ストレス原因髪脱毛再生ブログ

2008年から始まった2回の脱毛後かつらを購入。2010年11月末、ついにかつらを取り元の自分の髪を取り戻す。(^-^)

日本を離れて13年

2010年05月08日 | 日記
13年前の5月7日、わたしは生まれてこのかた22年間すんでいた自分の国である日本を離れてこちら現地に一人できた。すでに仕事も決まっていて就労ビザも取得後で、しかも住むアパートまで決まっていた。

今でもその時のことをよく覚えている。
空港まで送ってくれた両親と友達のことも。
飛行機が離陸したとき、「あーこれで自由だ!」と思えたことや、ちょっと寂しくて涙が出たことや、でもとても興奮していたことなども。

現地についた日は雨で、雨の中空港でタクシーを拾ったことも、こちらで初めて住んだ街中の狭いアパートには大家さんが先にきていてなぜかカラオケを歌ってわたしの到着を待っていて、その後ディナーを近くのレストランでおごってくれたことなど。

到着後3日後に以前の日本の会社で働き始めた。
わたしの上司だった人は、今ではお互いにその会社を離れて別な会社(彼は日本に帰国)で働いているが今でもつながりがあり、何せこの人がわたしをこの現地に招いてくれた人で、なので現地での唯一の知り合いだったし、それは当然22歳の女の子であったわたしには心強かった。

2週間後には現在の大親友の一人の日本人の女の子に出会った。なにげなく立ち寄った近所のパブであるイギリス人の男の人と知り合いになり、彼女はたまたまその人の知り合いで、彼が「日本人の女の子しってるよ、今電話で呼ぶよ」といってやって来たのがその彼女である。わたしたちは今でも大親友であり、よく一緒に買い物にいく。

でも、当時はよく仕事が終わったあと、バスや街を走る電車にのってよくフラフラ一人で出かけていた。音楽をききながら、街をどこにいくともなくさまよっていた。それが新鮮だった。22歳まで親元にいて、かなり息苦しかった、それが今では海外で一人暮らし、そんな自由をトコトン満喫していた。

それからいろいろあって現在住む車もバスもない島に引っ越してくることになった。
当時は数人の男女の友達と部屋をシェアして楽しかった。
ルームメイトとは、まるで兄弟姉妹のように付き合った。
いつも一緒にいていろんなことをした。
学生生活のようで本当に楽しかった。

それから今の彼に出会い、数年後同棲するようになる。
いろいろ経緯があって、二匹の猫も同居しはじめる。

「例の」仲間に出会って、近くのビーチで毎週ビーチバレーボールをするようになった。
週末はビーチとバレーボールと夜は、仲間の家やうちの屋上でバーベキューをする日々。
たまには仮装パーティーをして盛り上がったり、なにをするにもこの仲間内で、ってなった。
20代半ばの、青春の日々だ。日本人はわたしだけで、ほとんどが英語圏の欧米人だった。
当時、わたしたちはまだ若かった。馬鹿げたこともたくさんしたし、マリファナを覚えたのもこの頃だった。

そして5年前、ある事件をきっかけに、じょじょに仲間が壊れた。
このことは以前の記事に散々書いているので興味のある人はそちらを読んでください。
今となってはわたしはその元仲間を毛嫌いして一切関わりを持とうとしていない。
その間に髪もストレスで2回抜けて、そうして暗い2年が今過ぎた。


今のわたしは、けっこう日本人の友達が多い。
この島でも日本人の女の子同士で集まったりするようになった。
これがまた面白い。すっかり欧米びいきになっていた自分にとっては新鮮なのだ。

昔から付き合っている欧米人の女友達もいる。元仲間うちの子たちと、それ以外の子。
別な大親友の一人は昔一度この現地を離れ国に帰り、2年前また戻ってきた。


なんか、いろんなことが一転して二転したような気がする。
三転くらいしちゃったかもしれない。
そして今の自分はもう34歳だ。あれから、日本を離れてから13年。
以前の日本の会社を辞めて、日本では文系の短大しか卒業してなかったが、こちら現地で今度は理工系の大学資格を4年間で取って、今は欧米系の企業に勤めている。


13年という重みを感じる。良いことも嫌なことも経験してきた。
日本に帰って、日本で学生時代からの親友に会うと、その親友も同じように13年を経験していて、お互いの仲は今でも同じだし、話も相変わらず合うところが面白い。



今のわたしは母親になりたがっている。
でもこの間検査をしたとき、子宮筋腫があるせいで妊娠は難しいといわれた。
子宮筋腫のことは3回にわたって以前の記事に書いているので興味のあるかたはそちらを読んでもらいたい。2006年に手術をして取り出したがまた大きくなっており、最近は先週まで非情に腹部が不快でしょうがなかった。レントゲンをとったら、子宮と卵巣につながるチューブがふさがれていて、わたしは妊娠できないそうだ。

それを知ったとき、実はそんなにショックじゃなかった。そんなに傷つかなかった。
2006年に一度手術をしたときから、養子縁組(アダプション)のことを考えていたからだ。


日本では珍しいかもしれないが、欧米ではけっこうある。
わたしのイギリス人の友達も、自分自身が養子だ。
わたしの彼の妹の元旦那も自分が養子だし、周りにはアジアから養子をもらって育てている欧米人が沢山いる。わたしの会社のアメリカ人の同僚も女の子を養子縁組して、それはそれはとっても嬉しそうにニコニコ「かわいいんだよー」って話していた。なのでわたしにとってはけっこう自然な選択かもしれない。


今現在わたしの彼は家族の都合で2-3ヶ月国に帰っている。
この間スカイプで話した、その時かれもそのことについて積極的とまではいわないまでも、そういう選択もあるよね、と言ってくれた。これから話そう、と。



あれから13年。
今は養子のことを考えている自分がいる。
13年って、ほんと、いろいろあったよな~、と思う。