トルコのイスタンブールで乗船した、ボスポラス海峡クルーズの続きです。
下の写真は、
ルメリ・ヒサル。
ルメリ・ヒサルは、オスマン帝国・メフメト2世が造った要塞で、
1452年にたった4ヶ月たらずで造られたというもの。
ヨーロッパ側にあります。
そして
ルメリ・ヒサルを過ぎると、、、
2つめとなる橋、
ファーティフ・スルタン・メフメト橋
(第2ボスポラス大橋)が
近づいてきました。
ファーティフ・スルタン・メフメト橋を、
上からみた地図です。
ファーティフ・スルタ…、ファーティ…、ファー…、
橋の名前、口を噛んじゃいそう(^^;)。
トルコの言葉は、慣れていないととても難しいですね。
さて、こちらの橋ですが、ODA(日本の政府開発援助)により、
三菱重工業やIHI(当時の社名は石川島播磨重工業)等といった日本の企業が建設に関わっていることでも知られています。
全長は1510m、1988年に完成しました。27年前くらいですかね。
そうそう、これらの橋の他にもう1つ、
ボスポラス海峡には3つ目となる橋ができるそうですよ。
橋の先、ずっと先まで行きますと、
黒海につながります。
見てみたかったなぁ。
ボスポラス海峡を中心に表示した、周辺の地図です。
地図をパッと見ますと、
トルコの他にも、黒海沿いには
ブルガリア、
ルーマニア、
ロシア、
グルジア
といった国があります。
昨年(2014)行われたソチオリンピックの開催されたソチや、またクリミナ半島も黒海沿いなんですね。
またブルガリア共和国といえば、元大相撲力士の琴欧洲の故郷でしたね。
ファーティフ・スルタン・メフメト橋を過ぎたところで、
ぐるっと反転して、来たときの道と同じルートで船は戻ります。
◎外務省 海外安全ホームページ
:トルコのの危険・広域情報
○このブログ内にあるボスポラス海峡クルーズの記事
前の記事1:ボスポラス海峡クルーズへ
前の記事2:ボスポラス海峡を、ヨーロッパ沿いにクルーズ。
前の記事3:ボスポラス海峡クルーズは、ボスポラス大橋の辺りへとやってきました。
次の記事 :ボスポラス海峡クルーズも、そろそろ終わり。
下の写真は、
ルメリ・ヒサル。
ルメリ・ヒサルは、オスマン帝国・メフメト2世が造った要塞で、
1452年にたった4ヶ月たらずで造られたというもの。
ヨーロッパ側にあります。
そして
ルメリ・ヒサルを過ぎると、、、
2つめとなる橋、
ファーティフ・スルタン・メフメト橋
(第2ボスポラス大橋)が
近づいてきました。
ファーティフ・スルタン・メフメト橋を、
上からみた地図です。
ファーティフ・スルタ…、ファーティ…、ファー…、
橋の名前、口を噛んじゃいそう(^^;)。
トルコの言葉は、慣れていないととても難しいですね。
さて、こちらの橋ですが、ODA(日本の政府開発援助)により、
三菱重工業やIHI(当時の社名は石川島播磨重工業)等といった日本の企業が建設に関わっていることでも知られています。
全長は1510m、1988年に完成しました。27年前くらいですかね。
そうそう、これらの橋の他にもう1つ、
ボスポラス海峡には3つ目となる橋ができるそうですよ。
橋の先、ずっと先まで行きますと、
黒海につながります。
見てみたかったなぁ。
ボスポラス海峡を中心に表示した、周辺の地図です。
地図をパッと見ますと、
トルコの他にも、黒海沿いには
ブルガリア、
ルーマニア、
ロシア、
グルジア
といった国があります。
昨年(2014)行われたソチオリンピックの開催されたソチや、またクリミナ半島も黒海沿いなんですね。
またブルガリア共和国といえば、元大相撲力士の琴欧洲の故郷でしたね。
ファーティフ・スルタン・メフメト橋を過ぎたところで、
ぐるっと反転して、来たときの道と同じルートで船は戻ります。
◎外務省 海外安全ホームページ
:トルコのの危険・広域情報
○このブログ内にあるボスポラス海峡クルーズの記事
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