天真寺日記

天真寺の日々を綴ります

春のお彼岸 京都編

2012-03-18 17:45:28 | 京都便り

3月16日に大谷本廟へお参りに行きました




大谷本廟ではお彼岸の準備の真っ最中。
花文字もまだ半分だけの出来上がりでした。


ちょうど前日得度式を受けられた僧侶方がお参りに来られていました。
坊主頭に黄袈裟が、まぶしー


そういえば私のお得度も3月で、早朝に春の気配を感じながら清々しい気持ちで
お参りに来たことを思い出しました



毎月16日には参道で「ほんびょうさんの朝市」が開催されます。


無添加で手作りのケーキや安全な農法の野菜、珈琲、日用品や雑貨などのお店が並びます。
この時はあいにく早朝だったのでまだ準備中でした。

昨年から始まった「ほんびょうさんの朝市」も少しづつ定着してきて、
昼間はたくさんの人で賑わいます



さてさて、
今月の掲示板は

この言葉は仏典に出てくるお釈迦様のお言葉です。

あるところにキサーゴータミーという女性がいました。
彼女は幼い一人息子を亡くし悲しみにくれて、愛する息子をなんとか生き返らせたいと
お釈迦様のもとを訪ねて生き返らす薬を求めます。
お釈迦様は「ケシの実を持ってきたら薬を作りましょう。ただし、そのケシの実は
誰も死者の出ていない家からもらってくるように」と言われました。

キサーゴータミーは急いでケシの実をもらいに街に出ます。
けれども、街中の家を回って尋ねても、死者の出ていない家は一軒もありませんでした・・・。
        
キサーゴータミーは、どこの家にも死があり愛する人との別れがある事に気づかされます。
死は生きる者誰もが逃れることのできない事だと知り、生死という根本問題を自分自身の事としても向き合った彼女は、出家して生死を超えた仏の悟りの世界を求めることとなりました。

そんな彼女にお釈迦様は次の詩を送られました。
「不死の境地(彼岸)を見ることなしに 百年間も生きるより
 たとえ刹那(一日)の生であれ 不死の境地(彼岸)を見られれば
 これより勝ることはない」  『ダンマパダ・アッタカター』


生死輪廻(しょうじりんね)の苦しみを超えた悟りの世界を求めることが、本当の苦しみの問題を解決する事であると教えてくださっています。


私達は日頃「生」と「死」という根本的な問題を後回しにしてその日暮らしをしています。
キサーゴータミーが愛する息子の死を通して自分自身の問題として気づかされたように、
お彼岸を機縁としてお仏壇やお墓に手を合せ、改めて「生死」の問題を自分の問題としてしっかり向き合い、仏様の教えを聞かせていただきたいと思うことです       合掌


(果)





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