NICUの主治医の説明のあと、入院したわが子と初対面。
ガウンを着て、帽子をかぶって・・・
手洗いを2回して。
NICUはモニター音が終始なっていて、私がすごす産科病棟とはまったく違った空間だった。
そんな中、保育器に入り、点滴・モニターをつけられたわが子。
NICU入院後、体温が少し下がってしまったのと、低血糖が出たため、と説明を受けた。
小さな小さなわが子。顔はまだむくんで目も閉じたままだったけど、
一生懸命生きていた。
でも、かわいそうだった。「どうして」という感情がまたわきあがり、また泣いた。
初対面を終え、ずっと待ってくれていた夫の両親に病名のこと、これからのことを説明した。
自分の親にも電話で連絡。なんとか気丈に振舞った。
病棟のはからいで、産婦さんと同じ部屋でなく、妊婦さんと一緒の2人部屋に入院させてもらった。
面会時間が終わり、夫・夫の両親が帰る。はじめて1人になった。
とたんにあふれてくる涙。でもひっしにこらえた。
21時半の消灯をむかえる。でも、眠れない。それどころかどんどんあふれてくる涙。
どうしようもなく、ナースステーションにかけこんだ。
前向きに考えようとする頭と、それに追いつかない気持ち。
ショック・申し訳ない気持ち・不安・絶望感・・・
もう限界だったんだと思う。
その後、その日担当の助産師さんに1時間ほど話をきいてもらった。
夫の声がききたくて、電話した。
夫も寝付けなかったらしい。夫は慶が私の隣にいないことがかわいそうだ、と言った。
ちょっと涙声にきこえた。
夫婦ともに心細い一晩だったと思う。
担当助産師さんが、赤ちゃんに会いに行って見ましょうか、といってくれ、NICUに連絡をとってくれた。夜中にもかかわらず、面会を了承してくれたNICUに感謝。
やっぱりわが子・慶は一生懸命生きていました。
そんな、慶に勇気をもらった私。
泣いてばかりいてはいけない!でも、出るものは出し切ってからがんばろうと思った。
その日の顔・・・泣きすぎて今まで見たこと無いくらいに目がはれ上がっていた。
出産当日は結局寝付ける自信がなかったので、眠剤をもらった。
3時間は眠れたと思う。
翌日から、NICUへの面会・搾乳がはじまった。
2,3日は気持ちの整理がまったくつかず、相変わらず情緒不安定で
涙したことも多かった。
母が不穏な中、慶は着実に成長していた。強い生命力を見せてくれていた。
入院2日目で点滴がとれ、3日目で保育器から出た。
いつまでも落ち込んでいられない!がんばっている慶、そしてがんばって産まれてきた慶のことをみんなに伝えなきゃ!と思い、身内や近しい友人に出産報告と慶のおおまかな概要をメールした。
おかげさまで、母の私の体調回復は順調で、搾乳量も順調に増えていった。
毎日の面会と搾乳、よく食べること、が私の日課になった。
私が入院中は夫も仕事後、毎日面会にきてくれた。時間外だったが、病棟の了承を得て、2人で毎日慶に会いにいった。
保育器から出た日に面会に行くと、急遽カンガルーケアをさせてもらえることになった。
本当に感激した。
出産直後からはなればなれになり、肌と肌とふれて抱っこしてあげられなかった3日間。
私は幸せな気持ちでいっぱいになった。
今までは遠く感じていた慶の存在を一気に近く感じられるようになった。
ガウンを着て、帽子をかぶって・・・
手洗いを2回して。
NICUはモニター音が終始なっていて、私がすごす産科病棟とはまったく違った空間だった。
そんな中、保育器に入り、点滴・モニターをつけられたわが子。
NICU入院後、体温が少し下がってしまったのと、低血糖が出たため、と説明を受けた。
小さな小さなわが子。顔はまだむくんで目も閉じたままだったけど、
一生懸命生きていた。
でも、かわいそうだった。「どうして」という感情がまたわきあがり、また泣いた。
初対面を終え、ずっと待ってくれていた夫の両親に病名のこと、これからのことを説明した。
自分の親にも電話で連絡。なんとか気丈に振舞った。
病棟のはからいで、産婦さんと同じ部屋でなく、妊婦さんと一緒の2人部屋に入院させてもらった。
面会時間が終わり、夫・夫の両親が帰る。はじめて1人になった。
とたんにあふれてくる涙。でもひっしにこらえた。
21時半の消灯をむかえる。でも、眠れない。それどころかどんどんあふれてくる涙。
どうしようもなく、ナースステーションにかけこんだ。
前向きに考えようとする頭と、それに追いつかない気持ち。
ショック・申し訳ない気持ち・不安・絶望感・・・
もう限界だったんだと思う。
その後、その日担当の助産師さんに1時間ほど話をきいてもらった。
夫の声がききたくて、電話した。
夫も寝付けなかったらしい。夫は慶が私の隣にいないことがかわいそうだ、と言った。
ちょっと涙声にきこえた。
夫婦ともに心細い一晩だったと思う。
担当助産師さんが、赤ちゃんに会いに行って見ましょうか、といってくれ、NICUに連絡をとってくれた。夜中にもかかわらず、面会を了承してくれたNICUに感謝。
やっぱりわが子・慶は一生懸命生きていました。
そんな、慶に勇気をもらった私。
泣いてばかりいてはいけない!でも、出るものは出し切ってからがんばろうと思った。
その日の顔・・・泣きすぎて今まで見たこと無いくらいに目がはれ上がっていた。
出産当日は結局寝付ける自信がなかったので、眠剤をもらった。
3時間は眠れたと思う。
翌日から、NICUへの面会・搾乳がはじまった。
2,3日は気持ちの整理がまったくつかず、相変わらず情緒不安定で
涙したことも多かった。
母が不穏な中、慶は着実に成長していた。強い生命力を見せてくれていた。
入院2日目で点滴がとれ、3日目で保育器から出た。
いつまでも落ち込んでいられない!がんばっている慶、そしてがんばって産まれてきた慶のことをみんなに伝えなきゃ!と思い、身内や近しい友人に出産報告と慶のおおまかな概要をメールした。
おかげさまで、母の私の体調回復は順調で、搾乳量も順調に増えていった。
毎日の面会と搾乳、よく食べること、が私の日課になった。
私が入院中は夫も仕事後、毎日面会にきてくれた。時間外だったが、病棟の了承を得て、2人で毎日慶に会いにいった。
保育器から出た日に面会に行くと、急遽カンガルーケアをさせてもらえることになった。
本当に感激した。
出産直後からはなればなれになり、肌と肌とふれて抱っこしてあげられなかった3日間。
私は幸せな気持ちでいっぱいになった。
今までは遠く感じていた慶の存在を一気に近く感じられるようになった。