塚田國之の独り言

信州の山奥に隠棲する自称・枯れ仙人の独白

龍馬と半平太・・日本を考えるシリーズ(22)

2010年07月20日 03時13分21秒 | 日記
NHK大河ドラマ、今年は龍馬伝である。
暫くは、毎回、牢に居る鬚もじゃの武市半平太と拷問に苦しむ岡田以蔵の画面ばかりが続いており、「あれ、先週見たものの再放送かな?」と錯覚するような状況だった。

今となっては、開国を志向した龍馬の考えが歴史の流れに沿っており、攘夷を主張した半平太の思想も、人斬りまでした岡田以蔵の努力も、歴史的にみれば、無駄な動きだったと結論が出ているので、物語が「お年寄りの思いで話の繰言」を延々と聞かされるような感じになってしまったのであろう。

重要なのは「開国か鎖国」であって、「尊王か佐幕」などは、大局の歴史からは末節の議論だったのである。
いろいろな理念の違いや感情の衝突が起き、多くの事件や争いごとが多発したとしても、幕末の日本が選択できる道は「開国」しかなかったはずである。

もし、開国しなかったら、日本という国は消滅していたかもしれない。
そう考えると、半平太の思いや情熱は、時代の大きな流れの中でみれば、空回りしており、彼の命を掛けた努力と行動は、エネルギーの無駄使いでもあり、命の浪費でもあったと言わざるを得ない。

同じことは、現在行なわれている、日本の将来に対する議論でも起こるであろう。数十年経ってみれば、内国派が口角泡を飛ばして主張している数々の議論は、ドラマの中で延々と涙を誘う情緒話として残っても、歴史の流れには、何の貢献もしなかった見解や人々として、記憶されることになるであろう。


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