詩・機械設計・森林蘇生・猫/POETRY/Machine design

杉山を自然林に戻したい。
黒っぽい杉山を見るたびに子供の頃見た青い自然林を想う。山のことのみならず生活ブログです。

猫のタロウと同居

2006年07月19日 07時12分48秒 | 文芸
猫の名はタロウ。
7才雄。
2002年に書いた詩があります。


       タロウ

    家の一人息子
    三月二十六日
    三才になった

    やって来た日は         
    手のひらに乗る
    あかんぼ子猫
    高知の日曜市で
    貰ってください
    と言われて
    一緒に暮らそう
    という気になって
    京都まで
    車に乗って
    途中 祖谷(いや)の谷
    を歩いたり
    剣山に登ったり
    道草食いながら
    渡った瀬戸大橋
    七日間一緒に
    肩に乗ったり
    頭に乗ったり
    爪をたてたり
    旅をして

    やたらと小便
    を たれる子猫
    家の玄関を入って
    廊下を歩くと
    その頼りない
    よちよち歩きで
    動物嫌いの
    家の奥さんを
    たちまち魅了
    マダムキラーは
    天性の才能
    以来 奥さんは
    すっかり夢中

    トムとジェリー
    外国でトムならば
    日本では 由緒
    正しきこの名前
    タローならまし
    日本びいきの
    戸主の断定

    名前はタロー
    ケガしたり
    ちょっと病気になったり
    したけれど
    おおむね元気で
    おおあばれ
    趣味か特技か
    障子はボロボロ

    そして一年
    病気の戸主は
    聴神経腫瘍
    手術で入院

    青春期を迎えて
    意気盛んなタロー殿
    いつものように
    障子を破り
    「家の中はオレの縄張り
     隅からスミまで
     まぁきんぐ」
    退院した戸主は
    致しかたなしと
    武田動物病院へ
    「キョセイ」
    どこでもオシッコ
    の特技をひとつ
    失ってしまい
    子猫のように
    なってしまった
    タローくん

    尾っぽを立てて
    向こうに歩いて行く
    手術前のうしろ姿
    おおきな金タマ
    白いからシロタマ
    プリプリたのもしく
    かっこよかった!
    今はしぼんで
    慎ましく

    そしてまた一年
    半規管を失った戸主は
    平衡感覚が乱れて
    歩くとなるとあっちへふらふら
    こっちへゆらゆら
    リハビリ疲れで
    部屋にあぐら
    つつましくなった
    タローとふたり
    二階の窓から
    世間を眺める
    タローはすっかり
    開いたとみえる
    悟り。
    日がな窓辺で
    居眠りしながら
    時折り薄目をあけて
    眺めているのは
    行雲飛鳥か
    タローびいきの奥さんは
    近所のスーパーへ
    買い物にゆく

                       2002・5・26           

杉山か杉畑か

2006年07月06日 22時15分10秒 | 森林
宇治田原の山の中の「耕雲庵」に行く用があって、書き出した住所を頼りに訪ねたことがあった。
その折、行き着くまでに庵の裏手の杉林に迷い込んだ。里山と呼ばれる山だが、その杉林は間伐も枝打ちも全く為されておらず、晴天だというのに林の中は暗く、陽光が入らないので草が一本も生えていない。下の地肌は茶褐色の薄気味の悪い光景で、愕然とした。こんな山があるものか。
戦後の農林省の政策で国有林を民間に下げ渡して、植林が奨励されて、村々では盛んに杉が植えられた。檜も植えられたが杉のほうが生長が速いので多くは杉だ。動物の住処であり黒土を作り、山に保水力を与え、土壌を豊かならしめる広葉樹の自然林は、杉山ならぬ杉畑になった。農村では現金収入を欲しかったのだ。それから50年、60年が経って、時代が変わり、人の世代が変わり、山の世話をする人間が少しずつ居なくなり、杉畑、檜畑は放って置かれた。人工林は人手によって世話をされ、手入れされなければ荒れてしまう。茂り過ぎる枝葉は山肌を太陽から隠し下生えを起きさせない。下生えの無い山肌は土が諸出しとなり雨が降ると解けて流れ出す。山肌を解かした水は川に泥を堆積させ、水棲のもの達を痛めつける。自然の浄化力が著しく損なわれ、海に流れ出した泥水は海岸近くの漁場に磯焼けを起こし台無しにする。日本の至る所でこの現象が発生して、日本の自然はすっかり美観を失った。
十津川から熊野川沿いに南へ車を走らせると、行けども行けども杉畑が続く。四国の吉野川沿いも四万十川沿いも同じようなものだ。

農水省が最近杉山等の人工林を自然林に返す事業を始めたようだ。切り出しを終えた後には植林をせず、自然林に返そうという農家には補助金が降りるとか。好結果を期待したいがどれほどの効果があるだろう。林業に望みを持つ人たちも多いから。
ところで、淡路島には人工林が非常に少ない。淡路島の山の最高峰は600mだが、自然林になっているので、低山でも歩いて楽しい山々が多い。淡路島で山歩きをすると生き返ったような気になる。自然の森の生体に与える好影響が実感されるのだ。京都の北山の谷の水は泥のせいか透明感が無い。杉林のせいだろう。山に保水力が無く、いかにも泥水という印象が強く、手で掬って飲む気にはならない。昔はどこの山でも谷の水は美しく、おいしく呑めた筈だ。
早明浦ダムから北に遡る支流は汗見川という。この支流のさらに上流は杉林がよく手入れされているのか、また自然林も多く残されているせいか、目を奪われるほど美しい水が流れている。私はよくこの谷に入ってゆく。



浜田清次先生、村野四郎

2006年07月06日 06時57分55秒 | 文芸
ご挨拶

ブログは初めてです。
日記のつもりというよりも文章を書いて発表することに、なにか自分を奮い立たせてくれるものが有りそうな気がして。
言わば一人の同人誌のような位置付けで、立ち上げてみようかなんて。
読んでくださる人が居られるかどうか、よろしくお願いをいたします。
今日は2006年7月6日。

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ずっと昔、若い頃、文芸が好きだった。その頃中学生向けの月刊雑誌があって、文芸欄に投稿したところ入選したことがあった。小さな「おにバラ」という題の詩だった。記念になるという気持ちでその雑誌をずっと残しておいたのだったが、20歳を過ぎてから開いてみると、あの時の文芸欄の選者が村野四郎だったことを知って、とても驚いたことだった。雑誌はそのさらに12~3年後火災で家と共に焼けてしまって今は無い。
村野四郎全詩集は一昨年インターネットで古書店を探して、山口県の古本屋から買った。定価3500円のが6000円だった。みごとな装丁で、なんと詩人本人の署名入りだ。
村野四郎が亡くなったのは何年前だったか。ずっと若い頃、私のアイドルはビートルズではなく村野四郎だった。あの頃は新潮文庫から「村野四郎詩集」が出ていたが、今は絶版になっているようだ。

この頃になって浜田清次先生の「万葉集を読む」(上下2巻)を読んで、先生の講義を思い出しながら懐かしく、触発され、万葉集に関する本を何冊か買い込んで読み出した。「万葉集を読む」は10年ほど前の文化教室での先生の講義を、録音から文章に書き起こしたものだそうで、先生の語り口調がそのまま綴られていて、先生のお声まで思い出されて、青春の頃への連想が広がり、心が揉みほぐされるようだった。
あの頃は先生がこんなに素晴らしい万葉学者だったとは全く知らなかった。
先生はもう私を憶えては居られないだろう。お元気なら89歳か90歳になっておられる筈だ。
1989年に友達が送ってくれた新聞の切抜き記事に、先生が「壬申紀私注」(上下)で県文化賞を受賞されたということが載っていた。先生の「孝徳天皇私記」、「記紀万葉集の研究」は今年になってから読んだ。「壬申紀私注」も読もうと思う。図書館の貸し出しで読めるのだ。

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ブログは文芸に関することばかりではありません。
なにしろ生業は機械設計屋ですから。
7年前に病気をして、それが長引いて会社を辞めざるを得なくて、今は自分の法人を作り、一人の機械設計会社を営んでいます。
今年の夏は日本アルプスに行きたいと思っているのですが・・・。