「平和と人権」 「八重山」 情報 PT.1 アーカイブ

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米軍再編と、自衛隊の配備強化が進む沖縄、オスプレイ配備を許すな。①

2012-05-22 13:24:34 | 平和

6月23日、「慰霊の日」に。

6月24日 八重山毎日
平和への誓い新たに 核廃絶平和都市宣言アピール
遺族、平和憲法の重要性訴え

沖縄は23日、沖縄戦集結から67年目の「慰霊の日」を迎えた。各地で追悼の行事が営まれ、県内はこの日、鎮魂の祈りに包まれた。石垣市では全戦没者追悼式・平和祈念式(市主催)がバンナ公園入り口の八重守之塔で行われ、各層の代表や遺族らが冥福を祈り、平和への誓いを新たにした。中山義隆市長は、昨年12月に制定された核廃絶平和都市宣言をアピール。遺族代表が平和憲法の重要性を訴えた。

黙とうを前に、平和を考える作文の朗読があり、最優秀賞の新本貴梨子さん(石垣中2年)が「不発弾や米軍の基地が残っている沖縄。67年たっても戦争が残していったものは消えていない。しっかり考えていかなければならない」と呼びかけた。優秀賞の金城花音さん(大浜中1年)は少年少女合唱団での経験から「歌の力」を実感、「歌を歌うことによって、人々の心に平和の砦を築きたい」と決意を語った。

中山市長は式辞で「悲惨な戦争を永遠に語り継がなければならない。行政としても平和の推進事業を継続して実施する」と強調、核廃絶平和都市宣言も朗読した。県遺族連合会八重山支部の仲山忠篤支部長は「大戦の代償として成立した憲法こそ世界に誇れる憲法だ。悲しい歴史を繰り返さないことを御霊の前に誓う」と語りかけた。式では各団体や各小中学校の代表が献花、一般参列者が焼香を行った。表千家不白流八重山白和会が献茶、石垣女声コーラスあかようら、八重山高校合唱部が平和の歌声を響かせた。

6月24日 琉球新報
鎮魂 祈りに包まれ 慰霊の日・沖縄全戦没者追悼式    

沖縄戦で犠牲になった20万人余のみ霊を慰め、世界の恒久平和を誓う「2012年沖縄全戦没者追悼式」(県、県議会主催)が23日、糸満市摩文仁の平和祈念公園で開かれた。各地の慰霊の塔でも慰霊祭が開かれ、県内は一日鎮魂と祈りに包まれた。米軍普天間飛行場の名護市辺野古への移設堅持や、危険性が指摘されている垂直離着陸輸送機MV22オスプレイの同飛行場への配備計画など、県民の反発が高まる中で迎えた戦後67年の「慰霊の日」。式典で県遺族連合会の照屋苗子会長や高嶺善伸県議会議長が「オスプレイの配備は断じて容認できない」と配備計画の中止を求めた。
 
同公園には早朝から遺族が続々と訪れ、平和の礎に刻銘された犠牲者の名前をなぞり祈りをささげる姿、孫やひ孫に犠牲者の在りし日を語るお年寄りもいた。追悼式には約5500人が参列した。仲井真弘多知事は沖縄の本土復帰40年の現状を「目覚ましい発展を遂げた」と評価する一方、過重な基地負担に言及し「普天間飛行場の県外移設、日米地位協定の抜本的見直しを強く求める」と訴えた。
 
野田佳彦首相は「沖縄に米軍基地が集中し、長年負担をかけている事実は慚愧(ざんき)に堪えない。基地負担の早期軽減に全力を尽くし、具体的に目に見える形で進展させることを誓う」と述べた。横路孝弘衆院議長は「普天間飛行場の辺野古移転、オスプレイの配備に対する県民の大きな不安から目をそらしてはいけない。日米地位協定は抜本的な見直しが必要」と知事の発言に理解を示した。
 
県遺族連合会の照屋苗子会長は「普天間飛行場の辺野古移設、オスプレイの配備はさらなる過重負担を強いるもので断じて容認できない」と述べた。首里高校3年の金城美奈さんが平和の詩「礎に思いを重ねて」を読み上げると会場は静まり返り、涙を拭う参列者もいた。

6月23日 琉球新報
社説: 慰霊の日/史実の風化許さない 沖縄戦の教訓を次代へ

戦後67年、慰霊の日がまた巡ってきた。きょう23日、糸満市摩文仁で沖縄全戦没者追悼式が催され、県内各地の慰霊碑でも祈りがささげられる。激しい地上戦に日本軍が意図的に住民を巻き込んだ結果、おびただしい命が失われ、生き残った者も無残な生を強いられた。こうした犠牲を払って得た教訓を、無にするかのような動きが近年、活発化している。先人が味わった辛酸を、無念を、決して無駄にしてはならない。次代にその教訓をつなぐ使命の重さを、鎮魂の日にあらためてかみしめたい。

珍妙な理屈
今年3月、県は首里城公園内に旧日本軍第32軍司令部壕の説明板を設置した。沖縄戦史の有識者で構成する設置検討委員会がまとめた説明文から、日本軍による住民虐殺の記述と、壕周辺での「慰安婦」の存在を示す記述を削除しており、削除への批判を押し切っての設置だった。県の説明は実に珍妙な理屈だった。虐殺については「あったという証言と、なかったという証言の両方があって不確か」だから削除したという。「あった」というのは目撃証言であり、虐殺の存在をまさに証明するものだ。これに対し「なかった」という証言は、本人がその場にいなかった、目撃しなかったことを示すにすぎない。これを同列に扱い、「見ていない」旨の証言で目撃証言を消去するとは、この種の証言史料を扱う態度として、およそ信じがたい。
 
まるで、ナチスのユダヤ人連行を見たことがない人がいたから、「アウシュビッツの悲劇は存在しない」と強弁するかのような暴論だ。こんな理屈は世界に通用しない。「慰安婦」についても同様だ。第32軍司令部の史料にも軍が女性75人を南部に移動させる命令があり、いくつかの証言から辻の料亭や朝鮮人の女性たちが「慰安婦」にされ、壕内にいたことは分かっている。だがこれも、「見ていない」人がいたから「なかった」ことになった。これらは県教育庁が今年まとめた「沖縄戦日本軍史料」でもあらためて明らかになったものだ。住民虐殺や「慰安婦」の存在は2007年の県平和祈念資料館の証言集でも既に明らかだ。県は自らの資料で明らかな事実を、消去したことになる。昨秋、説明文の内容が報じられた後、県に電話やメールで80数件の記述削除要求が来た。この動きが、県の削除の背景にあったのは間違いない。

頼もしい動き
多くの証言があるのに史実をねじ曲げるのは、歴史教科書の「集団自決」(強制集団死)軍命削除検定とも通底する。一部のグループの圧力で沖縄戦の史実がなかったことにされるのを許してはならない。時がたち、生存する目撃者がいなくなれば、一部のグループは今以上に史実をなかったことにしようとするだろう。史実をきちんと次代に引き継ぐことの重要性が、今ほど問われる時期はない。その意味で、最近の若い人たちの動きは頼もしい。自治体の平和学習事業を体験した高校生や大学生が、沖縄戦を語り継ぐ活動をしたり、病院壕のガイドをしたりしている。本紙連載「未来に伝える沖縄戦」で体験者の話を聞いた中学・高校生は、友人や次の世代に語り継ぐ決意を語っている(本紙22日付)。
 
史実を風化させようとする動きへの抵抗の意思が、無意識のうちに広まりつつあるのではないか。こうした継承の機運を広げたい。軍隊は住民を守らないという教訓、軍の存在が島に敵の攻撃を呼んでしまったという教訓、命こそが何よりの宝であるという教訓を、われわれは沖縄戦という甚大な犠牲を払って学んだ。昨今の自衛隊配備強化の動きは、その教訓に照らして正しいと言えるのか。戦争につながる動きは注意深く排除したい。

6月23日 沖縄タイムス
鎮魂 平和の誓い 慰霊の日

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戦後67年を迎える「慰霊の日」の23日、沖縄全戦没者追悼式(主催・県、県議会)が糸満市摩文仁の平和祈念公園で執り行われた。戦没者の名を刻んだ「平和の礎」や、各慰霊塔でも早朝から多くの遺族が訪れ、追悼の祈りと恒久平和への誓いをみ霊にささげた。式では、仲井真弘多知事が米軍基地の過重負担に言及し、参列した野田佳彦首相ら日米両政府に向けて、米軍普天間飛行場の県外移設を求めた。

普天間問題をめぐっては、政府は名護市辺野古移設の方針を崩さず、墜落が相次ぐ垂直離着陸輸送機オスプレイの配備も容認している。県知事、県内全首長がオスプレイ配備反対を打ち出す中、騒音や事故の懸念は県内全域で広がり「沖縄差別」との声が高まっている。追悼式の参加者からは「戦争を思い出す基地は減らしてほしい」「早く平和な沖縄にしてほしい」などの声が相次いだ。

糸満市米須の「魂魄(こんぱく)の塔」や各慰霊碑では、子や孫を連れた高齢者らが戦没者に向けて語り掛け、線香と食べ物や飲み物を供えて静かに手を合わせていた。戦争体験者の高齢化が進み、平和の礎への追加刻銘申請も減少。ことし、追加された戦没者は過去最少の36人だった。内訳は県内13人、県外23人。刻銘者総数は24万1167人となった。

太平洋戦争末期、日本軍の敗戦が濃厚となった中で始まった沖縄戦は、住民を巻き込む激しい地上戦となった。住民、日米の軍人を含め犠牲者は20万人以上といわれる。県は国籍を問わず、沖縄戦で亡くなった全ての人々に祈る日として、6月23日を慰霊の日と定めている。

6月23日 沖縄タイムス
[「慰霊の日」に]32軍司令部壕の保存を
       
沖縄の観光スポットとして年間200万人以上が訪れる国指定史跡で世界遺産にも登録されている首里城跡。地上の華やかさとは対照的に、その地下に沖縄戦を指揮した旧日本軍の第32軍司令部壕が眠ることを知る観光客は少ないのではないか。

沖縄戦から67年。県は本年度、劣化が進む同司令部壕の現況調査を実施し、保存するかどうかを最終決定する。現時点で安全性の観点から、保存には消極的な姿勢である。埋め戻すことも選択肢に入っているようだ。司令部壕は沖縄師範学校をはじめとする学徒や住民を動員して掘られた。総延長は1千メートルを超える。司令部が南部に撤退する際、自ら爆破したため坑道がふさがれたり、酸素が薄かったりして先に進めない場所がある。補強工事を施しているが落盤の危険性があり、保存が簡単でないのは事実だ。2010年2月に沖縄近海で起きたマグニチュード6・9の地震で数十トンの岩が坑道に落下している。地質が脆弱(ぜいじゃく)な島尻層泥岩(クチャ)で常時湧き水も出ている。坑道の上を市道が走っており、陥没する恐れがある―。県はこれらを困難な理由として挙げる。

沖縄戦の実相を伝える戦争遺跡は県が1998~2005年度にかけて全県で調査した結果、第32軍司令部壕を含め979件が確認されている。戦争遺跡という物言わぬ「語り部」が訴える場の力は圧倒的である。沖縄戦を学ぶ平和教育の場ともなる。安全性に配慮するのは当然だが、全体でなくても保存・公開する方法はあるはずだ。

県は1997年10月、第32軍司令部壕の保存・公開を目指した「基本計画」を策定している。平和の礎、県平和祈念資料館と並び、沖縄から平和を発信する3点セットと位置付けていた。だが、その後、県政交代もあり、基本計画以降は進展がない。当時で20億~30億円とされた予算もネックだ。

第32軍司令部壕に関連して県がことし設置した説明板から原案にあった「慰安婦」や「住民虐殺」の文言が削除され、反発を招いた。県は「沖縄戦における慰安婦、住民虐殺の存在を否定したものではない」と弁明しているが、説得力があるとはとても言えない。慰安婦、住民虐殺を裏付ける証言があるからだ。県は説明板に書き込む字数の制限も理由に挙げている。説明板の設置だけでは限界があり、保存・公開に代わることはやはりできない。

沖縄戦体験者は年々減少していく。体験者の記憶を体験していない世代がどう受け継ぎ、伝えていくか。私たちが直面している切実な課題だ。戦争遺跡は、沖縄戦の「生き証人」といえる存在である。私たちが過去に向き合い、想像力をはたらかせ、声なき声に耳を澄ませることができれば、過去と現在をつなぐ「歴史の証人」として立ち現れてくるに違いない。「初めに結論ありき」の調査ではなく、県は、どうすれば保存・公開が可能なのかを、安全性にも配慮しながら、探ってもらいたい。

6月23日 八重山毎日
社説:防衛力より外交力 慰霊の日にいま一度考えたい

沖縄独自の平和教育
きょう23日は戦後67回目の「慰霊の日」。沖縄は独自の休日と定め、各地で戦没者追悼式を行って大戦で犠牲になった20万人余の霊を慰め、反戦平和を誓う。また、県内各学校は6月を平和月間と設定し、戦争体験者を招いての講話やさまざまな企画で、戦争のむごさ、愚かさ、平和の尊さを学んでいる。これは全国的にも数少ない取り組みであり、高く評価したい。戦争体験者が高齢化し、減り続ける中で、次代を担う子どもたちに愚かな戦争を語り継ぎ、風化させないようにするのは私たちの使命である。
 
ところが近年は平和学習のあり方も大きく変化した。本土からの修学旅行は、これまでの戦跡地巡り・平和教育型が激減、自然体験学習型に変わりつつある。地元八重山に目を向けても、悲惨な戦争マラリア犠牲者遺族会への慰謝事業で建設された八重山平和祈念館が、平和学習の場として有効に活用されているか、また修学旅行で本島南部の戦跡巡りをしているのか、いま一度考えよう。

全国に伝わらぬ沖縄の痛み
今年は本土復帰40周年の節目の年でもある。県民の期待の大きい「基地のない島」は、日米安保条約の大義のもとに復帰前とさほど変わらず、米軍基地は依然として全国の70%以上の面積を占めている。沖縄は、わが国唯一の地上戦に巻き込まれた地として反戦平和への希求心が強い。しかしその一方で、ベトナムやイラク戦争など紛争地に最前線部隊を送り出している。
 
戦地へ向かう人の精神は、誰もが極限状態だ。犯罪を誘発する状況下にあり、これまで幾度も米兵犯罪が起きている。沖縄は望まなくとも、間接的に国際紛争に巻き込まれているのだ。基地問題の解決は国民の痛みの共有が前提だが、それも改善されない。普天間米軍基地問題も県民の頭ごなしに辺野古移設計画が進められ、知事も地元市長も「不可能」と断言する地域に引き続き推進する国の姿勢は理解できない。何も変わっていないのである。

冷静さ求められる尖閣問題
この数年、八重山も頭越しのきな臭い話が続いている。日米安保条約をたてに石垣市や与那国などに米艦船が強行入港、さらに給油名目で米軍機が市や波照間などに飛来した。加えて自衛隊機や艦船の港湾・空港利用もかつてないほど増えている。特に尖閣領海内での中国漁船による海保巡視船体当たり事件を機に、南西諸島の動的防衛強化が急浮上、慌ただしく与那国町への沿岸監視部隊配備も決まり、町内はこれをめぐって住民意見が二分、揺れに揺れている。
 
尖閣諸島は登野城地番のまぎれもないわが国の領土である。石原東京都知事の尖閣購入計画は、国に実効支配を迫るものだが、対応を誤れば武力衝突を生じかねない。中国漁船の衝突事件以来、対中、対日の両国民意識は過去最悪の事態に陥っていると言われる。市議会一般質問でも侵攻、交戦権などの物騒な質疑が交わされるようになった。両国でナショナリズムをあおり、対峙(たいじ)すれば、尖閣をめぐって一触即発の緊迫した事態に陥ろう。そうなれば八重山は真っ先に紛争に巻き込まれかねない。戦禍になれば軍隊は住民を守れない。これは戦争マラリアで多くの犠牲者を出した先人の教訓である。平和を希求する私たちは、武力による抑止力より冷静な外交力での問題解決を望んでいる。

6月23日 八重山毎日
不連続線:鎮魂の祈り、きょう6月23日は…
 
鎮魂の祈り、きょう6月23日は、戦後67年目の「慰霊の碑」である。県内の各慰霊塔は香煙につつまれ、戦没者の遺族や友人らが故人をしのび、めい福を祈る。時の流れとともに毎年、この日を迎えるたびに胸をうたれるのは、白髪が増し顔にシワを刻んで老いていく遺族たちの涙を見ることだ。

国内で唯一の地上戦が行われた沖縄では、約20万人余の貴い命が戦争の犠牲になった。八重山では、旧日本軍の避難命令によって住民がマラリア有病地帯に強制的に疎開させられ、約3000人余の人命が失われている。私たちは、悲惨な沖縄戦から戦後沖縄の原点「反戦・平和」の精神を学んだ。しかし、戦争体験者が減少し、沖縄戦は遠い歴史的な出来事になりつつある。だからこそ、戦争の悲惨さと命の重さ尊さを家庭や学校、地域でしっかりと伝えていく努力がますます重要になっている。

人間は無意識のうちに都合の悪い思い出、つらい思い出などを消去する力を備えている。戦争の記憶が人々の記憶から消え去るとき、また戦争という悲劇が現実味を帯びてくる。過去を知らずして明るい将来がつくれるだろうか。社会情勢がいくら変化しようとも、沖縄は常に平和を希求したい。心の風化に歯止めをかける「賢者は歴史に学ぶ」という教訓を忘れてはならない。

6月21日 沖縄タイムス
日米韓が初の本格軍事訓練
       
日本の海上自衛隊と米韓両国の海軍による初の本格的な合同軍事訓練が21日、朝鮮半島南方の公海上で始まった。2日間の日程で、米海軍横須賀基地(神奈川県)に配備されている原子力空母ジョージ・ワシントンが初参加。日米韓3カ国の相互運用性を向上させることで、海洋進出を活発化させる中国や北朝鮮をけん制する狙いがある。

米国防総省などによると、3カ国合同訓練は、米ハワイ沖や日本海で救難捜索訓練が数回実施されてきたが、米空母が参加し、3カ国が艦艇を投入して行う本格的な軍事訓練は初めて。

CV22オスプレイの嘉手納基地配備も

6月21日 沖縄タイムス
[CV22嘉手納配備]机上の軍事思考を排す

非常に気になるニュースが米国から飛び込んできた。米空軍が2010年に作成した特殊作戦に関する計画の中に、CV22オスプレイの嘉手納基地配備が盛り込まれている、というのだ。国内の米軍ウォッチャーは数年前から、嘉手納か韓国のどちらかに、空軍が、特殊作戦用のオスプレイを配備するのではないか、と指摘していた。

今回、明らかになった計画によると、2015会計年度(14年10月~15年9月)から16会計年度までに計9機のCV22を順次、嘉手納に配備する予定だという。なぜ、嘉手納なのか。嘉手納基地には、特殊作戦を任務とする第353特殊作戦群が常駐している。特殊作戦用輸送機MC130を使って敵領空に潜入し、隊員の輸送・回収、支援物資の投下など特殊作戦にあたるのが任務だ。昨年2月に嘉手納基地で実施されたパラシュート降下訓練を思い出してほしい。訓練を実施したのは第353特殊作戦群で、特殊作戦機MC130が投入された。この第353特殊作戦群に、特殊作戦用のCV22を配備するというのである。CV22とMC130をセットで運用するということなのだろうか。安全性に深刻な疑問が生じているオスプレイを、嘉手納と普天間に配備するというのはとんでもない暴論である。政治的にはまったくあり得ないこと、あってはならないことだ。

米軍のV22オスプレイは、ヘリと固定翼機の二つの機能を兼ね備えた垂直離着陸輸送機である。空軍用はCV22オスプレイ、海兵隊用はMV22オスプレイと呼んで区別しているが、機体の基本構造や機能はほとんど変わらない。海兵隊のMV22は今年4月、北アフリカのモロッコで墜落事故を起こし、乗っていた兵士2人が死亡した。空軍のCV22も日本時間の14日午前、米フロリダ州のハールバート・フィールド空軍基地で訓練中に墜落事故を起こし、兵士5人が負傷した。安全性に対する疑問は膨らむばかりだ。

海兵隊のMV22は、普天間を拠点にして、伊江島や本島北部の訓練場などでも低空飛行訓練などを予定している。沖縄と米本国では決定的に異なる点がある。沖縄では飛行場も演習場もあまりにも狭く、住宅密集地に隣接していることだ。復帰40年の間に基地問題の構図は大きく変わった。人口が増え、市街地が拡大し、土地利用が高度化・過密化したことで、米軍の演習空間と住民の生活空間に「緩衝地帯」がなくなった。普天間飛行場と隣り合わせの普天間第二小学校が象徴的なケースだ。

市街地のど真ん中にある「危険な基地」に「危険な飛行機」を配備し、人口過密な狭い沖縄で、飛行訓練をする。米本国で許されないことが沖縄で許されるとすれば、沖縄は今なお、「軍事植民地」というべきである。基地政策を根本から見直すときだ。

6月20日 沖縄タイムス
今度は嘉手納か オスプレイ配備計画
       
今度は、嘉手納か―。普天間飛行場へのオスプレイ配備に県民ぐるみの反発が広まる中、新たに嘉手納基地への配備計画が明らかになった。1週間前に米フロリダ州で墜落したのと同じ空軍仕様の“欠陥機”。過酷な騒音被害と墜落の不安を抱える地域へのさらなる「危険の拡散」は、住民の神経を逆なでにした。「人間扱いされていない」「もう反米・反日運動だ」。これまでにない過激な言葉さえ、地元では飛び交う。

嘉手納基地の滑走路の延長線上に位置し、県内で最も騒音が激しい北谷町砂辺区。松田正二自治会長は「いったい私たちを日本人と思っているのか。もし許されるなら、テロでもクーデターでも起こしたいくらいだ」と、あえて激しい言葉を使ってまで胸の内をぶちまける。「政府のお偉方は地域で暮らす人々の痛みを知らなすぎる。もう怒りさえ通り越した」嘉手納基地の騒音差し止めを求める第3次訴訟には、2万人を超える空前の規模の原告が参加し、平穏な暮らしを求めて係争中だ。配備計画は、そんな声を踏みにじるようにしか地元には映らない。原告団の平良眞知事務局長は、「米軍機の事故のほとんどは嘉手納がらみ。危険な基地に、いつ墜落するかもしれない機種を配備するとは、もう人間扱いされていないとしか思えない」と不信感をあらわにする。「我慢の限界に来た。こうなった以上、嘉手納基地の閉鎖や撤去運動にまでつながるのではないか」と見る。

嘉手納町議会は、17日の宜野湾市民大会に組織参加したばかり。田崎博美議長は「ただでさえ基地被害が深刻な嘉手納に配備するとなれば、もはや危険性の増大というより、地獄を見ることに等しい。体を張って意思表示する」と力を込める。嘉手納町PTA連合会の伊敷猛会長も「受け入れる人など一人もいない。静かな教育環境を求めているところなのに…」と嘆いた。

「絶対にだめだ。子どもたちを犠牲にする歴史は、ここで終わりにさせる」と話すのは、宮森小学校への米軍機墜落を語り継ぐ「石川・宮森630会」の豊濱光輝会長。「沖縄の人は世界を一つだと思い、常識と理性を何よりも大切にしてきた。しかしオスプレイ配備を強行しようとするなら、どうなるか分からない。日米への反感は高まり、島ぐるみの闘いになるだろう」と警鐘を鳴らした。

絶対に許せない三連協反発
嘉手納飛行場に関する三市町連絡協議会長の東門美津子沖縄市長は「基地の周辺で常に不安を抱えながら生活している住民の気持ちを全く無視した計画だ。絶対に許せない」と憤った。その上で「日米両政府が主張する負担軽減に逆行する機能強化だ。県民を人間扱いしない占領意識丸出しの軍の論理には、激しい怒りを覚える。県内配備は絶対に阻止する」と述べた。當山宏嘉手納町長は「CV22の配備など不可能な話。嘉手納基地の現状を考えるなら、計画されること自体、あり得ない」と怒りを通り越してあきれ、「全く理解できない」と何度も繰り返した。

野国昌春北谷町長は「オスプレイ配備は、基地機能の強化で、到底受け入れられない。嘉手納爆音訴訟の原告団や三連協が連携し、これまで以上に配備反対の取り組みを強化したい」と強調。何度も浮上する嘉手納統合案なども挙げ「日米両政府が負担軽減に逆行するようなことをするならば、嘉手納基地の撤去を求めていく」と怒りをあらわにした。

爆音被害が激しいうるま市の島袋俊夫市長は「現在でも飛行経路の真下にあり、騒音や事故の危険性を抱えて住民は生活している。普天間だろうが、嘉手納だろうが配備は絶対に阻止するべきだ。知事を先頭に県民意思を示す必要がある」と述べ、県民大会の必要性を訴えた。

6月20日 沖縄タイムス
オスプレイ嘉手納配備 14~16年に9機

米空軍が嘉手納基地に特殊作戦用垂直離着陸輸送機CV22オスプレイを2014年から配備することが19日、分かった。空軍特殊作戦に関する配備計画(2010年3月作成)によると、16米会計年度(15年10月~16年9月)までに9機を配備する。嘉手納基地は戦闘機などの恒常的な訓練に加え、外来機の相次ぐ飛来で爆音被害や事故が後を絶たない。米フロリダ州で13日に墜落事故を起こしたオスプレイと同型機の配備に反発が広がりそうだ。

米軍関係者によると、米空軍はCV22オスプレイ50機を米本土などに配備する計画で、嘉手納基地には、同基地所属の第353特殊作戦群に15年会計年度(14年10月~15年9月)までに5機、16年度までにさらに4機の計9機を配備する。フロリダ州北西部のハルバート飛行場に司令部を置く空軍第1特殊作戦航空団所属のCV22オスプレイは13日夜、2機編隊で射撃訓練中に大破炎上、米兵5人が負傷した。CV22オスプレイを使用する同航空団は対テロ戦や戦場での任務を主とする部隊で、嘉手納基地では戦地を想定した訓練などを行うとみられる。

同司令部のスライフ司令官は14日の記者会見で、オスプレイの墜落事故原因について「設計上、根本的な欠陥があると疑う理由はない」などと強調した上で、「オスプレイは特殊作戦に役立つ」と述べ、原因の解明を待たずに訓練を再開すると言明した。事故機から有害物質が放出されている恐れがあるとし、現場付近への立ち入りを制限したことなども明らかにした。

6月20日 八重山毎日
社説:八重山も配備に反対 オスプレイ、日米政府は計画を撤回せよ

市民大会に5200人集結
米軍の垂直離着陸輸送機「MV22オスプレイ」配備計画に県民の怒りがさらに強まっている。同輸送機が配備される普天間飛行場の宜野湾市では17日、カンカン照りの暑い日差しの中、5200人(主催者発表)が参加して市民大会を開催。さらに新たな危険性を押し付ける日米両政府に怒りの声を上げるとともに、普天間飛行場へのオスプレイ配備の即刻中止と早期閉鎖・返還を求める決議案を採択した。
 
この宜野湾市民の怒りと不安は当然だ。「世界一危険」といわれる普天間飛行場を、県民が求める県外移設や早期閉鎖・返還どころか、これまで何度も墜落事故を起こしているオスプレイを新たに配備し、さらに危険性を増やそうとしているのだから、政府がしきりにいう沖縄の「基地負担軽減」とはどういうことなのか、その憤りは宜野湾市民だけでなく、「沖縄差別」として県全体に広がっている。オスプレイ配備に対し、県内41市町村のうち既に40市町村議会が反対を決議。残る自治体も近く決議の予定であることから、日米両政府は“県民の総意”を受けて直ちに配備計画を中止・撤回すべきだ。

八重山3市町も反対決議
オスプレイ配備に対し、県内41市町村のうち既に40市町村議会が反対を決議。残る自治体も近く決議の予定であることから、日米両政府は県民の総意を受けて直ちに配備計画を中止・撤回すべきだ。
 
八重山3市町も、石垣市と竹富町が昨年9月、与那国町が同12月の定例議会でそれぞれ反対を決議しており、基地のない八重山の郡民意思も明確だ。同機は従来のCH46中型ヘリと比べて最大速度は約2倍、搭載量は約3倍、行動半径は約4倍となり、その航続距離は朝鮮半島までと広範囲で空中給油も可能とされる。そのためこうした優れた性能は、米海兵隊の装備や能力を向上させ、日米安保上有効な抑止力になると期待は高い。
 
ところが90年代の開発段階から事故が相次ぎ、沖縄では配備計画が明らかにされた昨年以降、各市町村議会が次々反対決議。そして県民に広がる同機の安全性に懐疑的な見方を実証するように4月にモロッコ、市民大会直前の今月14日には米フロリダで墜落事故が発生。その危険性は決定的となった。

県民大会で島ぐるみ運動へ
オスプレイ配備では県内各政党は反対で一致している。仲井真弘多知事も佐喜真淳宜野湾市長とともに上京して19日、国に反対を伝えた。沖縄は23日、67回目の「慰霊の日」を迎える。官房長官は否定したが、よりによってその日に野田首相が知事にオスプレイ配備を要請する旨の報道があり、民主県連が辺野古への普天間移設とオスプレイの早期配備を強硬に進める森本敏防衛相の辞任を求める抗議声明を発表したのは、同じ県民として理解できる。
 
これに対し野田首相は不快感を示したが、それ以前に首相自身が危険を押し付けられる沖縄の不快感と、「墜落と隣り合わせの恐怖の生活」を強いられる宜野湾市民はじめ県民の危険性除去に努力すべきだ。与那国の自衛隊配備も、小さな島を反対・賛成で不幸な対立を避けるべく撤回すべきだ。

八重山で進む自衛隊の住民懐柔作戦

与那国から始まり石垣そして宮古へ、コンサートに名を借りた広報活動進む。

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6月19日の八重山毎日紙面 西表(竹富町)の方より

6月19日 琉球新報
社説:オスプレイ反対 島ぐるみの公憤示すときだ

会場の気温は31度を超えていた。座っているだけで汗が流れる暑さの中、続々と親子連れやお年寄りが詰め掛けた。世代や主義主張を超えて結集した参加者には、危険な欠陥機が頭上を飛び交うことに対する危機感が充満していた。米海兵隊の垂直離着陸輸送機MV22オスプレイの普天間飛行場への配備に反対する宜野湾市民大会は、主催者の目標を超える5200人が参加し、配備を拒む強固な意思を発信した。
 
19日の伊是名村議会の決議によって、県内41市町村の全議会がオスプレイ配備反対で足並みをそろえる。住民代表の市町村議会が立場を鮮明にしたことで、文字通り、島ぐるみの闘いになりつつある。これまで政府は沖縄に寄り添う姿勢を一向に見せておらず、県議会与野党、翁長雄志那覇市長ら基地所在市町村長からは県民大会開催を求める声が噴き出している。県民大会の機は熟した。
 
仲井真弘多知事が出席し、明確な配備拒否の意思を発することが重要だ。関係団体は、知事出席の環境を整える超党派の態勢構築に努めてもらいたい。4月のモロッコ、14日の米フロリダ州と、墜落事故が相次ぐオスプレイの安全性への深刻な懸念が渦巻く中、藤村修官房長官や森本敏防衛相は、事故原因の全容解明が進まないにもかかわらず、普天間への配備に異を唱えようとしない。馬耳東風の故事さえ想起させる振る舞いだ。事故の当事者である米軍当局者、米政府の説明に納得する県民は一人もいまい。
 
米軍側は、機体には問題がなく、人為的なミスと強調するが、配備をにらんだ見切り発車の説明を信用することはできない。そもそも、墜落事故が続くことこそが危険性を雄弁に物語っている。民主主義国家であるはずの米国のオバマ大統領に問いたい。自国の専門家が「兵士の命を軽視している」と指摘する機種が3カ月に2度墜落しても、安全性の再検証さえせず、島ぐるみで反対する「OKINAWA」に配備するのか、と。
 
「ニジティン、ニジティン、ニジララン」(耐えても耐えても、耐えられない)。市民大会で、宜野湾市自治会長会会長の新城嘉隆さんが代弁した市民の心情は、全ての県民に置き換えても当てはまる。事故の危険性、命を軽視する日米両政府の態度は耐え難い。県民大会で不退転の決意を示すしかない。

67年前の6月23日、「慰霊の日」を前に

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6月17日の八重山毎日紙面 西表(竹富町)の方より

6月17日 上野で「ゆんたく高江」

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高江のみなさん

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一坪反戦地主関東の吉田さんが、普天間の国際大学にヘリが墜落したときの写真を見せ、防護服を着た米軍が回収している物はまさしく核物質であったと発言。

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沖縄一坪反戦地主の上原さん