そこはかとな紀

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唯一神教 と 多神教

2006-05-26 17:00:08 | 歴史
キリスト教やイスラム教ユダヤ教は唯一神教、対するヒンズー教や仏教、神道などは多神教である
 これは基本的にそ教が発生した地域の自然環境に依存している。唯一神教は砂漠など苛酷な環境の地域で発生し、多神教はどちらかというと自然が豊かな地域で発生する。あるいは狩猟民族と農耕民族と言い換えてもいいかもなあ。要は神様が一人ってことは真実はただひとつ!後は間違いってことだ。(-ω-;)ウーン日本人には合わない考え方だよな。しかも唯一神教が複数あるってことはρ(・д・*)コレ矛盾だよね。まあいいんだけど。砂漠なんかではグループのリーダーの判断が正しいかどうかによって集団の生死が決まる。オアシスに通じる道はただひとつなんだ。早い話が優れた指導者や真理を追求するほうに志向が行くわけだ。日本やインドなどでは比較的暮らしやすく農耕民にとっては何が正しい打とか個々人の優劣よりも集団からはみ出さないこと、毎日文句を言わずに鍬を担いで田畑に行くことが重視される。集団の進む方向はなんとなく決まる。ある人に真実なものがほかの人にはそうでないこともある。それはうっそうと茂った樹木の中での暮らしが生み出したものかもしれない。
 一番いい例が音楽です。西洋のオーケストラは指揮者がいて指揮者が絶対者として楽器を統率する。ところがインドネシアのガムランではなんと指揮者がいないどころか、何十年も演奏している人と先週始めたひとがチームを組んでコンサートをしたりする。テンポやリズムは隣を見ながら自分が突出しないようになんとなく決まるのである。なんともアジア的って言うか日本にも通じる考え方だよね。
 言葉だってそうである
 分からない ってことを英語では I don't know. といいますがこれは私は知らない つまり真実はあるのだがたまたま私は知らない。でも日本語では分からないは分けることができない。真実なんて事象の分け方さ,おいらには分けられないってことだよな。まあ唯一神教の考えがあったからニュートンやアインシュタインの理論が生まれたし、超ひも理論みたいにうちゅうをひとつの理論だけで表すことができることを目指してるわけなんだけど。だってそれができる=神=創造主の証明じゃないですかあ。
いろんな考え方があって面白いね。
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