
『川釣り』
井伏鱒二(1898-1993)
1952年・岩波新書
1990年・岩波文庫
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いきなり手応えがあった。
型が小さいのでその必要はなかったが、垢石に教わった通り、たも網で糸をたぐり寄せて無事に釣りおさめた。
しかし向こう岸の老先生は、残念ながら私の方を見ていなかった。
「なんだ、つまらない。まるでストライキの球を投げても、アンパイヤが見ていなかったようなものだ。」
私は心の中でそんな風に愚痴をこぼした。
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井伏さんは正直な人で、文中でもしょっちゅう腹の立った出来事を思い返して立腹している。
例えば雑誌「文学界」の座談会で自分が語った渓流釣りに関する発言が、気に食わない筆記になって出版されたことで、1日中クヨクヨしている。
まあ、気持ちは分かるけど(笑)
だから。
と言うべきか、この本の中で井伏さんは生きている。
井伏さんは自分の分身を、永遠にこの世に置いていったようなものだ。
井伏さん本人ばかりでなく、宿屋の女中たち、番頭、刑事、タクシー運転手、わさび盗人、旅の若者(後で追い剥ぎに変貌する)、・・・
まるで今、目の前に現れたかのように、登場人物たちの挙動を思い描くことが出来る。
どうしたらこんな文章が書けるのか。
井伏さんの釣りの先生、佐藤垢石老は
「釣竿を持つには、まず邪念があってはいけない。自分は山川草木の一部分であれと念じなくてはいけない」
と説いたそうだ。
無心になることは、釣りだけでなく、こんな文章の秘訣でもあるのだろうか。
■本 de 釣り
・『川釣り』 井伏鱒二 (1952年)
・『セーヌの釣りびとヨナス』 ライナー・チムニク (1965年)
・『私の釣魚大全』 開高健 (1969年)
・『アメリカの鱒釣り』 リチャード・ブローティガン (1975年)
・『モンゴル大紀行』 開高健 (1992年)
・『イギリスの釣り休暇』 J.R.ハートリー (1994年)
・『イエメンで鮭釣りを』 ポール・トーディ (2009年)
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