三雲南小路遺跡然り、平原遺跡然り、その他近隣の支石墓や古墳然り、伊都国の遺跡はただ遺跡があるばかりで、これまでの遺跡のような発掘状況の展示もなければ、出土品も見当たらない。
数多(あまた)あるといわれる国宝級のお宝はいったいどこにあるのか!?
墓泥棒にでも持っていかれたのか!?
我々は、とある情報筋から古代の美術品を秘かに蒐集するシンジケートの存在を掴み、早速そのアジトに向かった。
そこは、昔の豪商の蔵か小さなお城のように偽装しているが、裏手にまわると近代的で頑強な要塞になっている。
警備は意外と手薄なようで、入口に近づくと次のように記されていた。
『伊都國歴史博物館』
![]() | 表は蔵のように偽装されている(実は旧館)。 |
![]() | 裏には堅牢な要塞が(実は本館)。 |
という訳で、ここは伊都国の遺跡から出土した考古資料を展示する博物館で、前原市の遺跡エリアのど真ん中に立っている。
入館料をとるだけあって、国宝の展示もあるし、機械も壊れていない(笑)。
ボランディアガイドも、我々に説明してくれたおっちゃんは比較的冷静な紳士だった。
メインは伊都國がもっとも栄えた弥生時代で、三雲南小路遺跡や平原遺跡の発掘状況のジオラマや国宝の巨大な内行花文鏡をはじめとする銅鏡、ガラス製の勾玉(まだたま)、メノウ製の管玉(ネックレスのようなもの)が展示されている。
銅鏡といえば、普通は裏面の模様のある方しか見ることはないが、ここには金属製の復元模型を触れるようになっていて、表がちゃんと鏡状に磨かれていることが分かり、銅鏡マニアのUくん大喜び。
出土品には大陸製で伊都国でしか発見されてないものも多く、金印こそないが、大陸との結びつきがかなり強かったことを窺わせる。
また、平原遺跡の銅鏡にはあらかじめ割ってから埋められたものが多いそうで、発掘後の腐食してボロボロになった銅鏡ならともかく、できて間もない粘りもある銅鏡をどうやって割ったのか。石にぶつけたような痕跡もないそうで、まったくもって謎である。
それに、そこそこの規模の統治国家を運営し、文字はない(もちろん一部の人は漢字を使えるが)にしても、通訳を介して外国人と話をし、機織り機で絹織物を作り、偉い人はけっこうまもともな服を着ていたというから、弥生人は決して我々(オレだけ?)がイメージしているような原始人ではないのである。
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左は出土品から想像される女王の衣装。現代と変わらぬくらい立派ではないか。服はともかく、首飾りなどのアクセサリーは実際の出土品のレプリカをつけている。それに比べて、旧館に展示されている人形(右)はなんだ!? これじゃ、弥生人どころかまさに原始人ではないか(念のために言っておくと、この人形は弥生人であるとか原始人であるとかいったいう説明書きはまったくない)。 |
旧館2階には古墳時代の展示があるが、このころにはヤマト王権の力が強くなって大陸へのルートも宗像の方に移っていったのだとか。それでも古墳を造ることを許されてるくらいだから、ある程度の力はもっていたのだろうとボランティアガイドのおっちゃん。
以降の時代の民俗資料みたいなものもあるが、これはどこも大差がないのでどうでもよろしい。
本館4階は平野を見渡す展望フロアになっていて、周辺の見どころがパネル展示してあるので、散策しようと思ってる人は、まずここに立ち寄ることをオススメします。
また、隣にはファームパーク伊都国というのがあって、物産館や子どもが遊べる施設があります。週末はちらし寿司メインの定食も食べれますが、数が少ないので要注意です。
伊都国歴史博物館
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/49/6d/6bb347d68588302a5554ad2c23e31be3.jpg)
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福岡県糸島市前原大字井原916
電話092-322-7038
開館時間:9:00~17;00(入館16;30まで)
休館日:月曜(祝日の場合は翌平日)、年末年始
入館料:一般210円、小中高生100円(特別展示の場合は料金UP)
駐車場:あり
http://www.city.maebaru.fukuoka.jp/city/bunka/ito-museum/
関連スポット
●三雲南小路遺跡、平原遺跡
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