ようやく授業が確定しました。
internatinal politics
personal communication
intercultural communication
social problems and american values
jazz dance
全ての授業が週に3時間ずつあります。
上の3つのクラスではディスカッションもあるので前期に比べると大変になりそう。
でもグループプロジェクトがあると友達も出来やすいかなって期待。
今回は若い先生がとっても多いです。20代くらいの先生が4人も。(まだ院生の人もいる)
モデルみたいな女の先生もいます。
communicationのクラスはこっちにきて是非取りたかったクラス。communicationという学科、日本には何故かないよね。
intercultural communicationのクラスで使っているテキストには例として日本がとってもたくさん出てきます。
「アメリカは個人主義で日本は集団主義だ」とか
「日本では年齢が重要で年上には敬語を使う」とか
「アメリカでは人間が自然を支配するけど、日本では自然と人間が共存するという考え」とか
「日本では過去が大切」とかいろいろ。
納得できるものものもあれば、そうかな?って思うものもあります。
だって日本人だから、アメリカ人だからって「全員」がそうするってことはあまりないよね。
「日本はこうなんでしょ」と言われると、少なからず違和感を感じる。
確かにアメリカと比べると日本はそういう傾向にあるかもしれない。
でもやっぱり個人差があるし、そういう人もいればそうではないひともいる。
全員そうなんてことはありえない。
昨日の授業で「仕事場で、日本では嫌でもNOと言わないんだよね?」と突然先生に聞かれ、「人によるし、最近は昔ほどではないと思う。」と答えた。
でも。考えてみれば、まず私は会社で働いたことがない!!わからないよ。
出来ないときはやっぱりきちんとNOと言うよね??
全ての状況でNOと言わないわけではないはず。
求められてるのが、私の意見ではなく、日本人としての意見で、たとえ私が自分の意見として言ったことも、日本人の意見として取られてしまう可能性が高い。
それにアメリカは「比べる文化」だから、アメリカと比べてそうならそう!っていう決め付けがある気がする。
でもほとんどのことが時と場合によると思う。
「日本ではyesが noという意味で、noがyesという意味になったりする。」
確かにそうかもしれない。でもそう定義されると、なんか違うんだよなぁ。
「日本ではお茶を勧められても初めの一回は断る」
友達や家族といるとき、上司といるとき、状況によって違ってくると思う。
それに日本人の行動の背景には、
「遠慮」とか
「相手を思いやる」っていう
ポジティブな感情だってあるのに、それが無視されているようで悲しい。
「以心伝心」「沈黙は金なり」という単一民族の日本人と、
「みな違うから言わなくちゃわからない」という多種多様なアメリカとの文化の前提の違いを感じました。