田神六兎の明るい日記帳

田神六兎の過去、現在、そして起こるであろう出来事を楽しく明るくお伝えします。

様変わり

2016年12月17日 | 日記
 食べ物屋さんに二人で入り、一人分の食べ物を分け合うと聞けば『一杯のかけ蕎麦』を思い出すオイラだが、近ごろはそれがマイペースの意志なんだそうだ。オイラには、理解できないことだ。
 
 昔々、子供だったオイラの家の隣は、いわゆるお店、食料から雑貨まで何でも売っていた。日に何度も小遣いをもらえたオイラは、10円玉を握りしめ隣へ行った。おさな心で『いったんお店に入ったら、何かを買わねば出てはいけない』と教わった。言い訳だが、だから無駄使いも多かった。
 
 成人してスーパーマーケットにおいて、手ぶらで店を出ることに抵抗感がある。コンビニで雑誌の立ち読みも罪悪感があり、購入してから読む癖がついた。良いことなのか、偽善者ぶっているのかわからない。
 
 食べ物屋で長居をするのは気が引ける。下戸のオイラは飲み屋で酒を注文しないことに気が引ける。昔の飲み屋で『あんさん、この店にそぐわないねぇ』と嫌味を言われた苦い経験がある。板さんは決して悪気で言ったのでは無いと思うが、ますます酒と縁遠くなった。
 
 酒好きな後輩が多くなり、酒場で食べる一品料理が好きになった。後輩はツマミ程度に食べるだけだが、気兼ねなく注文できた。安価で珍しいものを口にできるチャンスだった。だが、目移りし食べきれないことも多かった。同類か、隣のテーブルから「食べきれませんのでどうぞ」と、残り物の差し入れもあった。オイラ達も真似をした。お店の人には迷惑だったかもしれないが、繁華街の残飯処理は有料なのだ。この差し入れ行為も、ほぼ出来上がった酔客、すなわち酒しか注文しない客に対するものだった。
 
 オイラ達の年代では、二人で入り、一人分の食べ物を分け合うことなど、到底できない。単なる見栄張かも知れないが、貧乏でも武士でありたい痩せ我慢なのだ。