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近頃は自転車で東奔西走。
あと野球も良く観に行くかも。

10・19 川崎決戦。

2005-12-16 03:14:07 | Baseball
1988(昭和63)年10月19日・川崎球場。
ロッテオリオンズ対近鉄バファローズ25・26回戦(ダブルヘッダー)。

二年連続日本一の王者西武ライオンズは既に全日程を終了。二位近鉄との差は1。
近鉄が逆転優勝を遂げるためには「二連勝」が唯一の条件。
観衆30,000。満員札止の川崎球場。
関西ではテレビ中継もされており、ラジオも全国放送。
南海ホークス・阪急ブレーブスの身売りという衝撃的なニュースに揺れた何百万人という野球ファンが、この日の川崎に注目していた。

第一試合。
愛甲の2ランなどで試合は終始ロッテがリード。
4回まで小川にパーフェクトに抑えられていた近鉄打線だが、5回表に鈴木貴久(故人)のソロで追い上げる。
7回に再び2点差とされるも、8回表、代打村上のタイムリー二塁打で同点。
9回表、ここで勝ち越さなければ優勝は消滅する。
一死後、淡口がフェンス直撃の二塁打。代わった牛島から再び鈴木貴がライト前ヒット。だが代走佐藤は本塁タッチアウト。万事休すかと誰もが思った。
近鉄・仰木彬監督はここで、今季限りの引退を表明している梨田を代打に送る。
センター前ヒット。
鈴木貴が決して速くはない足を懸命に飛ばして長駆ホームイン。
4-3。決戦は第二試合へ持ち込まれた。

第二試合。
規定により4時間を超えて新しいイニングに入らない事となる。
第一試合に続き先手はロッテ、マドロックのソロ。近鉄打線は5回まで園川に三振の山。
6回表、二死一二塁からオグリビーのセンター前タイムリー。同点。
7回表には吹石・真喜志の連続アーチで勝ち越し。
その裏、岡部ソロと西村タイムリーで同点。ロッテも粘る。
8回表、ブライアントのソロで再び勝ち越し。
その裏、仰木監督はエース阿波野を抑えに送り出す。
だが、高沢に投じたスクリューが真中高めに抜ける。
同点ソロ。

延長10回表、近鉄にとっての最終回。
ここで勝ち越さねば優勝は無くなる。
ブライアントの二ゴロがエラーとなる。代走安達。
オグリビー三振。
羽田、二ゴロ併殺。

10回裏、あまりにむごい守りにつかなくてはならない近鉄ナイン。
試合の無い西武ライオンズ球場ではファンの喜びが爆発している。
それでも、無得点に抑え切る。
4-4。優勝へはあと1点届かなかった。

翌年、仰木近鉄は西武・オリックスとの三つ巴を制して優勝。
次年には野茂英雄というスターを生み出す。

伝説の「10・19」は、昭和最後の名勝負として未だ野球ファンの心に焼きついている。

その後、仰木彬はオリックスの監督に就任、無名の外野手鈴木一朗をスーパースター「イチロー」に育て上げ、阪神淡路大震災の時には「がんばろう神戸」を合言葉に二年連続優勝と一度の日本一に輝く。

2005年12月15日・呼吸不全のため死去。享年70。


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2 コメント

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衝撃でした。。。 (へしこ)
2005-12-16 08:50:53
昨日のニュースで聞いたときは衝撃でした。。。

話によると抗がん剤の副作用と戦いながら監督をしていたとか…また一人野球を愛してた人が亡くなられて、寂しさが募るばかりです。。。
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静かなる闘将。 (TeroRin)
2005-12-16 19:23:22
仰木監督にはこの言葉がピッタリだね。

内に秘めた激しい闘志を決して表に出さず、それでいて着々と詰めにかかる。血気盛んな若手を弄ぶ老棋士。



監督と同じ時代に、最高の野球を見せてもらえた事がファンとしてこの上なく嬉しかった。



今頃は天国で鈴木貴久と想い出話に華咲かせながら呑んでるのかな…。
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