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[映画] 007 スペクター

2015-11-29 | 映画
「007 スペクター SPECTRE」の先行公開を川崎109シネマズにて観て来ました

”ダニエル・クレイグ版007の集大成” などと宣伝されている本作ですが、確かに「カジノロワイヤル」「慰めの報酬」「スカイフォール」と合わせての ”四部作” といった構成になっている展開でした

このブログでクレイグ版007については「カジノ~」のみの感想を書いただけで、「慰め~」「スカイ~」については一切触れてこなかったんですが、決して嫌いというワケではないんです……ただイマイチ ”乗り” 切れなかったというか、鑑賞後に良いも悪いも語る気になれないモヤモヤ感みたいなのがどうしても先立ってしまっていたんですね(;´Д`)

”リアル” を前面に押し出す方向性については大歓迎ではある一方で、やはりオレが ”ジェームズ・ボンド007” シリーズに求めているモノと何かしらの ”ズレ” があったのを、上手く言語化出来なかったというのが実状かもしれません……こういうシチュエーションなら当然こうなるだろう~といった展開を敢えてスカす部分を是とするか非とするか、好みの問題でしかないとは思うんですが…

やたらと絶賛されがちな「スカイ~」についてもオレの評価としては終盤がショボいっていう印象が強すぎて結構冷めた目で見ていたんですが、この部分については鑑賞後、もともと脚本の段階ではキンケイド役がショーン・コネリーをアテて書かれていた~という裏話を聞いて、なるほどあそこでコネリーがボンドの育ての親的に登場してれば、あの何もかもがショボい道具立てだった展開の全てが ”コネリーの引き立て役” としては完璧だったのかもしれないなあと残念に思ったのも事実です……その一方で、コネリーの登板が不可能となったのと引換に、”Mの引き際” という ”オチとしての重み” を強引にハメ込んだのかなという別のモヤモヤも浮かんじゃったんですけどね(^_^;)

そしてこうして「スペクター」を見終えた今になってようやく、モヤモヤ感の最大の要因はイロイロと放置されていた伏線的な部分だったのかなと気づかされた次第でして、クレイグ版007とは実は ”四本” を通して一本の作品であるという見方をしなければならなかったんですな

今更ですが、これから見ようと思っている方は、くれぐれも「スペクター」から初見する~などという愚行を犯しませぬ様…



以下ネタバレ感想:
情報を統制し世界を裏から牛耳るラスボスが何故一介のスパイであるボンドに執着するのか?
 →それは私怨に塗れていたから

…という設定にしたのは賛否が別れるでしょうねえ(^0^;)

”主人公補正” という言葉がありますが、敵の弾に当たらない、捕らわれてもスグには殺されない、負傷しても行動に影響が無い、といったエンターテインメント作品に付きものの ”お約束” に背景や理屈を付与するのは(特にクレイグ版007の様な)リアル志向の作品には勇気が要る選択だったと思います……ただ四作目である「スペクター」に至って急に、ピンチ一つ脱出するのに都合の良いお膳立てが次々と為されて、それは ”ユーモア” として片付けられてたりするんですが、その感覚でラスボスを描写されてもなあ、と不満を感じずにはおれませんでした

いや、でもこういうのこそがオレが本来の ”007シリーズ” で求めていた要素だったのかもしれませんが、ここまでクレイグ版で構築して来た世界観のクライマックスでそれをやられても…という戸惑いがあったりして、つくづく観客は勝手なモノだよなと自嘲する次第です(^_^;)

今作のラスト、ボンドがスパイをあっさり辞めちゃう展開についてもオイオイと思いつつも、”国家への忠誠” なんて言葉の響きがいかに虚しいかを暗に語り続けてきたのがクレイグ版なのかもしれないしなあ(昨今のスパイ映画全般にも言えますが)などと納得したり…

ですがこのオチは、半世紀以上も続くシリーズで唯一の ”悲劇的” なラストを迎えた「女王陛下の007」への意趣返しでもあるのかなと捉えると、あのラストを初めてビデオで見た子供の頃のオレの衝撃と哀しみと喪失感が(時を越えて)癒やされたカンジがしてとても感慨深かったです(ノД`)

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