つらつら日暮らし

面山瑞方禅師「肥後求麻永國寺満戒普説」参究(3)

今日は3回目である。江戸時代の学僧・面山瑞方禅師「肥後求麻永國寺満戒普説」を参究する連載記事である。昨日は、戒を受けない場合には仏道修行が継続できないことを示された。それでは、今日はどのような教えになっているだろうか。

 是の故に縦い是の男女、此の戒を受けざれば、彼と異ならず。者回の真俗の男女、二百三十五人、等しく仏位に入るは、無上の大功徳なり。豈に並ぶもの有りや。
 是を以てか、讃戒の偈に言わく、
 戒を妙法の蔵と為し、亦た出世の財と為す。
 戒を大なる舟船と為し、能く生死の海を渡る。
 戒を清涼の地と為し、諸熱悩を澡浴す。
 戒を無畏の術と為し、邪毒の害を消伏す。
 戒を究竟の伴と為し、能く険悪の道を過ぐ。
 戒を甘露の門と為し、衆聖の遊ぶ所なり。
    『永福面山和尚広録』巻10「肥後求麻永國寺満戒普説」


既に【(1)】で述べたように、永国寺さまでの授戒会には、235人の戒弟が参加した。そして、面山禅師は、この真俗(出家・在家)の男女は等しく仏位に入るという。何故ならば、それが可能な功徳を仏戒が具えているためである。

そこで、「讃戒の偈」を示し、その功徳を讃えた。内容としては、戒が「妙法の蔵」であり、「仏として出世するときの宝」であるとしている。更には、「大なる船」であり、これで迷いの生死の海を渡るとしている。「大なる」とある通り、頼りがいがあり、乗っている者の能力や境涯が及ばなくても、よく運んでくれることを意味していよう。また、清涼の境涯であり、熱病の如き煩悩をよく抑えてくれる。恐れが起きないのであり、邪なる毒の害を抑えてくれる。また、究極なる涅槃に到る道の友となり、険悪なる道を通り過ぎることが出来る。そして、戒とは甘露の門であり、ここでこそ、多くの聖者は遊ぶのである。

ところで、この「讃戒の偈」は、面山禅師の作では無くて、引用文である。典拠としては、宋代の慧因が著した『梵網経菩薩戒注』か、明代の雲棲袾宏が編んだ『梵網経心地品菩薩戒義疏発隠』巻一からであろう。年代的にはどちらもありうる。しかし、面山禅師の遺品などを納めている福井県小浜市永福庵の『交割簿』を見ても、両書とも名前は見えない。両方ともに天台智顗の著した『梵網経』の註釈書への、更なる註釈である。面山禅師の手元には、円鏡が著した『梵網経古迹温知』(6冊、貞享2年[1685]刊)があったようである。

残念ながら、現在の段階で同書の精査がまだであるため(一応、拙僧個人蔵はある)、よく分からない。しかし、今後、同書については内容を検討し、面山禅師の戒学形成への影響の有無について参究しておきたい。

なお、話を戻すが、この「讃戒の偈」は、かなり長いものだが、その最初の6句のみを引用しておられる。そして、この偈は本来、「布薩」時に於いて用いられたもののようである。そこで、上記引用箇所と同じ内容に続いて、「持戒」の功徳が説かれている。ただ、面山禅師はそれを示さずに、ただ「讃戒の偈」とのみ示した。しかし、提唱は更に「布薩」へと続いた。その意味では、「偈」の本来の意義を受けていたのは確実である。

その「布薩」については、明日検討したい。

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