたい」。緑をはぐくんだダムは、80年の時を越え、新たな懸け橋の“芽”を育てた。(袋井通信部・夏目貴史)
http://www.chunichi.co.jp/article/shizuoka/20090713/CK2009071302000174.html

袋井市役所/鳥居信平(のぶへい)胸像除幕式を行いました
http://www.city.fukuroi.shizuoka.jp/ctg/02100706/02100706.html





功績たたえ台湾から鳥居信平の胸像 出身地・袋井に
2009/07/13
 日本統治時代の台湾南部の屏東県で、地下ダムを建設した袋井市出身の水利技師鳥居信平(1883?1946年)の功績を多くの人に知ってもらおうと、台湾から鳥居の胸像が故郷の袋井市に寄贈され12日、同市上山梨の月見の里学遊館で除幕式が行われた。
 鳥居は周智郡上山梨村に生まれ、農商務省に勤務した後、台湾製糖に転職。屏東県の治水と農業用水確保のために1923年、地下ダムを建設した。38年に台湾製糖を退職し、帰国した。南極越冬隊長として活躍した鳥居鉄也氏は長男。
 鳥居が建造した地下ダムは川底にせきを設け、川の流れを緩やかにするとともに、せき止めた伏流水は農業用水や飲料水に利用した。自然を生かした環境に優しい造りで、80年以上経過した現在でも、屏東県の20万人以上の住民の暮らしを支えている。台湾では鳥居の功績は長く伝えられ、中学の副読本で教えられているという。
 寄贈された胸像は、台湾の実業家許文龍氏が制作した。除幕式には袋井市や鳥居家親族、台湾関係者ら約200人が出席した。原田英之市長は「袋井の新たなシンボルとして、鳥居氏の功績を末永く伝えていきたい」とお礼を述べ、屏東県の曹啓鴻県長は「台湾の人たちは水を飲みながらいつも鳥居さんに感謝している。これを機に、袋井市と心の交流ができれば」と話した。この後、月見の里学遊館入り口で関係者が除幕し、胸像の設置を祝った。
http://www.shizushin.com/news/local/west/20090713000000000050.htm

袋井の偉人「鳥居信平」 エコ先駆け『奇跡』のダム 再評価され台湾から胸像






【東亜春秋】台北支局長・山本勲 最も日本を愛した台湾人
2009.7.15 03:43
 台湾「高砂義勇兵」戦没者の記念碑再建に尽力し、先月28日に亡くなった簡福源(民族名タリ・ワタン)さんの葬儀が昨日、台北県烏来(ウライ)郷でしめやかに行われた。生前の簡さんの口癖は「自分が今日あるのは日本のおかげ」だった。親日家が多い台湾でも誰よりも日本を愛した簡さんに感謝と哀悼の意をささげる一方、明日の日台関係を築くわれわれ戦後世代の責任の重さを痛感させられた一日だった。
 簡さんは1931年6月30日、日本植民地時代の烏来郷の先住民(日本時代は高砂族と総称)タイヤル族の部族長家に生まれた。日本名は「山田正太郎」、6歳から日本教育を受け、太平洋戦争では少年志願兵として飛来する米軍機を監視した。
 日本軍が組織した先住民部隊、高砂義勇兵(6千~8千人)としてニューギニアで戦死した叔父のあだ討ちをするつもりだった。学校と軍隊で日本精神をたたき込まれた。「日本精神は誠の精神。当時の日本軍人はまっすぐで正しかった」(簡さん)
 しかし敗戦で日本兵が一斉に日本に帰り、「なぜ僕らも帰らないのとおじいさんに聞くと、『内地の人とは違う』と言われた」「ああ僕は日本人じゃなかったのか」と初めて実感した。簡さんはこの思い出を語るたび涙ぐんだ。それほど日本人意識が強かった。
 戦後、台湾を統治した蒋介石・国民党政権は徹底的な日本否定を行った。しかし簡さんは日本教育をバネに台湾最年少の県議会議員に当選、烏来郷長を2期務めるなど地元の有力者として活躍を続けた。日本の桜3千本を烏来に移植したり、九州の姉妹都市との交流などで日本を20回以上訪れたりし、日台の民間交流に努めた。
 だが簡さんの最大の苦難は晩年に突然やってきた。タイヤル族の長でおばの周麗梅さんを中心に、92年に烏来に建立した高砂義勇兵記念碑が撤去の危機を迎えたのが発端だった。
 記念碑の敷地を提供していた観光会社が2003年の新型肺炎(SARS)流行で倒産、翌年には記念碑を移設せざるを得ない事態に追い込まれたためだ。
 「周さんはすでに亡く、長男の邱克平(マカイ・リムイ)さんやおいの簡さんが対応に苦慮している」との産経新聞報道を機に、日本から3千万円を超える義援金が寄せられた。
 06年2月、この資金をもとに台北県から提供された県有地にやっと移設を終えると、今度は親中国系紙、「中国時報」が県有地は「日本に占拠された」と報道。
 連動するように新任の周錫●県長(国民党籍)が、日本の遺族団体などが寄贈した石碑(8基)を「天皇称賛の誤った歴史認識が含まれている」として撤去、記念碑の碑文まで竹で囲って封印した。
 「日本の皆さんになんとおわびしたらいいのか」。簡さんは事件後、現地を訪れた日本人関係者にこう謝る一方、原状復帰を求める法廷闘争に全力を挙げた。そのかいあってこの3月24日、台湾高等行政法院が台北県の撤去処分に対する撤回命令を出し、事件はようやく本格解決に動き始めた。
 それから3カ月、簡さんは肩の荷をおろすように亡くなった。「3年間の心労が簡さんの健康を大きく損なった」と語るのは法廷闘争を全面支援した黄智慧・中央研究院所員。誰よりも日本を愛し日台交流に尽くした簡さんの後継者が双方から澎湃(ほうはい)と登場するよう願ってやまない。
●=王へんに韋
http://sankei.jp.msn.com/world/china/090715/chn0907150343000-n1.htm








【RE:社会部】鯨文化衰退に違和感
2009/7/18
 「静岡では伝統的にイルカを食べるんですよ」。先日、こんな話を捕鯨関係者から聞きました。イルカは水族館に行けば、いろいろな芸を披露し、ダイビングで出会えば人に愛嬌(あいきょう)を振りまく…。どうしても食べ物として想像できない。そんなことを考えていると、以前、中国人から聞いた話を思いだしました。
 その中国人は来日した当初、人に連れられて散歩している犬を見ると、「おいしそう」と思っていたそうです。日本人には到底理解できませんが、中国では当たり前のように犬を食べる。国によって食文化が違う。そう痛感した記憶があることを関係者に話すと「捕鯨反対を唱える国も矛盾があるんですよ」という答えが返ってきました。
 調査捕鯨に強く反対するオーストラリアでは、同じほ乳類のイルカを食べる。しかも「どれだけ捕獲されているのかを政府は把握していないほどだ」と関係者は明かします。しかし、こと捕鯨になると、厳しい態度で臨んでくるといいます。
 日本の調査捕鯨数は資源量の1%にもなりません。流通量に乏しく、最近では解凍技術が分からない料理人が増えるなど、伝統の食文化が廃れつつあるそうです。
 鯨だけが外国の圧力によって食文化から消される現状に、どうしても違和感を覚えずにはいられません。(充)

http://www.business-i.jp/news/flash-page/news/200907180122a.nwc


【社会】バールのようなもので壊され・・ハト60羽盗まれる
mamono.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1213465077/

41:名無しさん@全板トナメ参戦中:2008-06-15 02:51:30
同僚の中国人、「公園のハトを食べないなんて勿体無い」っていつも言ってたなあ
「卵を産んだことのあるハトは最高にうまい」とも言ってたな

67:名無しさん@全板トナメ参戦中:2008-06-15 03:21:09
>>41
それ徹子の部屋でアグネスチャンが同じ事言ってた。
日本に来て公園でハト見た時に「なぜ日本人は捕まえて食べないのだろう?」と思ったそうだ。


【日豪】先住民の「ジュゴン猟」を支持する豪政府を日本が「二枚舌」と非難、捕鯨問題の軋轢さらに高まる…豪紙
http://mamono.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1207259154/-100

日本の捕鯨者たちは、先住民が行っているジュゴン猟をオーストラリア政府が支持していることを非難し、捕鯨問題での両国間の諍いはさらに激しさを増している。6月、チリで開かれる国際捕鯨委員会(IWC)ミーティングの議題提案で、日本は先住民族アボリジニとトレス海峡諸島島民たちによるジュゴン猟を槍玉に挙げようとしている。

日本鯨類研究所(ICR)のニュージーランド在住スポークスマン、グレン・インウッド氏(*注)は、オーストラリアがクジラの「致死利用」を一切認めないとする一方で先住民族のジュゴン猟を支持しているのは「二枚舌」だと話している。「ジ・オーストラリアン」紙が報じている。「日本は持続可能な捕鯨の国際原則に則っている」と、インウッド氏。「オーストラリア政府は、クジラの「致死利用」一切を拒絶していながら自国内のジュゴン猟については持続可能な猟を支持している」。

オーストラリアン紙によると、島民リーダーたちはジュゴンを伝統食を理由に獲り過ぎていたと認めているという。 ピーター・ギャレット環境相は、日本の捕鯨とジュゴンの殺害は全く別の話で共通点はないとした上で政府はジュゴン保護の計画に積極的に取り組んできたと言う。

http://www.smh.com.au/ffximage/2008/04/02/dugong_wideweb__470x307,0.jpg
豪シドニー・モーニング・ヘラルド:
http://www.smh.com.au/news/whale-watch/australia-hypocritical-over-dugong-hunts/2008/04/02/1206850985964.html
(*注)NZ先住民族マオリ族出身。反捕鯨国NZに在住しながら日本のICR職員として広報活動を行っ
ている。http://ktuu.images.worldnow.com/images/6582770_BG4.jpg

ジュゴン 味は豚のヒレ肉そっくり/オーストラリア

Dolphin & Whale Massacre in Europe
http://www.youtube.com/watch?v=mdud3nu_FZo






ロシアで鳥取産スイカが好評 スーパーで試食・販売会

 【ウラジオストク17日共同】ロシア極東ウラジオストク中心部のスーパーで17日、鳥取県境港市から貨客船で直送された鳥取産スイカの試食・販売会が行われた。ロシア人の消費者からは好評で、1個2093ルーブル(約6200円)の高価なスイカは「予想以上」の売れ行きだった。
 6月下旬に就航した同市と韓国、ロシアを結ぶ定期貨客船イースタンドリーム号を利用した販路拡大の第1弾。
 販売されたスイカは日本でも1個2500?3千円の高級品で、主にロシアの富裕層がターゲットだ。隣には1個800ルーブルの中国産が並んでいた。
 試食した女子大生のオリガ・ゲパクさん(21)は「甘くておいしく、口の中が輝く感じ。問題は1カ月分の奨学金とほぼ同額の高い値段」とため息を漏らした。
 試食して購入を決めた女性(50)は「昨日買った中国産が草のように苦かった。品質が良ければ高くても買う」と満足げな様子。
http://www.47news.jp/CN/200907/CN2009071701000972.html

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