べんきょうなせん(='ω')

べんきょうは論理で考えるトレーニング
熊本県山鹿市中高大学受験の "あすく" です

2014年、合格おめでとう!

2014年03月15日 | 学習塾 あすく
 合格、おめでとうございます!

 公立高校の合格発表も終わり、当塾の2014年度受験は完了です。城北高校普通科特待一名。(以下重複なし)県立玉名中一名。県立玉名高校普通科後期一名、熊本商業高校会計科後期一名。全員が第一志望に合格しました。

やっぱり、うれしい!

 今年は、受験者の数は少なかったものの、苦戦しました。受験生としての自覚を促すのに苦労をしたからです。

 教えるという仕事をはじめ二十年をこえます。いまの生徒たちは言われたことはします。でもそれ以上ではない。小学高学年以上の子どもたちにとって、このことは問題があると思っています。受験も仕事も、個人で評価をされ個人で責任を負うことを実感できないままいきなり実社会に放り出されることになるからです。


 この理由をずっと考えていました。

 仮説です。幼いころヒトは、自己と他者の区別があいまいです。大人になってもこれはどこかに残ります。生き物としてのヒトは、群れのなかで生きることが自然だからです。

 生き物の群れは、弱い個体を犠牲にして群れ全体で生き残ることを良しとします。それでもヒトは、自分自身や身近な家族がその犠牲になるのはイヤなのです。ヒトは、群れの限界を超えようともします。

 群れとして生きていくことを否定しません。ヒトの答えはひとつではないのです。個として、自己と他者を区別するトレーニング"も"必要なのだと考えます。


 ひとつは、常識と礼儀。これは"型(かた・フレーム)"ですが、かたちから身につくものもあります。幼いときはとくに大きい。

 ひとつは、家族や地域といった社会のなかで役割を持たせること。お手伝いをさせることもそうです。社会へでる準備も意識的にさせるべきです。

 わたしは、30分ほど対話をしながら、"当人に"ノートに書かせ記録を残していきました。当たり前のこと言わなくてもわかるよとは、子どもだけでなく大人さえも、自己と他者の区別をあいまいにしているのではないかと考えたからです。

 当たり前のことできてませんよね、意外と。

 「言ってもききません」との、ご相談がよくあります。"甘え"や"厳しさが足りない"とは少し違うのかもしれません。

 みながなんとなく"できる"と思っていること。見直さなければ変わらないのかもしれません。


 合格、おめでとう。良い新年度を!(塾長)


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