自己と他者 

自己理解、そして他者理解のために
哲学・ビジネス・雑記・洒落物など等

第二回 憲法について

2004-12-24 09:30:26 | 日記・エッセイ・コラム・メモ
憲法を改めようという動きを皆様は
(そこには改正ではなく改悪になるかもしれないリスクがあることにも注意が必要)
どう思うか?

自衛隊の存在とも切り離せない問題であります。
外国人に自衛隊派遣を求められたとき、必ず
問題になるのが、自衛隊と憲法9条の関係です。

外国の方の中には日本の憲法9条は、すばらしいという人だって
いるでしょう。何も「日本は自衛隊を復興支援に出さないのはけしからん」
というのが国外意見の主流だ、という根拠はどこにもないわけです。

しかし、メディアは憲法9条を理解し、すばらしいという外国の方の存在を取り上げない
気がするのはわたしだけでしょうか。

憲法は連合国総司令部からの押し付けだ、という人もいますが、
作ったのは誰か、というのが問題ではなく、内容が問われなくては
意味がない気がしますね。



税制改革 要旨

2004-12-16 14:54:31 | 国際・政治・社会・経済
与党税制改革大綱 2004 12/15(水) 日本経済新聞(夕刊)

【新しい時代への税制改革の道筋】

●2005年度税制改正において,定率減税を二分の一に縮減する。
 なお,今後の景気動向を注視し,必要があれば,政府与党の決断により,
その見直しを含め、その時々の経済状況に機動的・弾力的に対応する。

●2006年度においては,わが国は経済社会の動向を踏まえつついわゆる
三位一体改革(国と地方の税財政改革)の一環として,所得税から住民税へ
の制度的な税源移譲を実現し,合わせて国・地方を通ずる個人所得課税の
あり方の見直しを行う
 この税源移譲にあたって,納税者の負担に極力変化が生じないようにする。

●2007年度をメドニ,長寿・少子化社会における年金,医療,介護等の
社会保障給付や少子化対策に要する費用の見通し等を踏まえつつ,その費用を
あらゆる世代が広く公平に分かち合う観点から,消費税を含む税体系の抜本的
改革を実現する。

●住宅税制=耐震基準を満たす良質な中古住宅を住宅ローン減税の対象に追加
する。
●金融・証券税制=特定口座へのタンス株の受け入れを2006年4月以降も可能
とする。
●国際課税=外国子会社合算税制の見直しや非居住者等の国債保有などにかか
る事務負担の軽減処置を講ずる。
●中小企業・ベンチャー支援=エンジェル税制を延長する。過剰債務企業が迅速
かつ確実に債権しうるよう民事再生法などの法的整理や一定の私的整理が行われる
場合の税制上の処置を講ずる。

以上。
大前研一氏もメルマガに書かれていましたが、これからドンドン税負担が増してくる
でしょう。同時に「歳出をこれだけ削減しています!」と公開しないと納得するはずないの
ですが。その辺が相変わらず変わりせんね。消費税20%なんてことになったとき,
どう対応していくのでしょうか。今こそ重い腰を上げて取り組むべき時だとおもいます。





憲法(9条を含む)改正議論に抜けた視点

2004-12-16 00:11:54 | 国際・政治・社会・経済
参考長谷部恭男 著 『憲法と平和を問い直す』 ちくま新書

現在行われている憲法改正論議に欠けている視点がある。
それは「立憲主義」という視点である。

憲法を論議する上で欠けている立憲主義という考え方から、憲法、立憲主義の起源、民主主義、自然権、公と私、公共財としての権利、国と人間の関係、国境などについて説く。    
立憲主義的憲法は、比較不能な価値観が、社会的システムである政治に混入することのないように、人為的に権利を公と私に区分し、一箇所に権力が集中することがないように民主主義をも制限する。 
著者の意見は、立憲主義的憲法は人間の本性(自然)から生まれたものではなく、人為的に生まれたものだからこそアプリオリな基準などは存在しない、存在しないからこそ後退すればどこまでも後退する可能性があるため、いまある憲法にこだわる必要があるとしている。
長谷部氏が指摘しているように、「人権」や「個人の尊重」というような単語は、人間の思考を停止させるのに十分な力を持つ。人権、自然権、国家などという概念は、人為的に生まれたもので自然なものではない。立憲主義という思想は、宗教戦争(比較不能な価値観の対立)を経た近代ヨーロッパで生まれた。何が正義であるかという問題が不確定だと人々が共同で社会生活を営み、人間らしく暮らすことは不可能となる(P49)。世界観、宇宙観の対立は殺し合いにいたる争いを招いた。
しかし、自分の命は誰もが守ろうとするという自己保存という点では一致する。グロティウスやホッブスなどの社会契約論者は、すべての人が生まれながらにして自己保存への権利、つまり自然権を持つという考え方をベースに、異なる価値観の共存しうる社会の枠組みを構築しようとした(P50)。立憲主義はそこから生まれた。
 比較不能な価値観の対立(万人の万人に対する闘争)が争いの原因であるならば、人々の深刻な対立をもたらしかねない根底的な価値観の対立が社会生活の枠組みを設定する政治の中に進入しないようにする必要がある(P.58、59)。そこで人間の本性に基づく自然のものではなく、人為的に公と私の区分、政治と宗教を区分する必要性が生まれる。
憲法ができた時代と現在では、交通機関、通信技術の発達により、人、物、金、情報などが国境を越えて激しく行き交うようになり、価値観は多様化し、好き嫌いにかかわらず、多くの人間とコミュニケーションする必要性が増してくる。
しかし、そんな今だからこそ、論議の前提となる共通の物差しとして憲法は生まれたということをもう一度考えるべきだと思う。憲法が現実とそぐわないから憲法を変えるのではなく、そぐわないならなぜそぐわないのか、現実のどこに問題があるのか、その問題は本当に憲法を変えなければ解決できないのか。変えるとしても一部の人々の価値観が混入するようなことがあれば国民投票においてきちんとNOを表明しなければならない。
憲法9条を変えた場合に、海外からはどのような反応が考えられるか。カンボジアにおけるPKO派遣にしても、イラクへ自衛隊を派遣するにしても、「金を出すが、人は出さない」という話が海外から出て(特にアメリカから出た「SHOW THE FLAG」、「BOOTS ON THE EARTH」)大きく報道されたように思うが、一方で、現在の憲法9条を理解し、すばらしいものだと考えている外国人だって確実にいるはずだがそのような報道は少ないように思う。そうしたことまで含めて、十分に議論した後に憲法を変えるべきかを検討するべきである。立憲主義を考えることは論議の前提となる「共通の物差し」を考えることである。そういう意味で、長谷部氏の本は興味深く読めた。