朝起きて、時計を見る。
9:20、、、
9:20?!?!!
最終搭乗時刻は10:20。
普通、国際線の場合空港には2時間前に着くものだし、ライアンエアーの場合3時間前には来いと書いてある、、、
取り敢えず、荷物を持って、ダッシュで寮の前の坂を駆け下りる。
いつも坂の縁石に沿ってタクシーがいっぱい止まっているのはわかっていたので、その一番前に止まっていたタクシーの運転手に、Para o Aeroporto.といい、助手席に乗り込む。
バスとメトロで行くなら1時間かかるが、意外にも15分ほどで着く。
Muito obrigada!と言って走って第2ターミナル行きのシャトルに乗り、着くとまた走ってビザチェックを済ませ、手荷物検査へ。
検査を終えて搭乗ゲートを確認すると、まだ発表されていなかった。
、、、間に合った、、、、、、。
ここ数日、Danielaがイースターで実家に帰っていて、一人暮らしなのが嬉しくて夜更かしして生活リズムを崩していたのが祟った。反省、、、
3時間のフライトで、ミラノのベルガモ空港へ。
5€50分のシャトルバスで市内まで。
地下鉄の一日券を買おうとするが、カードが読まれずもう一度やり直して、今度はキャッシュで払う。
地下鉄に乗り、ホステルの最寄りのLambrateまで。
チェックインし、荷物を置いて、再び地下鉄に乗ってアルドロッシのガララテーゼの集合住宅まで。
最寄りのBonola駅。ちゃんと調べていなかったのが悪いのだが、歩けそうで歩けなさそうな微妙な距離で、取り敢えず歩き始めたのだが、69番のバスの表示にGallarateseとあるのを見て、咄嗟に運転手に聞いて乗ったのだが、周遊バスの遠回り方向に乗ってしまっていたみたいで、残念ながら下車して結局もっと長い距離を歩くことになってしまった。
と言うのも、リスボンの感覚より随分早く日が暮れてきたので、次の正しい方向のバスを待つのは賢明でないと判断したのだった。
なんとか辿り着いたのは17:55。
管理人のおじさんのところに、2人男性が来ていて話していたのだが、私の方を見てくれたので、咄嗟に交渉しなくては、と思って出て来たのは、Eu sou estudante de arquitectura...
石黒さんに折角イタリア語での聞き方を教えて頂いていたのに、、、
あと5分しかないよ。18時に見学受付終了してるんだと言うおじさんに、まるで日本からはるばる来たかのようにして、えええ、とがっくりして見せると、最初は10分だけねと言っていたのだが、わかった、19時にこの受付を閉めるから、それまでね、と言ってくれた。
え、1時間もいいの?と思って、受付の開館時刻を指差し、ほんとに19時?と聞くと、いやもちろん早い方がいいけど、と返ってきて、もちろんです、急ぎますと言って中に入る。
ボリュームのバランスがいいかんじ。ファサードも、ガラスブロックや窓、そしてその縁取りや縦に並ぶ丸い開口がアクセントとなっていて楽しい。
共有のスペースは劇場のような形。
リスボンのエドゥアルド7世のミラドウロのところをPabloがグリーンシアターと表現していたのを真似するなら、ブラウンシアターといったところか。
共有部で軽くスケッチをとって、出る。管理人のおじさんに、ほんと、ありがとうございましたと言って握手。
19時に待ち合わせましょうと言っていた石黒さんに電話して、待ち合わせをCaderna駅に変更して頂いた。
地下鉄で向かい、改札で合流。
石黒さんはサークルの先輩と同級生だそうで、ミラノ工科大に留学中。
来月リスボンに遊びにくるそうで、先日自作のリスボン観光案内を送ったところ。
ミラノの都市計画の話など伺いながら歩く。
こちらはLoreto広場 ムッソリーニのファシズム時代に絞首刑や見せしめを行う場だったそう。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/ロレート広場
広場のボリュームはそのままに、周辺の建物は建て替わっているようだったが、一つだけ、昔の写真の中の建物と同じように見える建物があった。
絞首刑や見せしめのあった場所に新しく建築する気にはならないだろう、無造作に生い茂る草たち。
広場のボリュームを残し、周囲が変化したりしなかったりする様子が非常に興味深い。
石黒さんオススメのバルに連れて行ってもらう。
10€前後で、お酒と食べ放題。なんてお得!
一人暮らしでなかなか食べられない肉と、旅行中不足しがちな野菜をたくさん食べる。
日本の建築界の話や、ミラノやリスボンの留学中の話など。
特に話題の中心だったのは、どうやって日本人のアートリテラシーを高めるか。
街を良くしていく、という物語の中で、都市計画からのアプローチだけではなく、建築の側からのアプローチもあったら素敵だよねといった話。
それから、ある街を見るとき、人は必ず自分の生まれ教育された街というバックグラウンドを持ってその街を見ているというミラノ工科大の都市計画の授業で出て来たらしい話が面白かった。
そして、私は多分、東京と比較しているのは勿論だが、いつもどこかでリスボンに比べてどうこう、と思っている。
私にとっての第三の故郷リスボンは、この先の建築人生の重要な物差しのひとつになっていくのだろうと、感じた。
9:20、、、
9:20?!?!!
最終搭乗時刻は10:20。
普通、国際線の場合空港には2時間前に着くものだし、ライアンエアーの場合3時間前には来いと書いてある、、、
取り敢えず、荷物を持って、ダッシュで寮の前の坂を駆け下りる。
いつも坂の縁石に沿ってタクシーがいっぱい止まっているのはわかっていたので、その一番前に止まっていたタクシーの運転手に、Para o Aeroporto.といい、助手席に乗り込む。
バスとメトロで行くなら1時間かかるが、意外にも15分ほどで着く。
Muito obrigada!と言って走って第2ターミナル行きのシャトルに乗り、着くとまた走ってビザチェックを済ませ、手荷物検査へ。
検査を終えて搭乗ゲートを確認すると、まだ発表されていなかった。
、、、間に合った、、、、、、。
ここ数日、Danielaがイースターで実家に帰っていて、一人暮らしなのが嬉しくて夜更かしして生活リズムを崩していたのが祟った。反省、、、
3時間のフライトで、ミラノのベルガモ空港へ。
5€50分のシャトルバスで市内まで。
地下鉄の一日券を買おうとするが、カードが読まれずもう一度やり直して、今度はキャッシュで払う。
地下鉄に乗り、ホステルの最寄りのLambrateまで。
チェックインし、荷物を置いて、再び地下鉄に乗ってアルドロッシのガララテーゼの集合住宅まで。
最寄りのBonola駅。ちゃんと調べていなかったのが悪いのだが、歩けそうで歩けなさそうな微妙な距離で、取り敢えず歩き始めたのだが、69番のバスの表示にGallarateseとあるのを見て、咄嗟に運転手に聞いて乗ったのだが、周遊バスの遠回り方向に乗ってしまっていたみたいで、残念ながら下車して結局もっと長い距離を歩くことになってしまった。
と言うのも、リスボンの感覚より随分早く日が暮れてきたので、次の正しい方向のバスを待つのは賢明でないと判断したのだった。
なんとか辿り着いたのは17:55。
管理人のおじさんのところに、2人男性が来ていて話していたのだが、私の方を見てくれたので、咄嗟に交渉しなくては、と思って出て来たのは、Eu sou estudante de arquitectura...
石黒さんに折角イタリア語での聞き方を教えて頂いていたのに、、、
あと5分しかないよ。18時に見学受付終了してるんだと言うおじさんに、まるで日本からはるばる来たかのようにして、えええ、とがっくりして見せると、最初は10分だけねと言っていたのだが、わかった、19時にこの受付を閉めるから、それまでね、と言ってくれた。
え、1時間もいいの?と思って、受付の開館時刻を指差し、ほんとに19時?と聞くと、いやもちろん早い方がいいけど、と返ってきて、もちろんです、急ぎますと言って中に入る。
ボリュームのバランスがいいかんじ。ファサードも、ガラスブロックや窓、そしてその縁取りや縦に並ぶ丸い開口がアクセントとなっていて楽しい。
共有のスペースは劇場のような形。
リスボンのエドゥアルド7世のミラドウロのところをPabloがグリーンシアターと表現していたのを真似するなら、ブラウンシアターといったところか。
共有部で軽くスケッチをとって、出る。管理人のおじさんに、ほんと、ありがとうございましたと言って握手。
19時に待ち合わせましょうと言っていた石黒さんに電話して、待ち合わせをCaderna駅に変更して頂いた。
地下鉄で向かい、改札で合流。
石黒さんはサークルの先輩と同級生だそうで、ミラノ工科大に留学中。
来月リスボンに遊びにくるそうで、先日自作のリスボン観光案内を送ったところ。
ミラノの都市計画の話など伺いながら歩く。
こちらはLoreto広場 ムッソリーニのファシズム時代に絞首刑や見せしめを行う場だったそう。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/ロレート広場
広場のボリュームはそのままに、周辺の建物は建て替わっているようだったが、一つだけ、昔の写真の中の建物と同じように見える建物があった。
絞首刑や見せしめのあった場所に新しく建築する気にはならないだろう、無造作に生い茂る草たち。
広場のボリュームを残し、周囲が変化したりしなかったりする様子が非常に興味深い。
石黒さんオススメのバルに連れて行ってもらう。
10€前後で、お酒と食べ放題。なんてお得!
一人暮らしでなかなか食べられない肉と、旅行中不足しがちな野菜をたくさん食べる。
日本の建築界の話や、ミラノやリスボンの留学中の話など。
特に話題の中心だったのは、どうやって日本人のアートリテラシーを高めるか。
街を良くしていく、という物語の中で、都市計画からのアプローチだけではなく、建築の側からのアプローチもあったら素敵だよねといった話。
それから、ある街を見るとき、人は必ず自分の生まれ教育された街というバックグラウンドを持ってその街を見ているというミラノ工科大の都市計画の授業で出て来たらしい話が面白かった。
そして、私は多分、東京と比較しているのは勿論だが、いつもどこかでリスボンに比べてどうこう、と思っている。
私にとっての第三の故郷リスボンは、この先の建築人生の重要な物差しのひとつになっていくのだろうと、感じた。