道々の枝折

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能力限界

2014年01月28日 | 人文考察
人の能力には限界がある。限界に達する一歩手前で、キャリアを終えるのが賢い生き方だと言われている。

石原慎太郎、猪瀬直樹、両東京都知事の辞任までの経緯を考えると、自分の能力限界を自覚できなかった人間の末路を見る思いがする。歴史は、能力限界を無視した権力者の墓碑銘を無数に刻んでいる。

男の人生は一般に、地位の上昇と富の増殖がなければ証を示せない。太閤になるまでの豊臣秀吉こそ、これを証した人物の典型であろう。
小者(草履取り)から足軽、足軽組頭から足軽大将、足軽大将から侍大将、侍大将から城持大名と栄達し、天下人になった。
この人は機縁を捉え、人心収攬と調略の才覚を発揮して信長に認められ、信長が斃れると己の能力の全てを発揮し、専ら己の実力に拠って頂きに攀じ登った。

それほどの器量に優れた人物でも、天下を取った後、俄かに失策を繰り返すようになったのは、彼の能力が天下人に相応しくなかったということだろう。信長の下で十二分に発揮できていた能力が、彼の限界だったということであろう。

信長亡き後の、徳川家康に対する懐柔の苦心ぶりと戦略の単純さを見ると、家康の方がはるかに天下人たる資格と能力において、秀吉に勝っていたことがわかる。つまり家康の能力限界が秀吉よりも高い位置にあったということである。

信長を弑逆した明智光秀という人は、城持ち大名になるまでが能力限界で、彼は自分が天下を経営する器でないことをよく弁えていたと思う。それだけの知性の持ち主だった。だが、異才信長の常軌を逸脱した軍事行動の数々が、彼に心の安寧を与えなかった。
光秀の旧主足利義昭を蔑ろに扱い、盟友荒木村重一族への残酷な仕打ちと、譜代の重臣佐久間信盛の追放、命がけで切り取った本拠地坂本や丹波から、山陰への移封を命ずる冷酷な人事や、四国長曽我部氏への仕打ちなど、多重な負の要因が輻輳し、彼に越えてはならない一線を越えさせたのだろう。本来なら無事引退し、数寄を満喫する豊かな老後生活が約束されていたはずの武将だったのだが・・・
 

軍事の能力と経営する能力とは異なる。クーデターに成功しても、その後の政治的・経済的な基盤を確立できなければ、権力を維持することは叶わない。彼の組下の武将たちの多くも、寄親の光秀がクーデターを引き起こそうとは夢にも思っていなかったろう。主従共に準備不足での決起だった。そもそも天下取りのモチベーションが、本人に不在だったのだろう。野心家の秀吉に抗すべくもない。これも能力限界を超えてしまった人物の悲劇である。

ふたりの主君織田信長は、能力限界まで遙かに余力を剰していたとみて間違いない。天下を掌握し、社会を改革する構想を抱き、世界を認識していた。改革の熱意に燃えていた。だが人間は、状況を客観的に視ることができなくなったとき、弱点が生まれる。いかなる強者にもこの弱点はある。怜悧な信長にもそれはあった。彼はあの時点で、少なくとも京畿において自分を襲撃する者など居るはずもないと、無防備を恐れなかった。彼の、危険に身を晒すことに快感を覚える特異な性質は、彼を戦国の世に突出させた原動力であるが、同時に興業の蹉跌を招く最大の欠陥でもあった。この理性ではコントロールできない衝動的性格によって、信長は自らを滅亡に陥れた。

この人は「信長公記」によると、戦陣において、僅かの供回りだけで狂ったように騎馬で敵陣に突進するようなことが屢々あったという。勇敢というより衝動に駆られやすい性格、異常な心理が垣間見える。母親に疎まれた子、愛されなかった子は、無鉄砲な男に育つ。乳幼児は、母性愛に触れることでのみ安息感を得る。そして安全な環境を最も好むようになる。危険を好む男性には、母親の愛に恵まれなかった人が多い。自分を大切にしなくなるのだろうか?

この世は、自己保存欲求に凝り固まっている人間がほとんどだが、危険に身を晒すことに一種の快感を感じる人々も中にはいる。信長を戦国の世に飛躍させたその特質が、結果として命取りになった。したがって、彼は能力限界によって滅亡した人の例には入らない。

能力限界はどのような経過を辿って、それに達するか。それは自己の能力の冷静な分析不足と外部世界の正確な認識不足の相乗作用に因るのではないかと思う。一言でいえば無知過信しからば過信はどこから生まれるか。それは自分の能力の何割かが、部下や協力者など他者の与力に因るもので、それまで有能で済んでいたのは、それら他者の能力の寄与を周りが知らなかっただけである。すべての能力が自己に帰属していると考える思い上がりが過信を招く。部下の能力の寄与部分を客観的に見積もり評価できない人間は、自分の能力を見誤る。石原元知事はこの典型であったと思う。

人望が厚ければ部下が集まる。有能な部下に恵まれれば仕事は捗る。仕事ができればポストは上がる。上位のポストほどその部下の能力寄与度は大きくなる。

有能な部下は上司を通じて自己実現を図ろうと限界まで努力する。彼らはいつのまにか上司の腹心となり、上司はトップに躍り出る。このあたりから、上司と部下の能力の区分は不明瞭となり、自他の能力は融合して一体化する。トップはそれを自分自身の能力と思いこんでしまう。そして自己過信に陥るのではないだろうか。


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