先日、隣の海沿いの町に行ってきました。
ガレキや車が散乱していた田んぼは、きれいになってました。
でも、流されたものは帰ってこない。
この写真は、まさに海の前です。
家の基礎が土台ごと動いています。
こんなこと、あるはずない。でも、現実は動いてしまっている。
当たり前だと思われるかもしれない。でもあえて、言います。
流された家は、帰ってこない。どうやって、この家を復旧させるの?
この動いてひしゃげた土台が、現実を訴えます
8/11の花火
おととい、8/11。
地震の被災地10箇所で、ライトアップニッポンの花火が上がりました。
宮城の会場は、我が家の目の前。何も知らなくて、ビックリしました。
おととい、6時半に仕事が終わって、いつも通る家の近くの田んぼ沿いの道を通ろうとしたら
通行止めになっていたんです。
私は「また道路工事をするんだな~」と思って、遠回りして帰りました。
家についたら、突然「ドン!」と花火が上がって。それも目の前に。
ビックリしました。運転していて、なんだか今日は人通りが多いな~とは思っていました。
でも、まさか花火なんて。それも、とっても豪華で、
スゴイ迫力で、音とその衝撃がすごくて。家が揺れました。
地震ではなく、花火の衝撃波で揺れました。
こんなに近くで花火を見るのは、初めて。
なんとか写真を撮りたいと思ったけれど、なかなか難しい。
そのうちあきらめて、自分の目に焼きつけました。
せっかく目の前に上がっているのに、目で見ないなんてもったいないと思って。
あとで、これは被災地10箇所であがったものだと、知りました。
そんなに大きなイベントとは知らなくて、またビックリです。
とても素晴らしい花火でした。幸せでした。
明日で、地震から3ヶ月になります。
地震以降、たくさんのチャリティーソングができました。
いろんなアーティストが、それぞれ出しています。
収益が義援金になっているということで、本当にありがとうございます。
数々のチャリティーソングの中で、私が聴いて涙が出て止まらなくなるのは、
「予定~宮城に帰ったら~」です。
この曲が運転中にラジオから流れたら、涙で運転ができなくなって困るくらい。
これは、宮城版のほかに、福島・岩手もあります。
宮城版は、宮籐官九郎さんと中村雅俊さんが、歌っています。
歌詞は、宮城の名物・観光地・行事などを取り上げて、
宮城に帰ったら○○を食べる、○○に行く、○○をする、と、ずっと歌っています。
ただそれだけなんですが、でもそれが、なんというか、
宮城への愛を感じて、感動して涙が出てしまうんです。
同じように、福島版も岩手版も、郷土への愛を感じます。
被災したのは、この3県だけではないです。
だからこんなことはいけないのかもしれないけれど、東日本全体への愛ではなく、
宮城・福島・岩手だけに愛を贈られていて、感動します。
まっすぐな、郷土愛。地元だけに向けて贈られた、歌。
贅沢ですね。ワガママですね。でも、感動して涙してしまう、私です。
入院していた息子が、昨日無事に退院しました。
と言っても、まだ学校にはしばらく行けません。
振動がよくないので、走るのはもちろん階段の上り下りなども、気をつけないと。
歩くのも、ゆっくりそろりそろりと歩いています。
なので10日くらいは、家で療養することになります。
それでも、退院できたということは、とてもうれしい
昨日は退院後早速、学校に顔出しに行きました。
息子は久しぶりに友達に会えて、うれしそう。
友達も廊下で息子を見つけると、「あっ、○○来てる~」と
階段を駆け上がって、みんなに知らせてました。
その友達の姿が、とてもうれしかった。息子は、いい友達に恵まれているな~と感じました。
友達って、いいですね。感謝です。
昨日の夜ご飯は、息子のリクエストでトンカツ。全部、食べてくれました。
やっぱり、うちの味噌汁は美味しいって。病院の味噌汁は、美味しくなかったからな~。
家族みんなで食べるご飯は、やっぱりいいです。みんなでいると、安心します。
あとはしばらくゆっくり休んで、目がちゃんと治って、
夏には外で遊べるようになったら、いいな~。
私の友達で仕事の同僚でもあるA子が、今元夫からのストーカーに悩んでいます。
離婚に至ったのは、私もそんなに詳しくは知らないんだけど、
舅の介護をやっていたA子に、夫が自分の兄の介護もさせようとしたことが、
離婚の発端になったと聞いています。
今はA子は車で30分くらい離れた実家に戻って、子供3人と自分の母親と暮らしています。
もう1年くらい離れて暮らしていて、特に今まで問題がなかったように見えてたのに、
最近元気がなくて、心配で聞いてみたら、
元夫が追いかけてきて、家に入り込んだりしているとのこと。
職場まできたら店にも迷惑がかかるしと、言っていました。
それは副店長は事情を知ってて、「もしそういうことがあったら守るから」
と言ってくれたそうです。
ただレジという、入ってきて一番初めに会う場所にいるので、本人が一番不安なんです。
私が「少し休んだら?」と言ったら、
「帰って家にいると怖いから、ここで(店)でみんなと一緒のほうがいい」と言います。
それも、そうだと思います。でも、レジで硬い表情でおびえているのを見るのも、つらい。
いったい、とうずればいいんだろう。
警察には、「もっとひどくなったら相談する」と言ってました。
友達として、何をすればいいのか。と言っても、あまり立ち入ってもいけないとも思うし。
悩んでいます。
手術後の息子は全然食欲がなくて、昨日までフルーツしか食べられなかったんです。
これはたぶん長引く入院生活のストレスが、原因だと思う。
ところが、今日行ったらすっかり元気になっていました。
それは昨日、部活の友達が9人、見舞いに来てくれたんです。
高校生が9人も集まれば、それはうるさくなります。
病室ではなく、デイルームというソファーがあるスペースでみんなでおしゃべり。
でもデイルームでもうるさくて、とうとう看護婦さんに注意されたとか。
でも、この友達が来てくれたおかげで、食欲が戻ったんです。
ストレスが、なくなったんですね。
今日、私が買っていったヤマザキのランチパックを、
目の前で、あっという間に食べてしまいました。
友達の力って、スゴイ
私が何度通っても、食欲はまったく回復しなかったのが、
友達がたった1回来ただけで、すごい効果。
やっぱり、友達は偉大ですね。
昨日、下の子が網膜はく離の2回目の手術を受けました。
約1ヶ月前に手術をしたんだけれど、その後一度くっついた網膜がまたはがれて。
レーザーと目の中にガスを入れる治療をして網膜をくっつけたけれど、またはがれて。
それで、2回目の手術になりました。
今回は、前回と同じ手術と同時に、ガスを入れる治療をしました。
なので、時間は前回の2倍の4時間。
もう、長かった~。2回目ということで、癒着があってそれが大変だったとか。
それにガスを入れる治療を同時にやるとは、前日の説明ではなかったので、
あまりに時間が長かったし、何かあったのかと本当に心配しました。
東北大学病院に入院していますが、ここには網膜はく離の有名な先生がいると聞いてます。
昨日の私への説明のあと、眼科の網膜はく離専門の先生でどうしたらいいか話しあって、
その結果、手術とガスの同時治療に決まったということです。
うん、これでよくなることを祈るのみです。
私も以前と同じ手術をやるより効果があると、思っています。
でも、これでまた入院が長引く。もう1ヶ月以上、入院している。
最初はもっと早く退院できると、思っていたのに。
早く、退院したいよ~。
昨日息子が手術室に向かって車椅子で病室を出た直後、息子の彼女がきました。
私の顔を見ると「間に合わなかった~!○○君は?」と。
昨日は学校があったはず。その帰りなのか、とても急いできた感じです。
その様子が、なんだかとてもかわいくて。
本当に今すぐAKBに入れていいくらい、かわいい子なんです。
「手術室に行ったよ」というと、ちょっとがっかりしたみたいに帰っていきました。
彼女がこんなに息子を心配してくれているというのが、とてもうれしい。
なんだか、もう気分は姑。こんなかわいい娘がいたらいいな~。
まだ高校生なのに、彼女を目の前にして母親の私が盛り上がってしまいました。
これは、私が思っていることです。違っているかもしれません。ごめんなさい。
私の住む多賀城市に、末の松山という旧跡があります。
ここは小高い丘になっていて、一本の大きな松があります。
今は隣に普通の民家があって、そのお宅の庭先にその末の松山があるといった、感じです。
末の松山は平安時代から、よく和歌に詠まれています。
百人一首に
「契りきな、かたみに袖をしぼりつつ、末の松山、波こさじとは」という歌があります。
この「末の松山、波こさじとは」が、とても私には感慨深いものがありました。
実は、多賀城は今回の津波でこの末の松山のふもとまで、波が来たんです。
まさに、この歌のとおり。「波こさじとは」です。
この歌は、清原元輔の作です。この方は私の記憶では、清少納言のお父さん。
たぶん、1000年前くらいに作った歌だと思います。
1000年前。東北地方を約1000年前くらいに、大きな津波が襲っていたんです。
偶然でしょうか。
京都にいた清原元輔が、こんな当時は地の果ての多賀城の津波を
知っているはずがないと、思うんです。 不思議です。
多賀城は、市内にたくさん旧跡があります。でも、ほとんどの旧跡は津波の被害がない。
つまり、昔はちゃんと津波があっても大丈夫なところに、街が家があった。
それが1000年のうちにみんな忘れてしまって、どんどん海沿いへ向かって
街を作って、道を作って、家を建てて住んだ。
昔のままだったら、被害などなかったのではないかと、思うんです。
昔からの言い伝えを忘れて、昔の町並みを捨てて、便利さだけを求めた。
その結果、また1000年後に津波にあった。「波こさじとは」です。
この和歌に詠まれているように、末の松山より海側には、
本来は、何も建ててはいけなかったのではないかと、思うんです。
これは、私の考えです。和歌の解釈が間違っているかもしれません。
もし違っていたら、こんなことを言っていた人もいたな~と、笑ってくださいね。
巷は、ゴールデンウィークですね。まぁ、私にはあまり関係ないけれども。
5月に入ってなぜか分からないけれど、私はあまり泣かなくなりました。
もう先週まで、ラジオ・゛テレビ・新聞などでほのぼのするようないい話や頑張っている話、
心にしみる曲などを聞くと、涙が流れて流れて、仕方なかった。
異常なほど心が敏感になっていて、前ならなんともなかったことまで、涙が出てしまってた。
カーラジオでそんな話を聞いたら、運転しながら涙が出て困った。
それがなぜだか、5月に入ったらあまり泣かなくなった。涙が、あまり出なくなった。
心が、丈夫になってきたのかも。それとも、鈍感になったのかな
鈍感になったのならだけど、これもまた地震前の状態、普通に戻ったということかな?
普通に戻ったといえば、私がいつも行っていた仙台港近くのガソリンスタンドが
地震後ずっと休んでいたけれど、昨日から営業していました。
これもまた1つ、普通に戻ったということ。でも、洗車機が使えない。
洗車、したかったのにな~。洗車機のプリペイドカード持っているから、待っていたのに。
私の剛色の愛車。必死に津波から逃げてきた愛車。
絶対にこの車と家にたどり着くんだと、ハンドル握って走った。
きれいに洗いたかった。スタンド営業したら洗車機も使えると思ったのに・・・。ガッカリ。
やりました 楽天Kスタ開幕戦、見事に勝ちました~
田中の完投勝利 ばんざーい
田中は、真の持ってる男ですよ。ここぞという大事なときに、必ず勝ってくれる。
今まで、WBCやオリンピックなどを経験しているけれど、
それでも今日の試合は、一番特別なものでした。
田中自身も言っていたように、絶対に勝たないといけない試合。
星野監督にも「完投や俺は勝ちたいんや」とプレッシャーをかけられ、
自分でも「絶対に勝たないといけない特別な試合」と、プレッシャーをかけて、
それで、しっかり完投で勝つ。
これは、持ってます。何を?って、力を持ってます。
斎藤は仲間を持っているらしいけれど、田中は実力を持っています。
マウンドでの迫力が、他の選手と違います。本当に、スゴイ選手です。田中は。
相変わらずの打線だったけれど、なんとか勝てたのも、田中の気迫のおかげ。
スゴイ 素晴らしい。
試合終了後のセレモニーの嶋の言葉も、素晴らしかった。
原稿を持たないであれだけの言葉を言えるのは、スゴイ
頭いいね。嶋。 うちの店の買い物に来たときは、普通のお兄ちゃんだったのに。
こんなに立派になったんだ~って、変に感心してしまった。
オリックスは今日やりずらかったと思うけれど、今日は特別なので許してください。
今日はベガルタも勝って、最高の一日でした。
村井知事も言ってたように、仙台の復興のスタートの日。 プレイボール・キックオフ。
楽天、ベガルタに力もらって、みんながんばって必ず復興してみせます見ててください。
さて、明日の楽天は試合があります。明日はラズナーの先発。
イマイチ不安だらけのラズナーだけれど、今日に続いて明日もがんばって勝利を期待します。