『旅をする木』
星野道夫
1995年・文藝春秋
1999年・文春文庫
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ジェイミイは、ほとんど人が訪れることがないこの入り江での暮らしを語りながら、こんなことを言っていた。
「・・・時おり誰かがここにやって来ると、自然の中で何てすばらしい生活をしているのかと感動するのね。
でも、一週間もしたら、皆耐えられなくなってしまう。
淋しさとか孤独にね・・・
じゃあ私がそうでなかったのかというとそんなことないのよ。
それは痛いほどの孤独と向き合わなければならない。
でもある時、そこを突き抜けてしまうと不思議な心のバランスを得ることを見つけたの・・・
町にいれば、自分自身の中にある孤独を避け続けることができる。
テレビのスイッチをひねったり、友達に電話をかけたりしてね。
その孤独と向き合わないさまざまな方法があるから・・・
でもここではそれができない。
その代わり、その孤独を苦しみ抜いてしか得られない不思議な心の安らぎがあったの・・・」
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毎年、正月には星野さんの本を実家にもって帰り、ゆっくり時間をかけて読む。
満員の通勤電車で読んでも、いまいちこの世界に入り込めない。
ついでに言うと、真夏に読むのも、どっちかというと向いてない。
星野さんは1978年アラスカ大学の入試を受けたが、英語の点数が合格点に30点足りず、それでも学長に直談判。
野生動物管理学部への入学を許されている。
その後、1996年にカムチャツカ半島南部クリル湖畔でヒグマに襲われ、44歳で亡くなるまで、アラスカを中心とした大自然の数々の写真と、そして素晴らしい文章を残した。
冒頭の抜粋は、シトカ(南東アラスカのバラノフ島の港町。帝政ロシア時代は太平洋のパリと呼ばれるほど栄えたが、現在は小さく、静かな町となっている)から更に20Kmも離れた海辺の森で暮らす、ジェイミイという女性を訪ねた星野が、彼女から聞いた話。
こんな心のひだの奥からでる言葉を、知り合ったその日に聞き出す星野さんは凄い。
ただ、星野さんの人間性だけが、この話を引き出したわけじゃない。
ジェイミイは、わざわざ自分を訪ねてきた星野さんを他人とは思えなかったはずで、それは、言葉を交わす人間が極端に少ない彼女の生活環境にも大きな要因があったろう。
ひるがえって、自分の東京での暮らしを考えると、こりゃあもう、毎日、人に会いすぎてるんちゃうか。
今日1日を振り返っても、仕事とプライベートで、一体何人の人間と話をしたか全く数え切れない。
大事にすべき出会いも、瞬く間に通り過ぎていってるんだろう。
要らない出会い(なんてものがあるなら)も、結構混じっているだろう。
シトカの海辺の森で暮らすのは無理でも、フェアバンクスくらいには住んでみたい。
(え?ほとんどの家に水道ないのッ!? 嘘でしょ)
それにしても、かさかさ人間になる前に、自分の内側と、過去の出会いを見つめ直す時間が要るよなぁ。
■星野道夫の本のこと
・イニュニック[生命] (新潮社 1993年)
・旅をする木 (文芸春秋 1994年)
・『長い旅の途上』(1999年)
<お買い物は尼村>