住んでいる近くの地名に「判在家」という所がある。
地図を見ると周囲は 判在家西、判在家後、判在家向河原、判在家向河原下 など判在家に囲まれた地名である。
ここには、以前にも触れたが「根白石村名起因の石」という大きな石がある。
繰返すが、その昔、源頼朝が奥州に向う途中に立ち寄り、狩りをした際に家臣が大きな鹿を追い詰めて射止めたと思いきや、大きな白い岩だったことから、頼朝が面白がり「ここを根白石村と呼ぼう」といったとの故事から村名がつけられたと言われているが、「将軍様が滞在した所」という意味で、このあたりを「判在家」という地名で呼ぶようになったのだろうと勝手に思ったりしている。
因みに、近くには民間の野球場があり朝野球などに使われて地域の自慢の一つにもなっているが、昨秋には有名なプロ野球OBが訪問したことが紹介されている。
また、この近くには「福沢城」と「小角城」の二つの古城跡があり、そのまま地名として残っている。
◇正面は根白石バイパスと泉ケ岳・宮床へ ◇右手は判在家付近、先は根白石町内へ続く
地図を見ると周囲は 判在家西、判在家後、判在家向河原、判在家向河原下 など判在家に囲まれた地名である。
ここには、以前にも触れたが「根白石村名起因の石」という大きな石がある。
繰返すが、その昔、源頼朝が奥州に向う途中に立ち寄り、狩りをした際に家臣が大きな鹿を追い詰めて射止めたと思いきや、大きな白い岩だったことから、頼朝が面白がり「ここを根白石村と呼ぼう」といったとの故事から村名がつけられたと言われているが、「将軍様が滞在した所」という意味で、このあたりを「判在家」という地名で呼ぶようになったのだろうと勝手に思ったりしている。
因みに、近くには民間の野球場があり朝野球などに使われて地域の自慢の一つにもなっているが、昨秋には有名なプロ野球OBが訪問したことが紹介されている。
また、この近くには「福沢城」と「小角城」の二つの古城跡があり、そのまま地名として残っている。
◇正面は根白石バイパスと泉ケ岳・宮床へ ◇右手は判在家付近、先は根白石町内へ続く