1904年ドイツ人夫婦の「愉快ではない」韓国新婚旅行

2009年06月06日 | 支那朝鮮関連
1904年ドイツ人夫婦の「愉快ではない」韓国新婚旅行

【新刊】ルドルフ・ツァベル著、イ・サンヒ訳『ドイツ人夫婦の韓国新婚旅行1904』(サルリム)

 1904年2月、28歳のドイツ人ジャーナリスト、ルドルフ・ツァベルは、日本に向け旅立った。中国の義和団事件を取材した経験を持つ極東専門記者の彼は、日露戦争を取材して欲しいという要請を受けた。20歳の娘との結婚を控えていたツァベルは、急いで結婚式を挙げ、新婚旅行を兼ねた取材旅行に出発した。

 日本の横浜に到着したが、戦場に向かうのは容易ではなかった。日本の当局は取材の許可を引き伸ばし続けていた。許可を待つ間、ツァベルは妻と共に韓国へ「新婚旅行」に出かけることにした。釜山に2週間滞在した後、汽船に乗って今度は元山へ向かった。新婚のドイツ人夫婦は元山に15日間ほど留まり、安辺、平康、鉄原を経てソウルまで旅行した。

 碧眼の若いジャーナリストの目に映る韓国人は、怠惰で、貪欲で、粗雑で愚鈍な人々だった。

 「韓国人は、取引において極めてしみったれていることで有名だ。口数が多い上に、数文の金をめぐって猛獣のように争い、葉銭数枚を受け取るために喜んで3日間を無駄にする。この人々を信頼することは極めて難しかった」「酒に酔った韓国人が街中で横になっているのはありふれた光景で、女性問題から殺人が起こることも稀ではないという。見ての通り、平均的な韓国人の姿はあまり愉快なものではなかった」

 ツァベルが見た韓国のかつての姿は、今われわれが見てもあまり愉快なものではないが、それを単純に帝国主義者の視線だとみなしてしまうことはできないようだ。ツァベルは、文化相対主義的な視角で韓国を観察してもいるからだ。ツァベルは、胸をむき出しにした田舎の女性を見て、このように書いた。「素肌を露わにすることは無条件に礼節の感覚に背く、と力説するのも難儀なことだ。礼節の感覚というものも、一次的には風習と流行の産物であるだけに、全世界の人々に全く同じ礼節の感覚を期待することはできない。ヨーロッパだけを取り上げてみても、流行に大きく左右されるのが、まさにこの礼節の感覚だ」

 稀にではあるが、韓国人の優秀さを賞賛する部分もある。「川を利用して田に水を引き込むこの村の住民の腕前は、実に凄かった。感嘆すべき灌漑施設と言う他はなく、韓国の農夫の勤勉さがうかがわれる部分だ」

 ジャーナリストとしての鋭い感覚が光っている部分が、「韓国独立の歴史」というタイトルを付けた最後の章だ。「中国・日本・韓国など東アジア文明三国」「日本は、韓国の独立を支持するというお定まりの古い嘘をつき、韓国の土地で自分勝手に振舞うようになった」といった認識は、著者が客観性を維持しようとした努力をうかがわせる。19世紀末から20世紀初めにかけて韓国を訪れた西洋人の記録は幾つもあるが、単純な感想よりも事実をきちんと記録しようとする態度を高く評価できる一冊だ。

李桓洙(イ・ハンス)記者
朝鮮日報/朝鮮日報日本語版
: 2009/06/07 09:08:02
http://www.chosunonline.com/news/20090607000006




【書籍】 100年前のドイツ従軍記者の韓国旅行~「独逸人夫婦の韓国新婚旅行」韓国で出版[05/26]
http://takeshima.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1243426528/

(ソウル=聨合ニュース)キム・ユング記者=1904年、あるドイツ人夫婦が地球の反対側へ新婚旅行に出発した。当時28歳のジャーナリスト、ルドルフ・ツァベル(Rudolf Zabel)は露日戦争取材のために予定を繰り上げて結婚式を行った後。花嫁とともに日本へやって来た。しかし、日本政府が取材を厳格に制限したため、彼は待てずに奥さんと一緒に韓国を旅行する事にした。

ツァベルが書いた「独逸人夫婦の韓国新婚旅行1904」(サリム出版)は韓国を含めて中国、日本など東アジア各国をめぐる20世紀初めの国際的な雰囲気に対する鋭い観察と分析を加えた。ツァベル夫婦の韓国旅行は、釜山から元山を経て安辺、楸哥嶺、平康、鉄原を経てソウルに至るまで 2ヶ月間続いた。

彼の旅行記には途中撮影した100カット以上に至る写真を含めて95年前の韓国の姿がありありと描かれていた。異邦人の視点ではあるが、外人だけが持つことができる均衡感覚もある。短いチョゴリで胸を出した田舍の奥さんを見て不思議に思いながらも、全世界の人々にまったく同じ礼節感覚を期待はできないと言う。

しかし、私たちが受け入れるには、ちょっと気まずいところもある。「(韓国人の)生活信条は他でもない「できるだけお金は多く、仕事は少なく、ものは多く、タバコもたくさん、眠りは長くと言う」のだ。時にはそこに酒癖と浮気が追加される。酒に酔った韓国人が路で横になっている姿はよくある見ものだったし、女性問題で殺人が起きることも珍しいことではないと言った。」(241-242ページ)

「特別に偉くもない中国人さえ、日本人に劣らず韓国人を見下した。およそ人が自ら最高のもてなしを受ける方法。(中略)もし彼らが現在と違うもてなし受けるに値するとしたら、他のあらゆる手段を講じても自らの権利を貫徹させるだろう。政治に感傷は絶対禁物だ!」(243-244ページ)

ツァベルは韓国人の優れたところを描いて「河水を利用して田に水を入れるこの村の住民の腕前は実にすごかった。感嘆に値する潅漑施設に違いないから、韓国農民の勤勉さが覗き見える。率直にいって海岸地域の韓国人たちは柔弱な怠けもので頼もしくない印象を与えたが、こちらの内陸地方ではその同じ判断を道中の角で修正しなければならなかった。」(388-389ページ)

彼はまた日本人居留地で見た日本人は商人と労働者だけで、農業移民はいなかったとし、自国領土の不足を理由に韓国に対する膨張政策の不可避性を力説して来た日本の「ごりおし主張」を批判するなどジャーナリストとしての面目を発揮する。

この本は韓国関連の珍しい西洋古書を翻訳した「彼らが見た私たち」叢書シリーズの8番目の図書として出版された。580ページ。2万3千ウォン。

ソース:聯合ニュース(韓国語)
<100年前ドイツ従軍記者の韓国ツアー>'独逸人夫婦の韓国新婚旅行1904'翻訳出刊
http://www.yonhapnews.co.kr/culture/2009/05/26/0906000000AKR20090526079100005.HTML

参考画像





【韓国】「ソウルは私がこれまで見たところ、最も美しい都市だ」外国人が愛した韓国伝統家屋[06/06]
http://takeshima.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1244282745/201-300

[オピニオン]外国人が愛した韓国伝統家屋

朝鮮王朝時代の末期、わが国を訪れた欧米人らは、韓国の風景に魅了された。彼らが残した見聞録には、「ソウルは私がこれまで見たところ、最も美しい都市だ」という賛辞がたびたび登場する。駐韓イタリア公使を歴任したカルロ・ロセッティーは、1904年にまとめた本の中で、「韓国の家屋は一様に低めの1階建てであり、2階の庶民自宅は見当たらない」と書いてある。宮殿を除き、こじんまりした1階建ての家屋が、ソウル全域にわたって広く展開されている様子は、異邦人の目には一風変わったように映ったようだ。

◆ソウルの4つの城門を埋め尽くした多くの伝統家屋は、開発の年代を経ながら急速に消えていった。伝統家屋を壊した跡地には、高層ビルが立ち並んだものの、伝統家屋の縁側に腰掛け、日向ぼっこをしながら情溢れる会話を交わした過ぎし日の趣はもう目にできない。鐘路(チョンノ)に沿って長く出来上がっていたピマッコル通りが、この数年間の大規模な再開発によって、ほとんど消え、ソウル都心においての伝統的な庶民通りもほぼ消滅の段階に差し掛かっている。

◆ところが、鼓舞的なことは、昌宮(チャンドクグン)と景福宮(キョンボクグン)との間に位置しているいわば、北村(ブクチョン)の複数の伝統家屋が再び関心を集めていることである。コンクリートでできた現代式建築文化に飽きた人々が、北村の伝統家屋を買いつけ、暮らしやすいように改造した後入居し、同地域が伝統的な姿を取り戻している。ソウル市は景福宮の西側にあった旧西村(ソチョン)に対しても、伝統家屋の保存を計画している。文化財専門家らの間では、景福宮や北村、西村を一つにまとめて、その全体を世界文化遺産として指定するよう働きかけよう、というアイデアも出ている。

◆35年間、ソウル東小門洞(トンソムンドン)の韓国伝統家屋で暮らしている米国人のピーター・バーソロミュー氏は、周辺の再開発事業によって自宅が取り壊される危機に瀕すると、ほかの住民らと一緒に訴訟を起こし、勝訴した。伝統家屋に住み続きたいので、事業を取り消してほしいという要請を、1審の裁判所が受け入れたのだ。同氏は、「伝統家屋は木や土、瓦など、自然資材で建てられていてよい上、どこを見ても美術であり、芸術である」と讃えている。北村の伝統家屋は住宅価格の高騰を受け、いつの間にかソウルでも金持ちの住む町となった。一部の住民は依然として再開発を好むが、日増しに伝統価値をより高く評価する世の中になるかもしれない。北村の伝統家屋の復活は、住民同士の対立を調整しながら伝統家屋を活かせるも見本となるかもしれない。

洪賛植(ホン・チャンシク)論説委員 chansik@donga.com

(東亞日報 JUNE 06, 2009 08:21 )

http://japan.donga.com/srv/service.php3?bicode=100000&biid=2009060687088



13 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2009/06/06(土) 19:08:45 ID:ArYabPdF
イザベラバードと言ってることが違う


107 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2009/06/06(土) 19:41:51 ID:Z8yiN7ah
> カルロ ロセッティー の検索結果 約 938 件中 1 - 10 件目 (0.19 秒)

靴屋じゃねぇか!

204 :東夷 ◆43eKv.KwIo :2009/06/06(土) 20:49:05 ID:0gtMsJYX
ここの三段目が、ロセッティの撮影した写真のようですね。

ttp://www.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=ptravel&nid=64133&start_range=64123&end_range=64140


207 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2009/06/06(土) 20:50:52 ID:Q/X4T05b
●イギリス人女性イザベラ・バード「朝鮮紀行」より

ソウルを描写するのは非常に憂鬱だ。
北京を見るまで私はソウルこそ、この世で一番不潔な町と思っていたし、 shoukouへ行くまではソウルの悪臭こそ、この世で一番酷い匂いだと考えていた。
都会であり首都であるが、その粗末な様子は表現が難しい。

礼節から二階建ての家は建てられず、したがって推定二十五万人の住民は迷路のような細い道の「地面」で暮らしている。

道の多くは荷物を積んだ、牛が通りにくい程の狭い道で、 家々から出た小便と大便を受ける穴か溝で更に狭くなる。

悪臭が酷い。 

その穴や溝の横に好んで集まるのが、土の埃で汚れた半裸の子供たち、皮膚病と眼病を患った大きな犬で、犬は汚物の中で転げまわり、日光の中で瞬きしている。ソウル名物は水路である。

蓋の無い広い水路を黒く汚れた水が、川の底に堆積した排泄物やゴミの間を悪臭を漂わせながら、ゆっくりと流れていく。

もはや水とは呼べない混合物を桶に汲んだり、小川とは呼べない水溜りで洗濯している女達の姿・・・

ソウルには芸術品は全く無い。 公園も無い。

見るべき催し物(イベント)も無い。
劇場も無い。
日本や中国の都会にある魅力がソウルには全て無い。

古い都ではある。
しかし、旧跡も無い。
文献も無い。

宗教に無関心だった為、寺院も無い。(日本・中国と対比している)


225 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2009/06/06(土) 21:01:03 ID:JoesXO1k
『朝鮮紀行?英国婦人の見た李朝末期』 イザベラ・L. バード

・貨幣制度が(ほとんど)ない。
・ソウルは世界有数の汚く悪臭のする都市。
・一般民衆の住む場所は藁葺きのあばら屋で、通りからは泥壁にしか見えない。
・道はとにかく悪い。
http://photo.jijisama.org/OldKorea.html

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4061593404/ref=ase_japankoreapho-22/249-4102714-3023511


226 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2009/06/06(土) 21:01:53 ID:Q/X4T05b
●スウェーデン人の記者アーソン・グレブスト「悲劇の朝鮮」より

悲劇の朝鮮

将来性がなく中国人以上に酷い民族である。
1000年前に眠った場所に留まり続けている。

更に良くないのはその眠りから覚めようとしない事だ。
韓国人は独立が嫌なのだ。

できれば他者に依存して責任回避をしたいのだ。
彼らの望むことは、何の心配もなく暮らす事だけだ。

「独立」と言う言葉は彼らにとって恐怖を意味し不信や無法と同じである。

●フランス人宣教師シャルル・ダレ「朝鮮事情」より抜粋

朝鮮事情

韓国人は怯えながら生きる生活を続けていたので、感情の安定を失った民族になった。
おそらく韓国人は世界一怒る事を好む民族だろう。

怒る事が不安や焦燥感を解決するのだ。
代償行為になるし、自尊心を守る手段にもなる。

その自尊心も、虚飾によって作られた自尊心である。
だから、ちょっと<触れただけで傷つき、怒りの感情が爆発する。

●ピューリツァー賞を受賞した歴史家でジャーナリストのアメリカ人、ジョージ・ケナンの報告より

日本から朝鮮に行った旅人がまず驚くことは、
日本の清潔、秩序、勤勉、繁栄に対して、
朝鮮の不潔、混乱、怠惰、荒廃との間の著しい差異である。

韓国人の大部分は2つに分類される。
大袈裟な事を言う人間。
恥を知らずに、平気で嘘を言う人間。
この2つである。

これは遺伝と教育が原因だ。
だから韓国人が話す「日本人の悪行」を信じてはいけない。


251 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2009/06/06(土) 21:19:34 ID:R6Uw0h07
E・J・オッペルト『禁断の国・朝鮮』

-ソウルの通りは中国の一般的な都市の狭い街路よりは広いが、
官庁や両班の住宅やさらに言えば王宮さえも、
中国の比較的大きな都市にある富裕な階層の住宅とは比較にならない。
中国の都市に見られる多様な色相で華麗に装飾された大きな寺院は、
ソウルには見出せない。
家屋はたいてい泥で作られた平屋でみすぼらしいため、
ソウルが朝鮮のような国の首都だという印象をまるで与えない。

-独特で高い水準の文化を誇り、文明化された暮らしを営んでいると公言できる国の中で、
朝鮮ほど民族の起源や歴史に関する文献が不完全で不足な所も珍しい。
学者然とした朝鮮人のうち、誰も自分の国の歴史を記述しようとしたり、
それができる人はいないらしい。
彼らは中国や日本の史家が残した記録が、付け加えることがない完全なものだと信じているようでもある。

-概して朝鮮の家屋は近隣諸国に比べてひどくみすぼらしい印象を与え、
朝鮮の建築様式が中国や日本の水準に至るには大変な努力が必要だろう。

-中国や日本ではきわめて大衆化している演劇やその他の公演のような演芸が、
朝鮮ではまったく欠けている。これはおそらく部分的には、
朝鮮固有の文学が欠如していることによると思われる。
他方では朝鮮人の文化的水準が低く、こうした種類の芸能には感興を感じる能力がないためである。

-朝鮮人の産業技術と技量は、アジアの他の民族に比べてずっと劣っている。
こうなった決定的な理由は、抑圧的な政治体制に起因する。
政府は政治的な目的と動機から産業発展に無関心で、
甚だしくは直接的にそれを押えつけさえした。
こうした情況は朝鮮の産業発展を支える土台から既に脆弱で、
従って現在の政治体制が変わらなくては、いかなる発展も成し得ないことを立証している。


オッペルトは、身体壮健なことなど、褒めている部分もある。
プロイセン出身の貿易商で、イザベラ・バードより30年ほど先立つ、1866年~68年に朝鮮を訪れた。







【韓国】「矢でも鉄砲でも持って来い!」~ハルモニ達に角が生えた(昌原)[06/08]
http://takeshima.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1244449720/l50


http://imgnews.naver.com/image/023/2009/06/08/2009060801256_1_0_20090608165004.jpg

ハルモニ(お婆さん)達が怒った。


http://imgnews.naver.com/image/023/2009/06/08/2009060801256_2.jpg

8日、慶南(キョンナム)・昌原市(チャンウォンシ)慶南道庁の前で、『馬山(マサン)スジョン村STX誘致反対住民対策委員会』の住民が、上着を脱いでキム・テホ慶南知事との面談を要求しながら道庁への進入を試みると、警察が遮るという寸劇が起きている。

(写真)
http://imgnews.naver.com/image/023/2009/06/08/2009060801256_3.jpg

馬山市(マサンシ)亀山面(クサンミョン)スジョン村の住民は、村内のSTX機資材工場など産業団地の誘致に反対している。

ソース:NAVER/朝鮮日報(韓国語)
http://news.naver.com/main/read.nhn?mode=LSD&mid=sec&sid1=102&oid=023&aid=0002057089









【韓国/歴史】シン・ヨンハ梨花女子大碩座教授「古朝鮮は西暦前30世紀から24世紀ごろに建国された東アジア最初の古代国家」[06/07]
http://takeshima.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1244335672/-100

「古朝鮮は東アジア最初の古代国家」
『古朝鮮研究』創刊号発行

  2006年春、ソウル市内のあるホテルに、古朝鮮に関心を持つ人々が集まった。社会学者のシン・ヨンハ梨花女子大碩座教授(寄付金によって研究活動を行えるよう学校の指定を受けた教授)や知識産業社の金京熙(キム・ギョンヒ)社長、中国古代史を専門とする尹乃鉉(ユン・ネヒョン)檀国大教授、民俗学者の林在海(イム・ジェへ)安東大教授、徐永大(ソ・ヨンデ)仁荷大教授、朴仙姫(パク・ソンヒ)祥明大教授、ユン・ミョンチョル東国大教授、ポク・キデ国際脳教育大学院教授らだ。

 これらの研究者は古朝鮮について研究する集まりを作り、毎月最終土曜日に檀国大で討論会を行った。討論会の参加者は次第に増え、2008年春には韓国初の「古朝鮮学会」が誕生した。シン・ヨンハ教授と金京熙社長が顧問、尹乃鉉教授が会長を務める。古朝鮮学会は月例討論会を行うと共に、古朝鮮の遺跡があると推定される中国遼西・遼東地方に何度も足を運び踏査した。

 さらに古朝鮮学会は、これまでの研究成果を盛り込んだ学術誌『古朝鮮研究』創刊号を出版した。シン・ヨンハ、尹乃鉉、ポク・キデ教授およびキム・ソンファン実学博物館研究員らの論文計6本が掲載されている。

 シン・ヨンハ教授は論文「古朝鮮の統治体制」で、古朝鮮について西暦前30世紀から24世紀ごろに建国された東アジア最初の古代国家だと主張する。尹乃鉉教授の論文「古代文献に見られる韓国古代史の二つの体系」は、韓国と中国の文献で、古朝鮮からすぐさま列国時代へと続く古代史体系と、古朝鮮から箕子朝鮮と衛満朝鮮、漢の四郡を経て列国時代へと続く古代史体系が共存していると指摘した。一方、尹教授は、韓半島・遼東・遼西を包括する『三国遺事』序説に従うべきで、古朝鮮の分裂により列国時代が登場したと見なければならない、と主張した。

キム・ギチョル記者
朝鮮日報/朝鮮日報日本語版 記事入力 : 2009/06/07 09:05:20
http://www.chosunonline.com/news/20090607000005

関連スレ
【韓国】 半万年の輝かしい民族精気受け継ぐ文化・芸術・歴史の殿堂「韓民族歴史館」を建立する時だ[06/05]
http://takeshima.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1244205869/
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