すそ洗い 

R60
2006年5月からの記録
ナニをしているのかよくワカラナイ

「ロスコ 芸術家のリアリティ」にとっつかまったん

2009年05月13日 | 書籍

「ロスコ 芸術家のリアリティ」 マーク・ロスコ

みすず書房
http://www.msz.co.jp/news/topics/07435.html
http://www.msz.co.jp/book/detail/07435.html

やっぱしこの手の本を出してくれるのは みすずさんです。みすずさんには随分お世話になっております。みすずさんのジャコメッティもんなんか全巻各御家庭に常備しておいていただきたいですね。ただしみすずさん発行部数が少ないのか高額商品が多いのが玉に瑕です。

「ロスコ 芸術家のリアリティ」

少し前に新聞の新刊書評でこの本の紹介が載っていた時「あ 読まな」と思っていたのだが忘れていた。ロスコのことなんて知らなかったんやが、なんか気になる記述があったんやと思う。

今日たんまたま本屋に芥川也寸志の「音楽の基礎」
音楽の基礎 (岩波新書)
芥川 也寸志
岩波書店

このアイテムの詳細を見る

を探しに行ったのだが 無かってん。

ほしたら 現物の「ロスコ 芸術家のリアリティ」が目の前に飛びこんできて とっつかまる。
あーそーいえば この本は読まんとあかんとちゃうんかったっけー ロスコなんか知らんのに

そーゆーめぐり合わせで なんやしらんがとっつかまって立ち読みしてみると 
案の定 あらあら まぁまぁとゆー記述が連発してあり 
仕方なくお財布と相談(高額商品です)して 
仕方なくレジに持っていく できれば万引きしたい商品なのです



すんません 本当にロスコのことは ほとんど知らないんです でも こー何度も偶然の巡り合わせがあると なんかあるんでしょう

帯を見ると「瞑想する絵画」2009年2月21日(土)―6月7日(日)
川村記念美術館http://kawamura-museum.dic.co.jp/exhibition/index.html
とゆー紹介が

これも自分の運命なのね 仕方ないので週末佐倉くんだりまで出かけんとしゃーないん

マーク・ロスコにとっつかまったん

内容は 多分スランプ時期の愚痴かな・・・

序文の息子さんによる この本の成り立ちが なんか スリル&サスペンス 

表現主義の時代とシュールリアリズムの時期の端境期


1933-1934 水浴図あるいは浜辺の情景




1945 無題

そして抽象にひた走っていくロスコ

彼に何が起こったのか スリル&サスペンス

自分は絵画について書かれた文は、評論家文筆家あるいは絵画を直接に手を汚していない人間の言葉はほとんど信用しないのです 
説得力がないとゆーよのもありますが わざとムツカシクわかりにくく書いて対峙しよーとしているのか おもんないねん 

やっぱし当事者でないと説得力がないですからね 当事者の話や説明はわかりやすいのね 

マーク・ロスコの抽象 どんなもんでしょうか?自分は何か感じとることができるのでしょうか? 

もしつまんなかったら この本は多分 ただの愚痴だったんだと思いますが そーではないよーな気がします

追記マーク・ロスコ展 /ロスコ!川村記念美術館「マーク・ロスコ 瞑想する絵画」のドス黒いレッドどす ロスコ!
http://blog.goo.ne.jp/tagomago1021/e/dfccad32fb88cb0b3b950e8a8b4c77dc

ロスコ 芸術家のリアリティ―美術論集
マーク・ロスコ
みすず書房

このアイテムの詳細を見る


マーク・ロスコ(Mark Rothko, Markus Rotkovich, Marcus Rothkowitz )
1903年9月25日 生まれ
1970年2月25日 謎の自殺



「……それぞれの芸術の真実、リアリティは、その分野の内側にとどまっているから、各々の分野に固有の方法によって感じ取られなければならないのだ。」
(本書「芸術、リアリティ、官能性」より)

「的確な見方をすることによって、ひとつの全体としての絵画が持っている生命を知ることができるようになる。そして、私たちの認識や情動から、つまり私たちの様々な連想や、それらが私たちに感じさせたものから生まれる全体的な効果とは、私たちが享受した造形的な旅の結果なのである。……重要なことは、旅の全体が喜びであるということであり、様々な要因のすべてが一斉にこの喜びに寄与している、ということなのである。」
(本書「主題と題材」より)


ロスコ (ニューベーシック) (ニューベーシック・アート・シリーズ)
ヤコブ・バール=テシューヴァ
タッシェン

このアイテムの詳細を見る


美術史の中のロスコとゆー人間の位置、ロスコの描き残した絵画群、ロスコとゆー男の史実、その流れの中である一時期に書かれたロスコの文章、死ぬまで発表もされず、かといって破棄もされず自分の手元に残していて、死んでから発見され、こんなに時を経て出版された文章です。

書かれてあることは安易にスイスイ読み流される種類のものではなく、一文節ごとに引っかかり引っかかりながら読み進めなければならず、しかも内容が全て納得のいくものでもなく、イヤ~な気分にもさせてくれつつ、なかりめんどくさい文章です。こんなにウジウジとまぁ~ あたりまえといえばあたりまえなことをくどくどとわかりにくく(わかりやすく)書かれてあり、彼の抽象絵画のやうなインパクトはございません、ど~だってエエやん、そんなこと・・・とも思ったりします。このウジウジしたワダカマリの時期があったればこその絵画表現だったのでしょうか?なかなか読み進めていくのが難儀なもんがあります。


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« お墓    哲学の徒 | トップ | 丘の上ひなげしの花でティー... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

書籍」カテゴリの最新記事