(中央西線・繁盛編)
そろそろ25時を回ったが繁華街の人通りは減りもしない。だが終電も迫ってきたので席をはずし名古屋駅の中央線乗り場へと向かった。
コンコースの照明はこうこうと照らされて、ごった返している通路は昨年新たに3つ追加され
出口が合計16箇所になったにもかかわらず、溢れ返る人の波がホームに入ることすら困難にしていた。
高架4面8線の専用ホームに下りると25時35分の多治見行最終通勤快速を待つ人が数千名。
沿線住民の急激な増加に加え、3年前の東濃・西尾張地区への首都機能移転により官庁や主要企業が大量移転、
中央リニア新幹線の開業も追い風となり、片側8車線となった国道19号は終日渋滞で動かなくなった。
以来当線の利用者はさらに激増し、列車本数は限界一杯まで増やされ、9万人台の定光寺を除き利用者が10万人を切る駅が消えた。
やがて8分遅れて快速列車が入線。20両分あるホーム一杯に列車が入る。
すでに満員の列車に無理やり詰め込まれ、あちらこちらから悲鳴が聞こえる。
ほどなく浮かび上がる巨大な構造物は人だらけの金山駅。並走する東海道線は先々月から旅客列車の終日運転を始めた。
ホームから人が落ちそうな込み具合の千種で乗り降りは長引き、20両で8万7千人余りの乗客を乗せた列車はは勝川から新首都圏の春日井市に出る。
前が詰まり25kmくらいしか出していないが並行する国道19号の車はまったく動く気配が無い。
新首都に入って目に付くのは超高層ビル、40階建てのマンションの類ばかり。あれは5年前に増築したリヴィン春日井かと思えば見上げるような頭上を中央リニアが跨ぐ。
春日井で客の大半が乗降りするが全く空かない、まだ私を含めて数万人が苦痛に喘ぐ。
左に神領の巨大電車区が見える。すでに30年は使われてきたであろう313系の姿も見える。
高蔵寺では全線複線化され編成も10両に増強された愛知環状鉄道と連絡、ざっと2万人以上が乗り換えて行ったが乗り込む客も同数ほどいて混雑は相変わらず。
今は毎朝始発列車を待つ人で殺傷事件すら起きたと聞く上りホームはさらに拡張工事を行っている。
ここから先は各停の客も乗り込み、異常な混み具合の状態で列車は定光寺までの7kmを走る。
終着間近の古虎渓でやっと空き始めたが、いまだ乗車率250%超の列車は多治見へと走り去る。
この駅も改札が増やされて久しく、改札口が横50mに広がる。
ホームから降りるのに15分近くかかり、大渋滞している国道19号線を動かないITMSで自宅へ向かった。
(東海道新幹線・荒廃編)
そろそろ21時を回り繁華街の人通りも少なく、終電も迫ってきたので席をはずし東京駅の新幹線乗り場へと向かった。
コンコースの照明は薄暗いがホームレスの溜まり場であった通路は昨年に全て閉鎖され
出口は1箇所だけに縮小されたので悲しいほどのだだ広さは感じられない。
片側一面だけのホームに下りると21時14分の新大阪行最終を待つ人が数名。
首都機能移転による沿線住民の急激な減少に加え3年前に起きた東海・南海地震の後遺症で当線の利用者も激減し、
さらに中央リニア新幹線の開業で当線の列車本数も大幅に削減され、利用者がゼロに等しくなった駅は廃止された。
やがて5分遅れて列車が入線。16両分あるホームに3連はやはり不釣合いだ。
くたびれたリクライニングシートに身を沈めて窓外に目をやる。
ほどなく浮かび上がる不気味なシルエットは一昨年廃止された品川駅の残骸。
荒れ果てた新横浜で乗り降りはゼロで3両で15人余りの乗客を乗せた列車は小田原から地震で壊滅した旧線を放棄して開通した新線区間に入る。
180km/hくらいは出してるだろうが並行するバイパスの車は200km/hを軽く越える流れでわが列車を追い抜いていく。
地上に出ても目に付くのは廃ビル、廃マンションの類ばかり。あれは2年前に大噴火した富士山かと思えば頭上を第二東名の高架が跨ぐ。
静岡で客の大半は下車し、残るは私を含めて3人。
掛川の廃駅跡を過ぎて、既に照明を落とした浜松、豊橋を通過すれば
左には三河安城駅跡のの廃車置場である、たった数年しか使われなかったN700系もある。
かつては二本の超高層ツインタワーがそびえていたと聞く名古屋駅は鉄筋平屋の仮駅舎になっていた。
ここから先の乗客は私一人で列車は米原へ力走する。
岐阜羽島の残骸を通過し、米原で最後の1人を降ろした列車は京都・新大阪へと走り去る。
この駅も無人化されて久しく、改札口すら跡形もない。
ホームから降りた階段の下に止めておいた自転車で自宅に向かった。
荒廃した○○線ショートストーリー
http://hobby7.2ch.net/test/read.cgi/rail/1130466000/
そろそろ25時を回ったが繁華街の人通りは減りもしない。だが終電も迫ってきたので席をはずし名古屋駅の中央線乗り場へと向かった。
コンコースの照明はこうこうと照らされて、ごった返している通路は昨年新たに3つ追加され
出口が合計16箇所になったにもかかわらず、溢れ返る人の波がホームに入ることすら困難にしていた。
高架4面8線の専用ホームに下りると25時35分の多治見行最終通勤快速を待つ人が数千名。
沿線住民の急激な増加に加え、3年前の東濃・西尾張地区への首都機能移転により官庁や主要企業が大量移転、
中央リニア新幹線の開業も追い風となり、片側8車線となった国道19号は終日渋滞で動かなくなった。
以来当線の利用者はさらに激増し、列車本数は限界一杯まで増やされ、9万人台の定光寺を除き利用者が10万人を切る駅が消えた。
やがて8分遅れて快速列車が入線。20両分あるホーム一杯に列車が入る。
すでに満員の列車に無理やり詰め込まれ、あちらこちらから悲鳴が聞こえる。
ほどなく浮かび上がる巨大な構造物は人だらけの金山駅。並走する東海道線は先々月から旅客列車の終日運転を始めた。
ホームから人が落ちそうな込み具合の千種で乗り降りは長引き、20両で8万7千人余りの乗客を乗せた列車はは勝川から新首都圏の春日井市に出る。
前が詰まり25kmくらいしか出していないが並行する国道19号の車はまったく動く気配が無い。
新首都に入って目に付くのは超高層ビル、40階建てのマンションの類ばかり。あれは5年前に増築したリヴィン春日井かと思えば見上げるような頭上を中央リニアが跨ぐ。
春日井で客の大半が乗降りするが全く空かない、まだ私を含めて数万人が苦痛に喘ぐ。
左に神領の巨大電車区が見える。すでに30年は使われてきたであろう313系の姿も見える。
高蔵寺では全線複線化され編成も10両に増強された愛知環状鉄道と連絡、ざっと2万人以上が乗り換えて行ったが乗り込む客も同数ほどいて混雑は相変わらず。
今は毎朝始発列車を待つ人で殺傷事件すら起きたと聞く上りホームはさらに拡張工事を行っている。
ここから先は各停の客も乗り込み、異常な混み具合の状態で列車は定光寺までの7kmを走る。
終着間近の古虎渓でやっと空き始めたが、いまだ乗車率250%超の列車は多治見へと走り去る。
この駅も改札が増やされて久しく、改札口が横50mに広がる。
ホームから降りるのに15分近くかかり、大渋滞している国道19号線を動かないITMSで自宅へ向かった。
(東海道新幹線・荒廃編)
そろそろ21時を回り繁華街の人通りも少なく、終電も迫ってきたので席をはずし東京駅の新幹線乗り場へと向かった。
コンコースの照明は薄暗いがホームレスの溜まり場であった通路は昨年に全て閉鎖され
出口は1箇所だけに縮小されたので悲しいほどのだだ広さは感じられない。
片側一面だけのホームに下りると21時14分の新大阪行最終を待つ人が数名。
首都機能移転による沿線住民の急激な減少に加え3年前に起きた東海・南海地震の後遺症で当線の利用者も激減し、
さらに中央リニア新幹線の開業で当線の列車本数も大幅に削減され、利用者がゼロに等しくなった駅は廃止された。
やがて5分遅れて列車が入線。16両分あるホームに3連はやはり不釣合いだ。
くたびれたリクライニングシートに身を沈めて窓外に目をやる。
ほどなく浮かび上がる不気味なシルエットは一昨年廃止された品川駅の残骸。
荒れ果てた新横浜で乗り降りはゼロで3両で15人余りの乗客を乗せた列車は小田原から地震で壊滅した旧線を放棄して開通した新線区間に入る。
180km/hくらいは出してるだろうが並行するバイパスの車は200km/hを軽く越える流れでわが列車を追い抜いていく。
地上に出ても目に付くのは廃ビル、廃マンションの類ばかり。あれは2年前に大噴火した富士山かと思えば頭上を第二東名の高架が跨ぐ。
静岡で客の大半は下車し、残るは私を含めて3人。
掛川の廃駅跡を過ぎて、既に照明を落とした浜松、豊橋を通過すれば
左には三河安城駅跡のの廃車置場である、たった数年しか使われなかったN700系もある。
かつては二本の超高層ツインタワーがそびえていたと聞く名古屋駅は鉄筋平屋の仮駅舎になっていた。
ここから先の乗客は私一人で列車は米原へ力走する。
岐阜羽島の残骸を通過し、米原で最後の1人を降ろした列車は京都・新大阪へと走り去る。
この駅も無人化されて久しく、改札口すら跡形もない。
ホームから降りた階段の下に止めておいた自転車で自宅に向かった。
荒廃した○○線ショートストーリー
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