明るいときに見えないものが暗闇では見える。

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【おくりびと】 確信犯的いい人映画

2009年03月21日 | 映画


話題の映画『おくりびと』をやっとこさ観た。
観たいと思って先延ばしにしている間にまさかここまで育ってしまうとは。


率直に言えば、日本人の誰もが観られる「確信犯的いい人映画」だと思う。
出てくる人はみな良い人。エピソードもみな良い話。それを押し付けがましさなくさらりと軽やかに描ききっている。いわゆる優等生映画だ。

主人公の大悟は幼少の頃失踪した父にやるせない気持ちを持ち続けている。
知り合いが「どうしてもこういう話って去って行った人に優しいんだよね。残された人の気持ちとかが軽視されて。」と言っていた。なるほどそういう見方もあるなと思った。去って行った人たちは必ず残された人を想っていたとは限らない。ましてや後悔などかけらもない人もいるだろう。しかしこの映画では去った人たちは皆後悔に苛まれ良い人だったという描き方をする。これではキレイにまとまり過ぎてやしないかと思うところもある。最後のシーンも予測でき相当予定調和にいい話である。

しかしこれらは全部緻密に計算され仕組まれたものなのだ。

観賞前に、たまたま脚本家の小山薫堂氏の講演(映像文化フォーラムⅣ)に行く機会があった。友人の誕生日のサプライズとして、こっそり地元九州までロケ隊で行って本人の足跡映像を作って渡すなど、「いかに人が見たいモノ、感じたい事を提示してあげて喜ばせてあげるか。そして自分もそれを一緒に楽しむか。」という内容のお話だった。(実際はそんなに硬い話ではなく爆笑の嵐だったが)

人は人を様々な理由で恨むこととなる。しかしその感情は相手を「許す」ことでしか解消されないことを人は知っている。実は皆が皆を許したいと思っている。

主人公大悟は「けがらわしい」とまで言われた納棺師の仕事に誇りを持ち続けることで、妻にそして友にも認め許される。また幼少の頃失踪し、これまで責め続けてきた父を許すことで自分自身さえも許される。そして大悟が父の最期の際に見つけたもの、それは万人の最大公約数として観客たちが見たかったモノそのものなのである。

小山薫堂氏、カノッサの屈辱以来、TVの深夜帯の黄金期を作ってきた人だけに「人の観たいものを見せる」ということが徹底しているなと関心した。それだけにこの映画は「確信犯的にいい人映画」なのだ。庄内の美しい風景とともに奏でられるチェロの調べも美しい。

"旅立ち"をお手伝いする納棺師の話なのに宗教クサさをあれだけ見事に排除。それも含め非常に間口が広くキャパシティの大きい映画である。オスカーを獲得した理由も頷ける。どなたにも観ていただきたい一本である。

やられました。やさしい気持ちにさせられます。


山崎努のキャスティングも確信犯。伊丹監督世代にはどう見ても『お葬式』だ。ただし伊丹監督のようなブラックさが少しあれば、優等生映画+αに成り得たのではないか。

あと『秘密』の時もですが、滝田監督は広末のことねっちりと好きなんだなぁと思うことしかりw
おかげさまで広末ふぁんとしては良いものが観られました テヘヘッ(*゜ー゜)>


アカデミー外国語映画賞おめでとうございました。


評価:★★★★☆

滝田監督の次の映画も見るぞー、と思ったところ『釣りキチ三平』ってあーた。。。


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1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
こんにちは (まりっぺ)
2009-03-27 13:57:09
全体を通して、そつなく優等生だったからこそ、
アカデミー賞受賞につながったんでしょうね。
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