世界中から熱苦しく・・・「ふじもん世界放学ブログ」

元「変な学校先生」私ふじもんが、ただ今世界を駆け巡っています!世界の今と僕の魂をお届けしますので、ぜひお読み下さ~い!

【ふじもん世界放浪「放学記」第4章中東編 『正義論』vol.2】

2013-11-30 21:22:35 | 日記
2013年11月30日。


《中東という地域は本当に紛争が絶えない。イランやイラクをはじめ、現在ではシリア、そしてイスラエルとパレスチナの問題など、終わりのない対立と紛争が続いている。そして僕は考える。「正義」の在り方を・・・。》


パレスチナ難民キャンプの学校を訪れたとき、壁に飾られた地図にはイスラエルという文字はなく、「パレスタイン」と書かれていた。


イスラエルを案内するツアーガイドの説明を聞いていたら、「ユダヤ人にとって、この地に自らの国を作ることは当然の摂理なんです。」と話していた。



共に「正義」なのだ。


自分たちが長らく住んでいた土地を追い出されるパレスチナ人からすれば、イスラエルの建国に抗するのもまた「正義」。

聖書によって約束された土地に建国をするユダヤ人からすれば、パレスチナ人を追い出すこともまた「正義」。



共に「正義」なのだ。


でも、共に「正義」だから故に、お互いに退くことができない。

お互いに「正義」を貫く。それ故に、戦いに繋がる。


ヨルダンで出会った日本人に、手塚治虫氏『アドルフに告ぐ』という漫画をいただいた。

夢中で読んだ。

ナチスドイツによって迫害を受けたユダヤ人が、今度はイスラエルの建国に反対するパレスチナ人を迫害、虐殺をする。

パレスチナ人はそれに抗し、ユダヤ人と戦う。



共に「正義」なのだ。


「正義」って何やねん。

正義正義って言うけど、それを貫いた結果が戦争になるのなら、そんな正義なんていらないんじゃないか。

別にユダヤ人やパレスチナ人を批判しているのではない。でも世界には、そんな「貫いた正義」故の戦いが蔓延っている気がする。


信念は持つべきだと思う。自分なりの正義を構築することも大切だと思う。

でも、それが強すぎるが故に対立につながるのなら、「正義って何やねん」って思う。



パレスチナ難民キャンプの学校の先生は言っていた。「この世にイスラエルなんて国は存在しない。私たちの前でイスラエルという国名を口にしてはならない。」と。


イスラエルで中東和平のために長らく奮闘している方は言っていた。「ユダヤ人はえげつないことをしてきましたよ。特にテロの疑いのあるパレスチナ人に対しては容赦ない。家を潰し、徹底的にさら地にする。それに抵抗する人がいたら、その家もさら地にする。虐殺した情報も聞いている。」


何かを「貫く」人ってカッコイイ。

何かを「譲らない」人もカッコイイ。


でも、もしそれによって「和」が築けなくなるのなら・・・「貫かない人」「譲る人」の方が、もしかしたらカッコイイ。


先日YouTubeで、靖国神社の問題に関する討論番組を観た。

賛成する人も反対する人も、何だか「100%VS100%」。

共に自らの「正義」を貫いていた。

でも、討論の目的は何?

平和な未来を構築することじゃないの?

俺にはただの「論破のやり合い」にしか見えない。

本質的な目的な何?

平和な未来を構築することじゃないの?

靖国参拝賛成派でも反対派でも、この際どっちでもいい。

共に正義を貫き討論した結果、何が生まれるの?

相手に対する憎しみだけじゃないか。「机上の勝ち負け」だけじゃないか。

本質的な目的な何?

平和な未来を構築することじゃないの?


イスラエルとパレスチナだって、日本と中国・韓国の問題だって、もっともっとたくさん存在する世界中の対立だって、なんかみんなそうだ。

100%VS100%。

共に貫く。それが故に譲れない。そして対立に繋がり、最悪戦争へと導かれる。


僕は子ども達に話してきた。「絶対に絶対はない」と。

世界を見ていて思う。もっと「グレーな中での対話」が必要なんじゃないかって。

だって、お互いに「正しい」理由はある。お互いに「正義」はある。それは分かるけど、

でも、それをぶつけ合ったって、解決にならない。


世の中のことなんて、「絶対」とか「100%」なんてないはずだ。

僕は思う。もっとお互いにちょっとだけ譲って、自分が「グレー」であることを認めることがスタートなんじゃないかって。

あるアーティストは歌っていた。「中途半端を認めてしまえ~!」って。

それって、なんか深い。そこからが、平和へのスタートなんじゃないかって。

もっと、「グレーVSグレー」でいんじゃないかって。

今僕は、そんなことを思っております。


『世界人類が平和になりますように』

2013年11月30日。ロビーのテレビの音がバカみたいにうるさい、アスワンの安宿にて。



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【ふじもん世界放浪「放学記」第4章中東編 『正義論』vol,1】

2013-11-30 05:49:50 | 日記
2013年11月29日。


《正義って何だろう。正しい行いって何だろう。このエジプトという国にいると、そんな思いに否が応でも駆り立てられる。》


エジプトの電車の中。

現地のエジプト人が一般的に使用している電車は、なかなかに汚い。さながらインドのようだ。

この車両に乗っていると、自らの「正義」を試される場面に多々遭遇する。


頭の上にお菓子を入れた箱を乗せた小さな子どもが、引っ切り無しにお菓子を売りにやって来る。

外国人である僕を見ると、彼らは必ず足を止めてこちらをじっと見ている。

僕はここで、自らの「正義」を試される。

僕は、こういう場面であっても必要のないものは、絶対に買わないようにしている。

ここでものを買ったところで、本質的な問題の解決には何ら繋がらないと考えているからだ。

しかし、僕は悩む。「早く立ち去ってくれ」と、いつも心の中で思いながら無視を続ける。


僕のこの行動は、「正義」なのでしょうか?


歩くことさえままならない老人が、バクシーシ低・中所得者層が富裕層に要求する金品のこと)求めて電車の通路を引っ切り無しに歩いてくる。

この日僕が見た老人は、どうやら目が見えないようだった。

僕はここで、自らの「正義」を試される。

僕はこういう状況であっても、絶対にお金をあげないようにしている。

ここでバクシーシを与えたところで、本質的な問題の解決には何ら繋がらないと考えているからだ。

しかし、僕は悩む。「早く立ち去ってくれ」と、いつも心の中で思いながら無視を続ける。


僕のこの行動は、「正義」なのでしょうか?


ちょっと買い物をしたり食事をしようとしてお店に立ち寄る。

僕は当然値段を聞くわけだが、彼らは時にとんでもない値段をふっかけてくる。

僕はここで、自らの「正義」を試される。

そういう時には、当たり前だが僕は値下げ交渉をする。

喧嘩とまではいかないが、けっこうやり合う時もある。

いくら僕が外国人であっても、「観光客価格」とか言われて現地人の価格よりも以上に高い支払いをする必要はないと思っているからだ。

しかし、僕は悩む。「日本円にしたら本当に微々たるもの。別にここで○○ポンド多く払ったっていいんじゃないか。その○○ポンドで、現地の人の助けになるのならば・・・。」と。

でもやっぱり納得がいかないので、僕はガッツリ交渉をする。


僕のこの行動は、「正義」なのでしょうか?


街を歩いていると頼んでもいないのに紅茶を出してきたり、観光地では頼んでもいないのに勝手にガイドを始める人が必ずいる。

彼らは「フリー、フリー!」だと言ってくる。だから僕は、遠慮なく紅茶を頂戴してしまうことも多々ある。

どんなに断っても勝手にガイドを始めてしまう人もいるんで、放っといて説明を聞いてしまう。

僕はここで、自らの「正義」を試される。

フリーだというからいただいた紅茶なのに、「飲んだんだから2ポンド寄越せ」と言ってくる輩も必ずいる。

断っても勝手に始めた説明なのに、「説明したんだからバクシーシを寄越せ」と言ってくる輩も必ずいる。

僕は「フリー」と事前に確認したものに関しては、たとえその紅茶をいただいてしまったとしても、絶対にお金を払わない。だって「フリー」って言ったんだから。

断っても勝手に始めたものに、お金を支払う筋合いはない。だから、たとえ1ポンドであっても、僕は絶対支払わない。たとえその説明をしっかり聞いてしまったとしてもだ。

しかし、僕は悩む。「でも紅茶は飲んじゃったし、払わないとまずいかな・・・。」とか、「しっかり説明も聞いてしまったし、ちょっとくらいお金を渡した方がいいのかな・・・。」とか考える。

でもやっぱり支払う必要はないと思うので、僕は絶対に払わない。


僕のこの行動は、「正義」なのでしょうか?


※ちなみに街中での紅茶などは、仲良くなると本当にご馳走してくれることはよくあります。厄介な人もいますが、それ以上に優しくて温かいエジプト人も本当にたくさんいます。


ちなみにこの写真は、僕がどんなに断っても「いいから撮ってやる」と言ってくるので、撮ってもらった写真です。案の定、「撮ったんだからバクシーシ寄越せ」となりました。



小さな話だけど、人間として日本人として、どのように振る舞うべきなのだろう。僕は日々考えさせられる。

やっぱり僕は日本人だから、彼らから見れば「お金持ち」に他ならないのだ。それはよく分かる。

しかし、でも、いや、だからこそ・・・?何をすることが「正義」なのだろう。

あ~あ、分かんねぇなぁちっくしょう。

今日も悩んでお終いだな・・・(笑)。


2013年11月29日。若い従業員の愛想が悪くてちょっとイライラする、アスワンの安宿にて。



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【ふじもん世界放浪「放学記」第4章中東編 『正義論』vol,1】

2013-11-30 05:49:50 | 日記
2013年11月29日。


《正義って何だろう。正しい行いって何だろう。このエジプトという国にいると、そんな思いに否が応でも。》


エジプトの電車の中。

現地のエジプト人が一般的に使用している電車は、なかなかに汚い。さながらインドのようだ。

この車両に乗っていると、自らの「正義」を試される場面に多々遭遇する。


頭の上にお菓子を入れた箱を乗せた小さな子どもが、引っ切り無しにお菓子を売りにやって来る。

外国人である僕を見ると、彼らは必ず足を止めてこちらをじっと見ている。

僕はここで、自らの「正義」を試される。

僕は、こういう場面であっても必要のないものは、絶対に買わないようにしている。

ここでものを買ったところで、本質的な問題の解決には何ら繋がらないと考えているからだ。

しかし、僕は悩む。「早く立ち去ってくれ」と、いつも心の中で思いながら無視を続ける。


僕のこの行動は、「正義」なのでしょうか?


歩くことさえままならない老人が、バクシーシ(低・中所得者層が富裕層に要求する金品のこと)求めて電車の通路を引っ切り無しに歩いてくる。

この日僕が見た老人は、どうやら目が見えないようだった。

僕はここで、自らの「正義」を試される。

僕はこういう状況であっても、絶対にお金をあげないようにしている。

ここでバクシーシを与えたところで、本質的な問題の解決には何ら繋がらないと考えているからだ。

しかし、僕は悩む。「早く立ち去ってくれ」と、いつも心の中で思いながら無視を続ける。


僕のこの行動は、「正義」なのでしょうか?


ちょっと買い物をしたり食事をしようとしてお店に立ち寄る。

僕は当然値段を聞くわけだが、彼らは時にとんでもない値段をふっかけてくる。

僕はここで、自らの「正義」を試される。

そういう時には、当たり前だが僕は値下げ交渉をする。

喧嘩とまではいかないが、けっこうやり合う時もある。

いくら僕が外国人であっても、「観光客価格」とか言われて現地人の価格よりも以上に高い支払いをする必要はないと思っているからだ。

しかし、僕は悩む。「日本円にしたら本当に微々たるもの。別にここで○○ポンド多く払ったっていいんじゃないか。その○○ポンドで、現地の人の助けになるのならば・・・。」と。

でもやっぱり納得がいかないので、僕はガッツリ交渉をする。


僕のこの行動は、「正義」なのでしょうか?


街を歩いていると頼んでもいないのに紅茶を出してきたり、観光地では頼んでもいないのに勝手にガイドを始める人が必ずいる。

彼らは「フリー、フリー!」だと言ってくる。だから僕は、遠慮なく紅茶を頂戴してしまうことも多々ある。

どんなに断っても勝手にガイドを始めてしまう人もいるんで、放っといて説明を聞いてしまう。

僕はここで、自らの「正義」を試される。

フリーだというからいただいた紅茶なのに、「飲んだんだから2ポンド寄越せ」と言ってくる輩も必ずいる。

断っても勝手に始めた説明なのに、「説明したんだからバクシーシを寄越せ」と言ってくる輩も必ずいる。

僕は「フリー」と事前に確認したものに関しては、たとえその紅茶をいただいてしまったとしても、絶対にお金を払わない。だって「フリー」って言ったんだから。

断っても勝手に始めたものに、お金を支払う筋合いはない。だから、たとえ1ポンドであっても、僕は絶対支払わない。たとえその説明をしっかり聞いてしまったとしてもだ。

しかし、僕は悩む。「でも紅茶は飲んじゃったし、払わないとまずいかな・・・。」とか、「しっかり説明も聞いてしまったし、ちょっとくらいお金を渡した方がいいのかな・・・。」とか考える。

でもやっぱり支払う必要はないと思うので、僕は絶対に払わない。


僕のこの行動は、「正義」なのでしょうか?


※ちなみに街中での紅茶などは、仲良くなると本当にご馳走してくれることはよくあります。厄介な人もいますが、それ以上に優しくて温かいエジプト人も本当にたくさんいます。


小さな話だけど、人間として日本人として、どのように振る舞うべきなのだろう。僕は日々考えさせられる。

やっぱり僕は日本人だから、彼らから見れば「お金持ち」に他ならないのだ。それはよく分かる。

しかし、でも、いや、だからこそ・・・?何をすることが「正義」なのだろう。

あ~あ、分かんねぇなぁちっくしょう。

あ~あ、難しいなぁちっくしょう。

【ふじもん世界放浪「放学記」第4章中東編 『アバヤのその下』物語。】

2013-11-29 05:54:56 | 日記
2013年11月28日。


《アラブ世界の女性と言えば、この服装「アバヤ」。パキスタンなどでは「ブルカ」と言われているそうだが、頭から足まで黒系統一色で身体全体を隠していることは同じである。このアバヤの下に在る女性の姿。僕は今日、ちょっとだけ『アバヤのその下』を垣間見ることができた。》


イスラム圏を旅していると、必ず目にするのがこの独特の女性の服装「アバヤ」。都市部の女性は洋服を着てスカーフを巻いているという姿の人の方が多いが、ちょっと田舎に行くと、まだまだこのアバヤ姿の女性を多く目にする。

僕はこのアバヤが大好きだ。何というか、ミステリアスで、ちょっと怖いような雰囲気もあって・・・。とても魅力的である。ついつい見とれてしまうほどだ。イスラム教の女性は外で男性と話をすることは滅多にないので、アバヤを着ているいわゆる「イスラムの女性」と接する機会はなかなかない。特に外国人の旅行者なら尚更だ。


エジプトでも有数の観光地の1つ、ルクソール。僕はこのルクソールからアスワンに電車で戻るために、駅に向かった。

列車の発車時刻は12時半の予定。しかしここはエジプト、時間通りに来るはずはない。イライラしても仕方ないので、僕は気長に電車の到着を待ちながら、ベンチに座って昼飯を食べていた。

13時。なかなか電車はやって来ない。ホームはかなりのエジプト人で溢れ始めていた。どうやら外国人は僕一人のようだ。

ちょっと写真を撮ろうと思い、僕はバックをイスの上に置いて席を立った。その瞬間、さすがエジプト。サッと僕のバックをどけて、立っていたアバヤ姿の女性が僕の席を占領した。僕が座っていた長いベンチには、横一列5人くらいの女性が座っており、立っている人と一緒に談笑していたのだ。

「おいおいおい、まぁ予想通りだけどね。」

僕は席に戻って、「あの~、ここ僕の席なんですけど・・・」的なオーラを出してみた。するとその隣の女性が席を立ち、「こっちに座る?」と声をかけてくれた。

「いや、大丈夫ですよ。皆さんで座って下さい。」

僕がそう答えると、珍しくそのアバヤ姿の女性は僕に色々と話し掛けてきた。

「お、これはチャンス!」そう思った僕は、なかなか話す機会のないアバヤ姿の女性と色々話してみようと思った。


普段アラブの街を歩いていて、アバヤ姿の女性をじっくり見ることは失礼である。そして外では男性との接触をほとんど持たないので、彼女たちがどのような人柄でどのような話し方をするのか、なかなか見ることができない。だから、こうしてじっくり話をすることができるのは貴重な機会なのだ。


すごく新鮮だった。

しかしその新鮮さというのは、何てことはない、「普通のおばちゃんやおねーちゃん」ということなのだ。

他愛もない話で盛り上がるし、大笑いもする。それは、どこの国でもある女性の姿であった。



子どもは好奇心旺盛に外国人を見ると絡んでくる。しかし一定の年齢になると、それはピタッとなくなる。学校でのイスラムの教育の影響なのだろう。それが良いとか悪いとかではなくて、本当に全く女性から話しかけられることはなくなる。男性はウザイくらいいい歳おっさんがガンガン絡んでくるのに(笑)。


イラク戦争の時であっただろうか、アフガニスタンの「ブルカ」が話題になった。頭から足まで全身を隠し、一切肌を出すことすら許されないその風貌から、女性への抑圧の象徴であるかのように報道されていた。

僕もニュースを見ていて、何となくそんなイメージを与えられていた。アバヤやブルカを着ている女性は抑圧の対象で、自由もなく、心も荒んでいるかのような・・・。そんな印象を与えられていた。

ましてや宗教上の理由から、特に外国人の男性と外で話す機会など滅多にない。余計にイメージばかりが先行してしまい、まるでアラブの女性は女性差別の象徴的な存在のようにマスコミも取り上げていたような気がする。


電車を待つ駅のホームで、僕は5~6人のアバヤを着た女性と話をしていた。アラビア語が分からず、僕がふざけて発音の真似をしてみればみんな手を叩いて大笑いするし、日本人だと言えば、トヨタ!ソニー!と称賛してくれるし、自分の子どもが寄って来れば頬ずりして可愛がるし、お茶を売る人が来れば、僕の分も買ってくれて「一緒に飲もう!」と言ってくれるし。

普段全く話すことはできないけど、それは何てことはない、普通の女性の姿だった。とても楽しそうにみんなで話をし、ワイワイ大騒ぎをする。その姿からは抑圧のイメージなんて全くない。むしろ幸せそうな女性の姿に僕は見えた。

でも、やはりそこには戒律があるのであろう、一瞬盛り上がったものの、僕を含めての会話はすぐに終わった。しかし、女性同士の会話はワイワイ続いていた。それはまさに「おばちゃんのお茶会」のようであった。


「アバヤのその下」にあったもの、それは何てことはない、普通の女性の姿であった。僕は見ていて、そして少しだけ大いに一緒に盛り上がって話をすることができて、何だかとても心が温まった。そこには抑圧などとは程遠い、楽しそうに話をする女性の姿があったからだ。


女性が肌を露出できる=女性の自由の象徴なのか?

そんなことはないと思う。それはあまりにも短絡的な方程式だ。ただの西洋的な視点であて、そんな単純な話ではない。



電車の中でも、彼女たちの談笑は続いていた。こんなに近くでイスラムの女性たちが長い時間ワイワイ話をしているのを見るのは初めてだった。もちろんアラビア語なので何を言っているのかは知る由もないが、その楽しそうな雰囲気はすぐに感じ取れた。


男女共生とか、何が差別で何が平等なのかとか、何だか難しいことを少しだけ考えさせられた電車の中になった。

そういう問いを追求していくことも大事なのだろうけど、今日の僕はそんなのはどうでもよかった。「アバヤのその下」を垣間見ることができ、そしてその下の愛や平和や温かさを感じることができた。

今日の僕には、それで十分だった。



やっぱりさ、人類みんな平和を望んでるのさ!

当たり前の幸せを、当たり前の幸せを・・・。

「アバヤのその下」は、改めて僕にそのことを教えてくれたような気がする。


そして何事も、先入観や偏見や一部の情報だけで判断しちゃいけない。自分で感じてみて、初めて自分の心に落ちる。

そう、一切を捨てて、自分の心で感じること。


大切な教えを受けた、ルクソール~アスワンの電車だった。



2013年11月26日。またまた舞い戻ってきてしまった、アスワンの安宿にて。



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【ふじもん世界放浪「放学記」第4章中東編 エジプト・自転車レンタル物語。】

2013-11-28 02:47:14 | 日記
2013年11月27日。

《エジプトとは本当に面白い国で、買い物1つするのにも「交渉」が必要な国である。これがまた面白おかしくできるときもあるし、イライラの頂点に上り詰めるときもある。そんなエジプトのルクソールで僕は自転車をレンタルしたのだが、これがまた一筋縄にはいかないから、この国は面白い。》

※写真は、今日問題の自転車で駆け抜けた、ルクソール西岸の遺跡群の間の道のりです!


エジプト南部の街、ルクソール。数多くの古代エジプト遺跡が残るこの街には、たくさんの観光客が訪れる。

ルクソールに到着した翌日、僕は自転車で遺跡巡りをしようと思い、自転車を借りることに決めた。安宿のおっちゃんに自転車を借りたいと相談したら、すぐ前の自転車屋で安く貸してくれるから言ってみな、ということだった。

以前出会った日本人が「1日10ポンド(約150円)で借りられるよ」と言っていたので、僕も交渉して10ポンドまで下げるつもりでいた。


エジプトという国は「値段の無い国」である。つまり、ほとんどの商品に値札は貼られていない。極端に言えば「客と相談して、お互いに納得出来たらそれが値段」という国である。

もちろん、全てがそうであるわけではないし、現地の方と観光客とでは当然店側の対応も違ってくる。観光客に対しては、地元の方が取り引きしている価格の何倍もふっかけてくる。

そこで観光客側が納得して金を出せば、それが値段として成立するということなのだ。悪く言えば「ただのぼったくり」だし、良く言えば「交渉性の国」とも言えるだろうか。

本当にとんでもないふっかけ方をしてくる人もいる。3ポンドの水なのに15ポンドだと言ってきたり、1ポンドのボート料金を10ポンドだと言ってきたり。それをいちいち交渉して値下げをしていくのだから、体力を使う国なのだ(笑)。


さてそれはいいとして、僕は安宿から歩いて1分の自転車屋へと足を運んだ。

なかなかに年季の入った自転車屋だ。良く言えば老舗、悪く言えばボロボロなだけとでも言うべきか。お店の中には、これまた年季の入った自転車が上から吊るされている。その台数はけっこうなもので、小さな店内に20台くらいあっただろうか。

「すいません、明日1日自転車を借りたいんですが・・・」

「いいよ、大丈夫だぞ日本人!」

なんか感じのいいおっちゃんだ。これならスムーズに話が進むかな?

「いくらですか?」

「1日だと30ポンドだな。」

当然こう来る。ここからが交渉だ。

「あれ?僕の日本人の友達は、一昨日1日10ポンドで借りてますよ。30は高過ぎですよ!」

「10ポンド?そりゃダメだよ。20ポンドでどうだ?」

「いや、10ポンドで!」

「・・・15ポンドだ!」

「いや、10ポンド!ダメなら他の店に行きますよ?」

「・・・よし、10ポンドでいいよ・・・。」

という感じのやりとりを繰り返し、無事に目標の10ポンドを獲得!よし、サクサク値下げしてくれたし、順調な交渉だった!


さて自転車を借りて10ポンド払って、今日はもう終わりだな~と考えていたのだが、甘かった。ここからが、このおっちゃんとの戦いの幕開けだった。

おっちゃんは徐に1台の自転車を壁から降ろした。こいつぁまた古いやつを選びやがったな!まぁでも1日だけだし10ポンドだし、一応走れればそれでいいだろう。

ということで、降ろされた自転車を受け取り、さて乗るか・・・と思ったところでビックリ。あれ?何かおかしいぞ?

おいおいおい!サドルがねぇじゃねぇか!

いや、まぁ正確に言えばあるのだが、まるで針金の親分のようなイスらしき物体がついているだけではないか!こんなのに座って1日こいでいたら、俺の肛門が張り裂けて違う世界に行ってしまうわ!

「あの~すいません、サドルがないんですけど・・・。」

「サドル?あるじゃないか、ここが。」

と言って、針金の親分の先っぽを指さす。さすがはエジプト人。

「ちょっと待ってやおっちゃん、そりゃ無理でしょ!何とかして下さい!」

おっちゃんもさすがに分かっていたのだろう、奥から布に巻かれたサドルというか何というか・・・言葉では表現し難いイスを持ってきた。そして何分からないが、それはその自転車のサドルにバッチリフィットしたのだ。


やれやれ、これで解決だな、と思ったら・・・あれ?何かおかしいぞ?

おいおいおい、このチャリンコブレーキついてねぇぞ!いくらなんでもこれはシャレにならない。このオヤジはいったい何を考えて、この自転車を僕に渡したのだろう?

「コラおっちゃん!ブレーキがねぇぞ!こりゃいくらなんでもヤバイでしょ!」

「ブレーキ?大丈夫、足で止めればいいんだから!」

このセリフ、マジで言いましたからね(笑)!さて、第2ラウンドだな!

「ちょっとアンタはマジでアホですか?そんな危ない自転車乗れるわけないでしょう!今すぐブレーキつけて下さい!」

「・・・オッケー、10分待ってろ・・・!」

おっちゃんはしぶしぶ重い腰を上げ、ブレーキを取り付ける作業を始めた。こいつはもし僕が文句を言わなかったら、本当にこのまま貸すつもりだったのだろう、さっきのサドルの件も含めて。いや~エジプトってすごい国だね。

でも1つ凄かったのは、このおっちゃんお作業の速さ!本当にあっという間にブレーキを取り付けてしまった。その作業の手際の良さだけは誉めてやろう。ていうか、それが出来るんだったら、初めから取り付けておけ!


やれやれ、これで本当にオッケーだな、と思ったら・・・あれ?何かおかしいぞ?

おいおいおい、ペダル!片方ペダルがないよ!これじゃ漕げないよ!もう何なのよ、この自転車屋!

よ~し、やるか!第3ラウンド!もう腹くくったぜ!

「コラおっちゃん!これ見てみろこれ!どうやって漕ぐんだよ!」

「ペダルか?大丈夫、左側はあるじゃないか、それで行けるよ!」

このおっちゃん、マジで「You have left,no problem」って言いましたからね!最初はいいおっちゃんだから笑顔でしたが、段々闘志が沸いてきちゃいましたよホントに!

ということで、しぶしぶペダルを付け始めたおっちゃん。何やらアラビア語でブツブツ言っているし。何言ってても構わないですが、僕は間違ってないですよ、おっちゃん!

ということで、たった1台の自転車を借りるのに1時間以上かかってしまった。10ポンドに落ちるまでは順調だったのが、そこからが長い戦いだった・・・。


そしてようやく完成した我が自転車!とは言っても、ベースがボロボロの自転車であることに変わりはない。明日1日もつだろうか・・・。そんな不安を抱えながら、僕は自転車に試し乗りをしながら、安宿に戻った。(結果的には最後の最後で後輪がパンクをし、ちょっと苦労しましたが、何とか1日無事に任務を達成してくれました(笑)!)



夕方、1日一緒に戦ってくれた自転車を返しに、僕は自転車屋へと向かった。お店では、昨日のおっちゃんが何やら怒鳴り声を上げながら電話をしていた。

それを見て僕は「もういいや、一応軽く知らせるだけ知らせて、置いていってしまおう。」と思った。自転車がパンクしてしまったので、また「修理代で5ポンド払え!」とか言われた面倒臭いし・・・(笑)!そして僕は、おっちゃんに軽く目で合図を送って、自転車はお店の前に立てかけてそそくさと立ち去ってしまった。

ごめんねおっちゃん。でもおっちゃんだって、最初にとんでもない自転車をそのまま貸そうとしたんだから、おあいこでしょ!


いやいやいや、エジプトってホントに面白い国だ。こんなに面倒臭いのに、何故か憎めない。きっとまたいつか、この国に来るんだろうな~と思いながら、僕は夕飯の「コシャリ」を食べに街の中へ向かった。


2013年11月27日。昨日は全然いなかったのに、今日は天敵の蚊に苦しめられている、ルクソールの安宿にて。




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