Tatsuya Morimoto The Innovation Finder

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関ヶ原へ行ってきました

2011-12-17 23:30:32 | 徒然なること
 漫画「へうげもの」、大河ドラマ「江」、そして極めつけは司馬遼太郎の小説「関ヶ原」と私にとって今年は何となく「関ヶ原Year」でした。ご存知関ヶ原の戦いは1600年10月21日に徳川家康率いる東軍と石田三成率いる西軍が激突した天下分け目の戦いです。この勝利によって徳川家康は権力者としての座を確実なものとし、その後の江戸時代へと続いていったわけです。まさにその後の日本の歴史を大きな左右した日本人なら誰もが知っている大事件です。

 そんな関ヶ原ですが言葉としては認識しているものの果たしてどれだけの人が実際のそこを訪れたことがあるでしょう?もちろん新幹線や高速道路で通過することは多々あれ、あまり途中下車してまで立ち寄った人は少ないのではないでしょうか。実は私もその一人で長年訪れたいと思っていたもののついに機会を得ず今日に至っていました。今年ほど関ヶ原な年も無かったわけで一念発起してようやく本日大阪へ行った帰りに立ち寄るかたちで関ヶ原へ行ってきました。

 関ヶ原の戦いといえば、どちらかと言えば暑い日、朝もやといったイメージを持っていましたが、本日は生憎の雪、そして夕方というなんだか全然違うじゃんという感じの日でしたがまあ仕方が無いです。3時頃JR関ヶ原駅に到着し、駅前で500円のレンタル自転車を借りて寒くて氷雨の降るなかを奇特にも古戦場巡りしてきました。当然ながら僕以外にそんなことしている人は皆無で、犬を散歩していたおじさんに「へえ、今から回るの?おたく変わってるね~」的なことを言われながらも、まずは西軍の事実上の指揮官石田三成の本陣があった笹尾山へ。奇特なことをしている特典として他に全く人がいないなか、かつて三成が見たであろう笹尾山からの関ヶ原の全景をついに見ることができました。それほど遠くないところに松尾山が見えました。その松尾山にいた小早川秀秋の1万5千人が寝返り、突如西軍を横から突いたことにより戦いの大勢は決しました。ここに来てみて関ヶ原の戦いは非常にコンパクトな戦場で行われたことがよく分かりました。本当にこんな狭いエリアに10万人からの兵士がひしめき、殺し合いをしたわけです。まさに百聞は一見に如かず、現地に来てみて映像見たり、書物で読んだ光景がリアルなものとして頭に浮かんできましたよ。

 私が関ヶ原の戦いで長年最も不思議に思っていたことは、戦ったものや裏切ったものはともかく全く動かなかった大名達がいたことです。毛利や長宗我部、島津はなぜ戦場に来ていながらほとんど動かなかったのかという点です。三成本陣から独りで古戦場を眺めつつ思いに耽りました。でも考えてみれば現代社会でもそしてその縮図である会社においてもなんだかんだで傍観している人がたくさんいるわけです。あまり自分では意思を持って動くことはせず、形勢を見つつうまく行きそうなほうにつこうという考え方は特に判断が難しい局面では別に珍しいことではないわけです。むしろがっつり西軍か東軍に組して戦った人達のほうがいまの日本の大企業では見られない責任感の強いリーダーだったり後先を考えず勝負するリスクテイカーだったりするのかもなどといろいろ考えておりました。

 関ヶ原の戦いは小早川の裏切りもあり予想外にあっさりと勝負がついてしまいました。傍観していた人達にとっては本当に意外だったのでしょう。もう少し時間があれば、もう少しあいまいなかたちでダラダラと行けばよかったものの完全に決着が着いて負け組のほうに入ってしまったわけですね。彼らのなかの何人かは割を食って領地を大きく減らされたり、取り潰されたりしました。このように戦国の世では傍観が裏目に出たわけですが、現世の大会社でははっきり言って傍観のリスクはあまりありません。むしろ戦うことのほうが失敗という大きなリスクになってしまいます。うーんおかしいです。これでは日本の将来はないなぁ。今のまんまじゃ大企業の多くの人達は大軍を擁しながら動かないまま終戦を迎えた毛利や長宗我部そのものだよなと彼らが陣取っていた南宮山をのぞみながらふとそんなことを考えたのでした。

 氷雨でずぶ濡れになり、関ヶ原の駅の待ち合い室で電車を待っていると赤いジャージ姿の高校生達が大挙駅へやってきました。ジャージには「彦根東高校ハンドボール部」と書かれていて更に「赤鬼魂」という文字が入っておりました。ご存知旧彦根藩の殿様は井伊直弼で有名な井伊氏であり、現彦根東高校は彦根藩の旧藩校の流れを組んでいます。井伊家は代々「井伊の赤備え」で名を馳せた徳川家の直参中の直参です。関ヶ原の戦いでも先鋒として大活躍しました。そういう子達を関ヶ原で見かけるのも何だか面白いもんだなと思いつつ、彼らと同じ電車で寒い寒い関ケ原を後にしたのでした。


   
   石田三成の本陣が置かれた笹尾山。雪に覆われだあれもいませんでした。
 

   
   笹尾山から三成が見たであろう関ヶ原全景。意外なくらい狭い空間。ここに両軍がひしめき激突した。


   
   島津義弘本陣。島津は最後の戦場脱出で有名。負けたがその後も存続。後に徳川を倒す動機としてここに明治維新のルーツがあるとも言える。


   
   西軍副将宇喜多秀家の旗。彼は奮戦したが敗北。八丈島へ流されそこで長生きしたらしい。


   
   夕闇せまる関ヶ原。戦いの場というイメージより、雪で新幹線がいつも止まる関ヶ原のイメージになってしまいました。


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