世界中から熱苦しく・・・「ふじもん世界放学ブログ」

元「変な学校先生」私ふじもんが、ただ今世界を駆け巡っています!世界の今と僕の魂をお届けしますので、ぜひお読み下さ〜い!

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ふじもん世界一周「放学記」第8章日本 「本当にありがとう、そしてさようなら!!!」

2014-08-31 19:03:15 | 日記
2014年8月31日。


8月22日、自らの帰国を自らで勝手に祝う(笑)、「ふじもん祭り・凱旋帰国版」を開催しました。


たくさんの方にお集まりいただき、自分は本当に本当に幸せ者なのだと心から感じました。


ご参加下さった皆様、本当に本当にありがとうございました!


心からの感謝を申し上げます。


皆様のおかげで旅を続けることができ、また無事に帰国できましたことを、改めてここに感謝致します。本当にありがとうございました。



そして・・・



8月最後の今日、「ふじもんブログ・放学記」を終了します。


2013年5月14日からずっと書き続けてきた「放学記」ですが、もう僕の旅は終わっているんですよね(笑)。


日本に帰って来て感じた日本と外国の差異についても何度か書いてきましたが、帰国して約1ヶ月を経た今・・・もういい加減「旅」のブログは終わりにしなければいけませんよね。


今まで僕のブログを読んで下さった全ての皆様、本当にありがとうございました!


何度も何度も、勇気と元気をもらい続けてきました。


今ここを持ちまして、「ふじもんブログ・放学記」は終了します。


本当に本当に、ありがとうございました!



が、しかし!



ブログは止めません(笑)!


ということで、これからは「新しいふじもんの活動・想い」を、発信していきたいと思います!


今はまだちょっとバタバタで落ち着いていないので、もっとしっかり足場が固まり次第、中途半端でなくしっかりとブログを書けるような余裕ができ次第、再び「ふじもんブログ」を始めようと思います!


一先ずは今ここでさようならでございますが、ちょっとしたら復活して参ります。


今まで本当にありがとうございました!そしてこれからも、どうぞよろしくお願い致します!





2014年8月31日。8月とは思えない爽やかな風が吹いている、都内某所のファミレスにて。


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ふじもん世界一周「放学記」第8章日本編 田舎と学校が教えてくれた。バングラデシュ・レポートVol.2

2014-08-24 01:55:00 | 日記
2014年8月24日。


《ここはバングラデシュの地方都市・ラジシャヒ郊外の片田舎。村の名前すら分からない。しかし、訳も分からず訪れたこの村で、そしてこの村の学校で、僕は「何か」を感じさせられた。》


「どこから来たんだい?そうか、日本か!」


「ラジシャヒで何をするんだい?特に大切な用事がないなら、ウチの村に来ないか?」



ダッカからラジシャヒに向かう列車の中で僕に話し掛けてきたおっちゃん。例によってメッチャ人懐っこく、お菓子をご馳走してくれるわ色んなことを教えてくれるわで、いつもの通りゆっくりさせてくれなかった(笑)。


そんなお誘いに乗ってしまった僕は、おっちゃんに言われるがままに乗り合いタクシーに乗り込んだ。ここはラジシャヒ駅。おっちゃんの村まではタクシーで30分くらいだという。


そして辿り着いたのがこの村。




そう、そこはまさに「村」!




な〜んもないやないかぃ!


おっちゃんは広い畑を持っているらしく、自慢げに「あとで俺の畑を案内するよ!」と言っていた。そしてまず、村の中を案内してくれたのだが・・・。


そこがまた凄かった!人々の注目度がハンパじゃない!み〜んなこっちをガン見してくるし、道を歩けば行列ができ、止まれば人垣が出来る。ダッカでもそうだったが、ここはより田舎なだけに人々の注目度はさらに高い。


そりゃそうだ、ここは観光客などまず訪れない村。外国人が来るなんて、そりゃ珍しくてしょうがないのであろう。




しかしそれにしても、本当にバングラデシュ人は優しい。家では食べきれないほどの食事をご馳走してくれたし、案の定「ホテルの予約はしてないんだろ?だったら今夜はウチに泊まっていけ!」となってしまった。ま、そりゃもう遠慮なくホームステイいちゃいますけどね(笑)!



これほどまでに何もない村も久し振りだ。


こういう中を歩いていると、色んなことを考えさせられる。


生きるということそのものを、そして今の自分とこれからの自分の生き方を。


パッと見は何もない。ただの田舎の村だけど、そこにある「愛」というか「絆」というか、そういうものはハンパなく感じる。



何もないけど「何か」がある。こういう場所に来ると、それだけで魂に響く「何か」の学びがある。僕はいつも、そんな感覚に襲われる。


それが「村」だ。だから僕は、村が大好きだ。



僕はおっちゃんに頼んで、地元の学校にも足を運ばせてもらった。そこで僕は、驚くべき様子を目にした。


学校そのものは綺麗ではないし、教室も狭くて汚い。黒板もチョークも「本当に書けるの?」と、疑いたくなるくらいのボロさである。


イスラム圏の学校らしく、教室は男女が完全に分けられている。いくつか男女が同じ教室で学んでいるクラスもあったが、座席は完全に区分されていた。


そして、僕は教室で学ぶ子ども達の様子に本当に驚かされた。


校長先生の紹介で僕が教室に入る。すると、誰かが合図をしたわけでもないのに、全員が一斉にビシッと起立して、僕を迎えてくれたのだ。それはまるで軍隊のように正確で、一糸乱れぬ動きだった。


さらにそれは、1つだけの教室ではなかった。どの教室でも、みんな一斉に起立をして僕を迎えてくれる。その際、先生が何かの指示をしたわけではない。その規律の高さに、僕は驚かされた。




僕は世界中の学校を訪問してきたけど、これほどまでに礼儀正しく僕を迎えてくれた学校は初めてだ。なんと気持ちのいいことか、僕は純粋に感動した。



そして考えた。教育の在り方って何なのだろうって。


今日本でしきりに叫ばれているのは、新しい教育の形。そのイメージは、どうも北欧などの教育先進国と言われている国をイメージしたようなものがほとんどのような気がする。


確かにヨーロッパの国々には、新しくて斬新な取り組みをしている学校は多い。僕もオランダで「ピースフル・スクール」という新しい教育システムを実践している学校を視察してきたが、そこには大きな学びがあった。


それと比べると、間違いなく日本の学校は旧態依然としている。それは事実だろう。だけど、果たしてその全てが良くないものなのであろうか。僕はバングラデシュの学校を見ていて、その点を考えさせられた。


この村の学校は確かに古くて設備も何もない。それはそうなのだけど、目を見張るほどの「規律」と「熱意」があった。教え方は先生からの一方通行の講義形式であり、正直そこには工夫はないのかもしれない。いや、現実的に言えば工夫を施すほどの余裕などないと言った方が的確であろう。


だけど、子ども達の「眼」はハンパじゃなく「熱意」に満ちている。学びたいんだ!という想いがひしひしと伝わってくる。そしてみんな姿勢よく席に座り、本当にしっかりとした態度で授業を聞いていた。


「とても良い学校だな。」僕は純粋にそう思った。


でも、オランダの学校を見たときも同じように思った。


そしてさらに言えば、日本の学校を思い出してみても、僕は同じように思うのである。


つまり僕は何を言いたいのか?それは「全部それぞれに良さがあるじゃないか!」ということ。


オランダの学びの形は素晴らしかったけど、規律の面で言ったらきっとバングラデシュや日本の方が優れている。だけど、例えば創造性教育のような見地から見れば、間違いなくオランダの方が優れているであろう。


日本に帰ってきて再び学校に関わるようになり、そして今回バングラデシュの学校を訪れる機会を得られたことで、僕の中でまた不思議な想いが生まれてしまった。


日本の学校にはたくさんの問題点がある。それはそうなのだけど、良い点だってある。それはそれで素直に認めていいと僕は思うんだ。その上で、良くない点は改善をし、また海外の新しいシステムも取り入れていけばいいと思う。


人間と同じだ。国と同じだ。どの国の学校にも必ず良い点も悪い点もある。良い点は良い点で認め、悪い点も悪い点も素直に認め、そこから改善をしていけばいい。


「バングラデシュは発展途上国だから・・・」などと、先入観で絶対に下に見てはいけない。そこには必ず大きな学びがある。それとは逆に「ヨーロッパは教育先進国だから・・・」などと、先入観でヨーロッパの全てが良いものであるかのように見ることもまたいけない。すると、きっと大事なものを見落とす。



おっちゃんの自宅で夕食をいただき、素晴らしい一室を遣わせていただいた。


こんなに優しい人々がいる国、バングラデシュ。そこにある教育にも、また大きな「優しさ」と「学び」があった。


この日の夜、僕は悟った。いかに自分が何も分かっちゃいないかを。そして、僕は死ぬまで学び続けなくてはいけない存在であるのかということを・・・。



2014年8月24日。虫の音が心地よく響き渡る、埼玉の自室にて。



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ふじもん世界一周「放学記」第8章日本編 俺たちって何者なのか?バングラデシュ・レポートVol.1。

2014-08-22 12:55:13 | 日記
2014年8月21日。


《そんなつもりはなかったけど、ノリと勢いで決まってしまった(?)バングラデシュ・プチ旅。7月21日に日本に帰って来て、3週間後に再び訪れた外国がバングラデシュ。そこには、一度日本に帰ったからこその大きな学びがあった。》


この国は、世界で一番日本人(外国人?)が有名人気分になれる国かもしれない。


ここは首都ダッカの旧市街、通称「オールド・ダッカ」。まさに喧騒と混沌、混乱と騒音、汚染と悪臭の街、それがオールド・ダッカだ。








この街を歩く。すると、もう凄いのよ!



何が凄いって?みんな次から次へと話し掛けてくるんです!


一体何人の人に「Your country?」って聞かれたことか!一体何人の人に「フェイスブックで友達になろう!」って言われたことか!(笑)


とにかく外国人が珍しいということらしいのだが、その話し掛け方はハンパではない。話し掛けてくるだけでなく、写真は撮ってくるし後ろからついてくるし、立ち止まろうものなら人垣が出来ちゃうし、ガイドブックを広げれば覗き込んでくるしチャーもご馳走してくれるし、その人懐っこさはハンパではない。


ああ〜イイカンジ!この「気持ちよさ」と「うざったさ」が同居する感じ、ホントに久し振り!


誰一人として街中で僕に話し掛けてくれない(そりゃ当たり前だな!)日本に比べると、この人懐っこさは気持ちがいいし、そして逆に気持ちが悪い。



バングラデシュ。そこはいわゆる発展途上国である。


街中の様子を見れば、そのことは一目瞭然である。ハッキリ言って汚いし臭い。お世辞にも綺麗な街ではない。同じアジアの国であっても、日本の街中のそれとは雲泥の差である。それは紛れもない事実だ。




だけど・・・やっぱりいつもと同じ問いが、僕を襲う。


経済的には圧倒的に日本の方が発展はしている。でも、「人間」で見たらどうなのだろう。


外国人が珍しいだけなのかもしれないけど、困っていたら誰もが親切に助けてくれる。頼んでもいないのにわらわらと人が寄って来て、次から次へと「どうしたんだい?」と声を掛けてくれる。


もちろんリキシャー(三輪自転車のタクシーのこと)やタクシーの運転手はボッタクリ目的で話してくる人も多いけど、その他の一般人は違う。ただ僕たちと話したくて話し掛けてくるし、純粋に「困っているなら助けてあげたい」という気持ちで話し掛けてくる。実際話し掛けられた後に、金銭的な話になることは全くなかった。



先月日本に帰って来てすぐに感じたこと。それは「何だか人が冷たいなぁ。無関心なのかなぁ。」そんな想い。


そんなことを感じてから再びやって来た、このバングラデシュ。それだけに、感じるものはとても大きかった。


ここへ来て、もう一度問いたい。それは僕自身に対して。


「本当に良い人間って、どんな人間なんだろう。」


正直、ウザイ時もある。どこに行ってもジッと見られるし、1人でいたくても絶対に1人でいさせてくれない。それがバングラデシュだ。



だけど、そこには温かさがあるのだ。



「あ〜もう!」と感じる時もあるけど、そこに悪意がないのも分かる。純粋さの塊なんだというのが分かる。


確かに人にはプライベートがあるし、適度に放っておいてもらわないとイライラもする。でも、誰も自分を見てくれない社会もとても寂しい。今の日本、まぁそれは東京などの大都市に限った話なのかもしれないが、個ばかりが強調される社会も何だか不自然だ。



「良い人間」って、どんな人間なんだろう。



誰にでも温かい人間?誰にでも話し掛けられる人間?誰かが困っている人がいたら放っておけない人間?


他人のことなど放っておいてもビジネスで成功した人間?とにかくお金をたくさん稼げる人間?社会的地位が高い人間?




ダッカの街を歩く人々。それはきっと、社会的地位もお金もない。だけど、困っていたら必ず助けてくれるし、必ず笑顔で手を振ってくれる。


いいじゃないか、それでいいじゃないか!それがあれば十分じゃないか!そうも思うけど・・・。


そうじゃない気もする。それもきっと大事なんだけど、何か違う気もする。そこにはその国の政治や歴史や経済や、そーゆーもんが複雑に絡み合って、その中に社会があって・・・そして、そこに人間が存在しているのである。


誰か、僕に教えて下さい。



「良い人間」って、どんな人ですか?


※ダッカの駅で眠るストリートチルドレン。心が痛む光景である・・・。



2014年8月21日。冷房も壊れてしまい、ただひたすらに熱風が駆け抜ける埼玉の自室にて。



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ふじもん世界一周「放学記」第8章日本編 自分の頭で考えろ日本人!なんだか今すごく思うこと。

2014-08-07 22:05:44 | 日記
2014年8月7日。


《僕は常々、「日本とは、日本人とは・・・」を意識してこのブログを書いてきた。日本に帰って来て約2週間。昼間のテレビや新聞やフェイスブックをだら〜っと見てみたりして、僕には感じたことがある。》


なんか違和感を感じる。


それは、政府への批判的な報道と、それに対する人々の反応。


いや、批判はいいんですよ。でもそこには「批判」しかない。


日本国民って、そんなに今の政府が嫌いなんですかね?支持率的にはそれなりにあるはずなのに、ひたすらに批判しかない。


俺、日本のこういうとこは嫌いなんだ。


何かってぇと揚げ足取ったり、「んなことどーだっていいじゃん!」みたいなとこをチクチク突っつく。


俺、日本大好きだし日本人として誇りを持っているけど、やっぱりおかしなところはたくさんある。


そして一番理解できないのは、自らの国を貶めるような報道の数々。


あれが一番意味不明だ。


ハッキリ言って、俺マスコミ好きじゃねぇかな(笑)。



世界のどこに行っても、こんなに自分の国を愛していない国民は日本人しかいないと思う。


「国を愛す」というと、何故かヒステリックに「戦争」と結び付ける。何故か「愛国」がタブーのようになっている。


こんなの、日本だけだよね。ちょっと「愛国」っぽいことを言うと、何故か「右翼」みたいに見られたりする。


星条旗を見ても何も反応しないくせに、日の丸には異様に反応を示す。


それ、絶対おかしいと思う。


俺ブラジルで「友達100人プロジェクト」ってのやったとき、インタビューした全員に「ブラジルのことは好きですか?」って聞いてみたんだ。


そしたら全員迷わず「Yes!」って答えた。本当に全員。


ちょっとビックリした。誰一人、迷わずに返答をするし。



そんな日本だけど、世界の人は日本のこと、すごく評価してくれているんだよね。


どこの国に行っても、「ジャパニーズ」と言って嫌な思いをすることなんてなかった。一度も。


国境で日本のパスポートを見せて、いちいち面倒な質問をされたりすることも全然なかった。


それどころか、「ジャパニーズ?オッケー」と、あっさり通してくれることもたくさんあった。隣の国を除いてね(笑)。


それなのに、日本人は自国のことに否定的。異様に自虐的。


絶対変だよ、それ。


どこかの国みたいに異常なまでに自分の国を信じるのも怖いけど、日本のように異常なまでに自虐的なのも同様に怖い。


もう、そういう「思考」から、日本人は変わるべきなんじゃないかなぁ。俺はそう思う。


完璧な国なんてないんだし、それでもその中で自分の故国を愛す。それでいいじゃないか。



そのときはまだ日本にいなかったけど、「なんだそりゃ?」って感じたのは、集団的自衛権の閣議決定のとき。


まるで明日戦争が始まるかのように、メディアは大騒ぎをしていた。


あれ、マジで滑稽だったな。「なんでそうなるの?」って、中国から報道を見ていた。


フェイスブックも異様だった。


狂ったように安倍政権を批判したり、それに同調する書き込みが躍っていた。


俺はここでどっちがどうとかを述べるつもりはないけど、マスコミも新聞もフェイスブックの投稿も、なんか異様だった。


まるで「戦争は嫌!」っていう飾り物の正義を唱えていれば、それが絶対の正義になるかのように。


誰だって戦争は嫌なんだよね。その戦争を避けるための1つの外交政策として、集団的自衛権もあるんじゃないかと俺は思うんだけど。


たぶん「戦争は嫌!」って叫ぶだけじゃ、戦争は防げないと思う。もっとリアリズムに考えないと。


まぁでもそれはいいや。俺が怖く感じたのは、まるでフェイスブック上では「集団的自衛権反対派」以外の意見を書くことは「非国民」になるかのような、そんな異様な空間だったこと。


両方の意見が共に主張できることが大切なのに。


「いや、僕は集団的自衛権、賛成ですよ」っていう書き込みは全然見なかった気がする。その逆で、「反対することが正義!」みたいな感じで、なんだか怖かった。


そしてちょっと醜かった。フェイスブックみたいな空間で、やたらとひたすらに政府批判をしている人も。それもとんでもない暴言で。


別にどっちが良いとか悪いとかを言いたいんじゃない。俺は別に安倍政権の絶対的な支持者でもない。だけど、批判をするマスコミにもフェイスブック上の人々にも、なんか違和感を感じた。



これは余談だけど、日本に帰って来て旅先で出会ったある友達と飲んだとき、集団的自衛権の話になった。


その友達は、かなりの剣幕で「集団的自衛権ってヤバイよね!」って大反対をするから、色々聞いてみた。


そしたらそいつ、そもそも集団的自衛権が何なのかの説明も出来ないんだよね(笑)。


つまり何も分かってないけど、なんとなく戦争と結び付く気がして反対していたみたい。


俺はまだ生まれていなかったけど、60年安保闘争の話を思い出す。


あのときも、意味も分からず国家にデモに行っていた人がいっぱいいるんでしょ?



日本に帰って来て、マジで思う。


俺ら国民1人1人がマジでもっと賢くならないと、この国は変な方向に行ってしまう。


それを正せるのは、最後は絶対に国民1人1人の知性だと思うから。


あんまり「この国が〜」とか「日本が〜」とか言うと変に誤解を真似るかもしれないけど、でもこの旅を終えて、俺はさらに「日本」への意識が強くなった。


実はその想いが、これからの俺の道を変えていくような気がする。


つまり!今回の文章で俺が言いたいこと!


「マスコミに踊らされるな!周りの人に惑わされるな!自分の頭で自分の価値観で考えろ!」ってこと!


旅をして思った。俺ら1人1人は脇役なんかじゃなくて、マジで1人1人が主役なんだと。


だからそういう想いを、日本の若い世代に伝えていきたい。なんか、そういうことを思うようになってきたなぁ。



2014年8月7日。暑くてしゃーない、埼玉の自室にて。



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ふじもん世界一周「放学記」第8章日本編 『KazokuとNakama』俺たちは失ってなんかいねーぜ!

2014-08-04 16:04:08 | 日記
2014年8月4日。


《東日本大震災のとき、「絆」という言葉が世に広がった。でも昨今の日本は、特に家族の「絆」が失われつつあるんじゃないかとよく聞く。本当にそうなのかなぁ?俺は全然、そんなことねぇと思うんだよなぁ!》


たとえば、キルギスの遊牧民。


家族みんなで家を建て、食卓を囲み、みんなで話をし、時を過ごす。






確かにそこには「絆」がある。「絆」を感じられる。


たとえば、エジプト南部に住むのヌビア人。


いつも家族一緒に生活をし、バスを待つのも畑に出るのもみんな一緒。






確かにそこには「絆」がある。「絆」が感じられる。



じゃあさ、日本はどうなのさ?日本人って本当に家族の「絆」みたいなもんって失ってしまったのか?


たとえば、埼玉県に住むとある一家族。


バカ息子がいい歳こいて「世界を歩く!」って世界中を旅し、ついこの前帰ってきたらしい(笑)。

↑懐かしい・・・アルゼンチンの氷河の前での一枚(笑)。

この家族に「絆」はないのか?日本人に「絆」はないのか?


そんなことはねぇ。そんなのはとんでもねぇ話だ。



確かに、老人の「孤独死」や子どもの「孤食」、老人の「1人暮らし」や若者の「引きこもり」など、日本は多くの問題を抱えている。それは事実だ。


だけどそれは社会構造の変化によって生まれてしまった問題であって、日本人の心が損なわれたわけじゃない。



旅をして、僕はそのことを強く感じた。



旅をしている間、どこの国にいたって何をしていたって、家族や身近な人たちのことを忘れたことなんてことは一度もない。


それは僕が特別なんじゃなくて、旅をしている日本人はきっとみんな同じ気持ちだ。



世の中は確かに変わった。少子高齢化が進み、核家族化も進み、一人っ子も増え・・・確かに「絆」を感じにくくなっているのかもしれない。


でもそれは「感じにくい」だけで、「無くした」わけではない。「失って」なんかいない。


僕は日本に帰って来てから、親子やご家族を見かけるととても注意深く見ている。どんなふうに親は子どもに接し、どんなふうに話しているのかな〜って見ている。


それを見ていて、僕は思う。



愛情溢れてますよ。


人や家族を愛すること、全然失ってないですよ。




確かに↓こんな世界に飛び込むと、日本人って心を失ってしまったかのように感じられるかもしれない。


でも、旅に出て日本を離れ、ちょっとだけ過酷な環境に身を置きながら旅をしていると、家族ほど温かい存在なんてないことに気付く。


そして悟る。


自分は家族を愛しているんだと。



アンケート調査とかしてねぇし絶対とは言えないけど、きっとみんな同じことを感じているはずだ。


社会構造の変化によって、人間関係がおかしな方向に進んでしまっている部分は確かにあるんだろう。


でもそれは「喪失」なんかじゃない。ちょっと「かくれんぼ」しちまってるだけだ。



だから僕は、日本の若者には旅をしてほしいんだな。


家族のありがたみがマジで分かる。仲間の素晴らしさがマジで分かる。

↑一緒にアメリカ横断をした日本人の仲間。

旅先で仲良くなれた日本人は、まさに「同胞」だ。

↑一緒にエジプトからスーダンへ抜ける超過酷フェリーに乗った、日本人の仲間。

マスコミの報道を見ていると、まるで日本人は大切なものをすべて失ってしまったかのような感覚に落とされそうになる。


でも、そんなのに惑わされちゃいけない。



俺らは、失ってなんかいない。



変な方向に行きかけているなら、それを正せばいい。絶望を煽るような報道なんかより、受け止めた現実をより良い未来に変える方法を考える方がよっぽどいい。


もう一度言います、日本に帰ってきて本当に感じました。



俺らは、愛とか友情とか絆とか、そういうもん全然失っちゃいないって!

↑この旅の最後に出会った、日本人の仲間。


おかしくなってるもんはみんなで直していこう!必要なものがあるならみんなで作っていこう!


きっと俺は、そういうことを感じて声を大にして言えるようになるために、旅をしたのかもしれないな。


よし、文章書いてて何だか元気になってきた!(笑)一丁やってやっかね、この俺の人生の中で!



2014年8月4日。うだるような暑さの中にある、都内某所のスターバックスにて。



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