べんきょうなせん(='ω')

べんきょうは論理で考えるトレーニング
熊本県山鹿市中高大学受験の "あすく" です

あの日がやって来ました

2016年03月11日 | 私事・未分類
テレビではキレイで耳障りの良いことばかりやってるけれど、黒い部分もきっとある。

この機に乗じてうまい汁を吸おうとする社会的悪や、やれることやるべきことをやろうとしない無意識の怠惰(たいだ)かもしれません。


憎しみ恨み僻(ひが)み諦(あきら)め…もしかしたら、わたしのなかに育ったカタチにならない黒い気分なのかも。

これが一番やっかいです。他人のアラは見えても自身に向き合うには勇気がいります。自分の黒い部分だけは目をつぶりたいんです。しかし

わたしの行動はわたし自身の気分で決まります。自身の気分に突き動かされ行動をしたはずなのに、原因はすべて他人や社会に投げてしまっては本当の満足なんて得(え)られやしません。

ヒトの「気分」は動物とさほど変わらない。解決できるまで時間が必要なことであっても、ヒトは待てません。モヤモヤした気分に耐えきれず、手近な「結論」に飛び付いてしまいます。目の前の結論に飛び付くだけでは解決には届かない。


ヒトは解決した気分さえ手に入れば、満足した気分にも浸(ひた)れます。「悪く」はありません。チャリティー番組を観て感動したって悪くありません。

ヒトができることには限界がありますし、ひとりでできることは歯がゆいほど小さい。また、すべての不正と向き合うことなんて誰にもできません。都合よく満足し忘れていくことだって、ヒトに欠かせないチカラです。


それでもモヤモヤした気分のなかに「わたしもなにかしたい」という気分はありました。小さくとも確かに。

これを忘れてしまいたくはない。小さくてもカタチにしたい。この日をきっかけに、ひとつだけきちんと向き合おうと思います。

あの日から五年、自宅全焼から半年です。(藤田)

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