りんりん 子育て親育ち日記

第1鰓弓症候群の長男「慶(けい)」の成長記録と日々育児に奮闘する父母の日常を記録していきます。

NICU入院中のわが子と私

2010-12-30 19:03:06 | NICU
NICUの主治医の説明のあと、入院したわが子と初対面。
ガウンを着て、帽子をかぶって・・・
手洗いを2回して。
NICUはモニター音が終始なっていて、私がすごす産科病棟とはまったく違った空間だった。
そんな中、保育器に入り、点滴・モニターをつけられたわが子。
NICU入院後、体温が少し下がってしまったのと、低血糖が出たため、と説明を受けた。
小さな小さなわが子。顔はまだむくんで目も閉じたままだったけど、
一生懸命生きていた。
でも、かわいそうだった。「どうして」という感情がまたわきあがり、また泣いた。

初対面を終え、ずっと待ってくれていた夫の両親に病名のこと、これからのことを説明した。
自分の親にも電話で連絡。なんとか気丈に振舞った。
病棟のはからいで、産婦さんと同じ部屋でなく、妊婦さんと一緒の2人部屋に入院させてもらった。
面会時間が終わり、夫・夫の両親が帰る。はじめて1人になった。
とたんにあふれてくる涙。でもひっしにこらえた。
21時半の消灯をむかえる。でも、眠れない。それどころかどんどんあふれてくる涙。
どうしようもなく、ナースステーションにかけこんだ。
前向きに考えようとする頭と、それに追いつかない気持ち。
ショック・申し訳ない気持ち・不安・絶望感・・・
もう限界だったんだと思う。
その後、その日担当の助産師さんに1時間ほど話をきいてもらった。

夫の声がききたくて、電話した。
夫も寝付けなかったらしい。夫は慶が私の隣にいないことがかわいそうだ、と言った。
ちょっと涙声にきこえた。
夫婦ともに心細い一晩だったと思う。

担当助産師さんが、赤ちゃんに会いに行って見ましょうか、といってくれ、NICUに連絡をとってくれた。夜中にもかかわらず、面会を了承してくれたNICUに感謝。
やっぱりわが子・慶は一生懸命生きていました。
そんな、慶に勇気をもらった私。
泣いてばかりいてはいけない!でも、出るものは出し切ってからがんばろうと思った。
その日の顔・・・泣きすぎて今まで見たこと無いくらいに目がはれ上がっていた。

出産当日は結局寝付ける自信がなかったので、眠剤をもらった。
3時間は眠れたと思う。
翌日から、NICUへの面会・搾乳がはじまった。
2,3日は気持ちの整理がまったくつかず、相変わらず情緒不安定で
涙したことも多かった。
母が不穏な中、慶は着実に成長していた。強い生命力を見せてくれていた。
入院2日目で点滴がとれ、3日目で保育器から出た。

いつまでも落ち込んでいられない!がんばっている慶、そしてがんばって産まれてきた慶のことをみんなに伝えなきゃ!と思い、身内や近しい友人に出産報告と慶のおおまかな概要をメールした。

おかげさまで、母の私の体調回復は順調で、搾乳量も順調に増えていった。
毎日の面会と搾乳、よく食べること、が私の日課になった。
私が入院中は夫も仕事後、毎日面会にきてくれた。時間外だったが、病棟の了承を得て、2人で毎日慶に会いにいった。
保育器から出た日に面会に行くと、急遽カンガルーケアをさせてもらえることになった。
本当に感激した。
出産直後からはなればなれになり、肌と肌とふれて抱っこしてあげられなかった3日間。
私は幸せな気持ちでいっぱいになった。
今までは遠く感じていた慶の存在を一気に近く感じられるようになった。



コメント (4)
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NICU入院へ

2010-12-29 14:21:54 | NICU
8/27 午後2:04
我が家の長男は2206gという小さな体で産まれた。
元気な産声をあげて、ほっとしたのもつかのま。
先生たちが何だかあわただしい。「NICUの先生すぐよんで」という主治医の先生の声に?がうかんだ。
すると主治医が「口がさけていて、副耳がついていて・・・小児科の先生にみてもらうから」という説明。
陣痛室で待っていた夫もすぐよばれて、説明を受ける。
NICUの先生の診察が終わり、「何らかの症候群の可能性があるので入院して検査します」といわれる。
???出産が怒涛のように過ぎたあとでの、突然のことでまったく頭が働かず、気も動転していて・・・
とにかく不安で涙が止まらなかった。
夫も必死に今起きていることを整理しようとしていた。
主治医や助産師さんたちのはからいで少しだけ親子3人で過ごさせてくれ、3人でのはじめての写真を撮ってもらった。
小さな体で産まれてきたけど必死に生きようとしているわが子、頭を整理していてつくり笑いの夫、涙が止まらない私。
そんな3人がうつった写真だった。
いったい、これからどうなってしまうのか・・・
本当に不安で不安で仕方なかったあのときの気持ちを私たち夫婦はずっと忘れない。
それから3時間くらいたったあと、検査結果の説明でNICUに呼ばれた。

NICUからの結果説明。
わが子の病気・・・
『鰓弓症候群(さいきゅうしょうこうぐん)』。はじめてきいた病名だった。
顎、耳、口に奇形を生じる病気で、難聴を合併する可能性があること、
エコーで内臓系は異常がなかったこと、
この病気は遺伝性ではないこと、知的障害などを併せ持つ可能性は少ない病気であること、などの説明を受けた。
まずは体重が少ないので、NICUで体重が増えるまで入院し、退院後は形成外科、耳鼻科等の定期通院が必要になるといわれた。

NICUに呼ばれるまでの3時間・・とても長かった。夫とはいろんなことを話した。
私は、ちゃんと産んであげられなかったことについて、子供にも夫にも申し訳ない気持ち、罪悪感・・なんともいえない気持ちでいっぱいだった。楽しみに待っていてくれた家族にも申し訳なかった。病気のこと、子供の将来のこと、何も情報が無い中で、色々なことが頭を駆け巡って、不安で・・・涙が止まらなかった。私が「これからどうしていこう・・」と夫にきくと、夫は「どんな子でも自分たちの子供だから受け入れて育てていこう」と言ってくれた。このとき、私はこの人と結婚してよかった、と心の底から思った。
この先、色々つらいこともあるだろうけど、夫と一緒なら逃げずに向き合えるのではないか、と思った。



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