明日は母の誕生日、米寿を迎える
なので今夜出発して上京する、雨とともに
実家のバラが咲いていたら病室へ持って行きたかったけど
持ち込みはだめだといわれた
何もできないので、写真を印刷して持って行くことにした
子供のころから、少女時代、子育て中、父の介護中
そしてようやく自分の時間持てた時代
そうした写真を1枚の紙にまとめた
見てくれるかな
(昭和20年1月)
母の長兄は海軍へ行った
旧制中学を卒業し海軍兵学校へ入校、73期
その時長兄17歳、母12歳
以前母と一緒に江田島へ行ったとき
長兄が兵学校にいたときに、江田島まで会いに来たことがあると聞いた
敗戦の色濃く、卒業が早まり2年余りで卒業
1年後少尉砲術長として伊号第四十七潜水艦に乗り出撃
回天を積み過酷な出撃を3度行い、終戦後母港へ帰投
そのまま海軍病院へ入院
終戦の翌年、医師の祖父に看取られ、祖母の実家の枕崎で亡くなった
享年22歳、その時母17歳
東京から九州まで列車を乗り継いで行ったとのこと
遺体を家族で焼いたそうだ
色んな思いを持って生きてきたんだろうな
なので今夜出発して上京する、雨とともに
実家のバラが咲いていたら病室へ持って行きたかったけど
持ち込みはだめだといわれた
何もできないので、写真を印刷して持って行くことにした
子供のころから、少女時代、子育て中、父の介護中
そしてようやく自分の時間持てた時代
そうした写真を1枚の紙にまとめた
見てくれるかな
(昭和20年1月)
母の長兄は海軍へ行った
旧制中学を卒業し海軍兵学校へ入校、73期
その時長兄17歳、母12歳
以前母と一緒に江田島へ行ったとき
長兄が兵学校にいたときに、江田島まで会いに来たことがあると聞いた
敗戦の色濃く、卒業が早まり2年余りで卒業
1年後少尉砲術長として伊号第四十七潜水艦に乗り出撃
回天を積み過酷な出撃を3度行い、終戦後母港へ帰投
そのまま海軍病院へ入院
終戦の翌年、医師の祖父に看取られ、祖母の実家の枕崎で亡くなった
享年22歳、その時母17歳
東京から九州まで列車を乗り継いで行ったとのこと
遺体を家族で焼いたそうだ
色んな思いを持って生きてきたんだろうな