癌性髄膜炎と闘った母をもつ娘です。
いろいろとありがとうございました。
死亡診断書によると、
直接の死因は「肺癌」。
死には直接関係しないが影響を及ぼした病名として「癌性髄膜炎」だそうです。
夜番だったこともあり、
家族の中でわたし一人が看取ることができてしまいました。
逆に言えば、そのくらい、
明け方5時から急変した、というか、ほんと早かったです。
糸がすっと切れてしまうような、そんな感じでした。
全然苦しむ様子もなく、息をひきとりました。
麻薬(モルヒネ)を入れてから、あまり痛がらなくなり、
ちょっとしたとき(氷枕を変える)などで顔をしかめるくらいだったので、
そこはよかったのかなと思っています。
ほんとに、涙うかべるくらい痛がっていたので、あれは見てらんなかったです。
モルヒネ後、ほぼ2日間ずーっと寝ていたのに、
月曜の夕方からはずーっと起きていて。
目をきょろきょろさせて、話しかけると反応はあって。
(それまでは目を開けてても、話しかけると無反応だったりしてたので)
今思うと、
なくなる前に、何か見たかったり聞きたかったりしたのかなぁと。
わたしからは一方的に、
猫がどうしたとか、東京に日帰りしてきたよ、とか、雨がすごいよ、とか、
カープは4位で巨人よりも上だよ、とか、
まぁどうでもよいことを延々話してました。
これで満足だったのかどうかはわかりませんが。
思い返せば、さいごにはもう自分から話すことができなくなっていたので、
母の最期の言葉とか、何を会話したっけ、とか、さっぱり覚えていません。
今になって、
まだ元気だったころ(GWとか)に、
もっともっと、散歩やら外出やらしてあげればよかったなぁと。
そうすれば、心理的にもっと楽だったのかもしれないな、と、
悔やまれてなりません。
ただ、あのころに、1ヶ月会社から休みをもらえて、
一緒にすごせて、いろんなこと話したりできたことは、
ものすごく感謝しています。
明日が友引ということで、結局、
明日がお通夜、あさってが告別式となりました。
今は、眠る母の前で、お線香を絶やさないように気をつけながら
このブログを書いています。
肺癌・脳腫瘍・癌性髄膜炎という病気と、1月末から闘い続ける母の、
その様子を伝えることで何か情報を得られれば、
どこかで同じことに苦しんでる人に、何かの参考になれば、
あちこちで案じてくれてる方々へ情報を伝えられれば、
そんな思いではじめたこのブログ。
結局は、入院からほぼ4ヶ月(自覚症状出てからは半年)で、
母の死をむかえ、区切りとなりました。
母を案じてくれた方々、
わたしに直接メッセージをいただいた方々、
本当にありがとうございます。
この場を借りて、お礼申し上げます。
個々へは、落ち着いてから改めてご連絡しますね。
みなさま、
本当にお身体は大切にしてください。
おかしいと思ったら、過度に我慢せずに病院行ってくださいね。
診断内容に反してよくならなければ、別の病院行ってくださいね。
娘からのお願いでした。