また、この手の表題の本を選んでしまいました。
”この手”なんて五木寛之先生に申し訳ないですね。
「より良く生きたい」
そう願ってやみませんが、年ばかり重ねても
なかなか、その方法が分りません。
人生の師を求めているのかも知れませんね。
結局は間違いのない、平安な暮らをしたいという
横着者の気取ったセリフ「より良く生きたい」なのかも知れません。
「生きるヒント」は
いきなり「ありがとうございます、気をつけます」と言いたくなる様な
第一章でした。
先日、ある雑誌のインタビューアーから、
「五木先生がもっとも苦手とする女性は、どういう女性ですか」という
質問をうけました。・・・とはじまりました。
惹かれる書き出しです。
じつは、あらたまって振り返ってみると返答に窮するところがあります。
意地の悪い女性・虚栄心の強い女性・なまけものの女性(中略)・・・な女性と
面々とつづられてあり、いやいやごもっとも、先生ならずともその通り。
と申し上げるばかりの中、五木先生の極めつきは
「ぼくは、<よろこび下手>な女性が苦手です」と。
あら、先生そんなところでしたか。
<よろこび下手・よろこび上手>
はて?
こういう時はやはり「例えば・・・」でしょう。
僕の友人の母親に、こんなタイプの女性がいました。息子である彼が親孝行の
つもりで有名な観光地に案内する。まあ仮に西伊豆あたりのひなびた温泉地だとしましょう。「どうです、ほんとうに静かでいいところでしょ?」と普段は親不孝な息子が殊勝な口ぶりで感心してみせる。すると、その母親は必ずこんなふうに応ずるんだそうです。「そうね、ここも悪くないけれど、わたしは由布院のほうがもっと静かでいいと思うわ」本当はうれしいんですね。・・・・(中略)・・・つまり、<よろこび下手>・・・
なるほど。
やっちゃいそうな話です。
しかし、このよろこび上手になれると
ついには身体の免疫力の向上まで話が
盛り上がってゆきます。
「周りの小さな事から幸せ探しをすべし!そしてそれを習慣付けよう」
了解です。
確かに分っているつもりでも、このように誰かに
「嫌いな女」とまでいわれなければ
単なるクセ程度にしか捉えない事柄も
より良く生きるためのヒントとして確認できれば
実行は決して難しいことではありません。
小説では、なかなかそこまで汲み取れるものではありません。
ずばり、こうして こうすると このように 良いものです。と
書いていただければ、素直に実行するです。
よりよく生きる手立てを探し続けるは
人生の旅人
あれ?
意味不明のカッコ付け止めましょうねさん。
失礼をいたしました。