晴"考"雨読

日々の雑感

The Joy of Science

2010-09-23 14:08:24 | Weblog
大昔に買って、ときどきパラパラ読んでいる 『The Joy of Science - Excellence and its Rewards -』 (C. J. Sindermann) (科学の喜び -成功するサイエンティスト-, 山本祐靖、小林俊一共訳、丸善) をまた最近眺めていると、若い時とはまた違ったところで学べる。広汎な事例収集に基づく内容なので説得力がある。

11章の、【老科学者(50歳以上)へ提案する「行動規範」】では、

・昨日の成功や報酬は昨日の新聞程度の価値しかないという現実を受け入れる。
・人生のどの時点をも人間的成長、変化、そして月並みなことからの解放のときにする。
・回顧主義を捨てて、五年前にやったことはもうしない。
・大抵の事態に対処する最良の態度は積極的な態度であることを忘れない。
・「昔はこうした」とかそれに類した発言をしない。
・昔、自分が定めた科学者としてのゴールは今からでも達成できると信じる。
・聞かれさえすれば助言はするが、「相談役」的な職種は避ける。さもないと窓際族になる。
・グループに最近入ってきた人や最も優秀なメンバーと有意義な科学的な会話を何らかの形で続ける。
・年長者だからという理由だけで不当に威張ったり、あるいはその逆に引っ込み思案になってしまう傾向を避ける。

同じく11章の 【不滅の名声を求めて】の章も面白い:、

自分の発表論文によってある程度の不滅の名声が得られると思っている科学者もいる。これはとんでもない勘違いである。科学論文は驚くほど短命である。その平均半減期は約7年で減少率は、文献引用度からみると加速度的である。(中略) 著書の生き残り率は論文よりややましである。単独で本を書くことが科学で不滅の名声を得る最も良い手段である。良い技術的な本の半減期は約10年で、論文のそれの2倍弱である。しかしそれでも一時的なものであることには変わりなく、科学の進展を示す表の上ではちっぽけな点でしかない。(中略)不滅の名声の追求がそんなに実りのないものならば、科学者として妥当なキャリアの目標は何であろうか。(以下続く)

今興味を持って再読しているのは3章。何が書いてあるかはここでは内緒。

20代から50代のすべての科学者にお勧めの一冊。

益川さん語録

2010-09-19 20:34:39 | Weblog
たまたま見つけた益川さんへのインタビューシリーズ:
http://osaka.yomiuri.co.jp/science/news/20100919-OYO8T00236.htm

聞き手:日本の科学者についてどう思われますか。

「スキー帰りの臨時電車で、12両に30人ほどしか乗っていないことがあった。すると、さみしくなるのか、一つの車両に集まり出すのね。その時、日本の科学者も同じで、さみしがりなのかなと思った」
「たとえ孤立しても、独自の方針でやるという研究グループがない。寄り集まって、肩が触れない程度に住み分けて研究する。かといって、出し抜いてやるぞという気概もない」

なかなか厳しい。

中秋とススキ

2010-09-19 18:44:24 | Weblog
中秋の名月(旧暦の8月15日)は今年は9月22日、満月は9月23日。最近、ススキを採れるところがなくなってきた。10年前は、まわりの空き地でどこでも採れたのに。そういえば、空き地自体が無くなってきて、ほんの10年前にはあちこちで見られたカマキリもいない。私は都会の真ん中で育ったので、カマキリもカブトムシも、本物を触ったことがあるのは、東京から1時間のこの地に住んで、子供たちが近くで捕まえてくるようになって初めてだった。寂しいかぎりだ。

子供たちがあと数年で家をでたら、もっと田舎か、思い切ってオーストラリアにでも移住したいな、と言うのだが、一人で行ってね、と家族からは言われている。アデレードあたりはとても住みやすくて良いと思うのだが。。。

科学者心得帳

2010-09-16 20:45:58 | Weblog
  「疑似科学入門」(池内了、岩波新書)と一緒に買った「科学者心得帳」(池内了、みすず書房)がことのほか面白く、一気に読了した。まえがきの一部をを引用しよう:

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 科学における「経済論理の貫徹」という趨勢はしばらく続くだろうが、そう長くもないとは思っている。(中略) 科学の研究は金さえかければ実が上がるものではなく(結局、大型装置を買い込んで、ありきたりのデータを取ってルーチン的な論文を書くだけになってしまうから)結果として得られる果実は少ないと予想されるからだ。そのことが判明したときには科学者バッシングがおこるだろう。「こんなに資金を投入したのに、大した成果が出ていないではないか」と。しかし、それは筋違いというもので、金で科学の業績が買えると思い込んだのがそもそもの間違いであったのだ。とはいえ、科学者も研究費がふんだんに出ることを喜んだ。その挙げ句として惨憺たる状況が見えれば、大きな騒動となることだろう。

 となると、科学研究のシステムを変えざるを得なくなるに違いない。科学研究を止めるわけにはゆかないから、それまでとは異なった方式に変えざるを得ないからだ。さて、どのような方向に変わっていくか見当がつかないが、科学者の創造的精神を尊重する、ゆったりとしたシステムになるはずと考えている。そのような状況が実現すれば、視野が広く、社会と密接した新しい科学者が求められることになるだろう。

 冒頭に述べた「若い科学者はさまざまな岐路にさしかかっている」とは、「社会からは視野の広い科学者であることを望まれながら、研究現場からは逆のことが強いられている」、「このような状況が長く続くとは思えないが、といって実りある未来を容易に想像することができない」、というようなジレンマの状態にあることを意味している。(中略)

 若い科学者が抱くジレンマは短時間で解消するとは思えないが、それでも時代の変化が来るときのために心の準備をしておかねばならない。気がつけば、旧時代的な科学者でしかなかったとわかってももう遅いのである。

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共感できるところが満載の本である。科学者修行中の大学院生に読んで欲しい。

久しぶりの大雨の日