宋文洲の傍目八目 マスコミの裏側をご存じですか [1/2](日経ビジネスオンライン) - goo ニュース
報道にも、トレンドやMajorがあると言うことは、色々なニュースを見ていれば分かる。どこも同じような内容ばかりなので、「ああ、今はこれが、話題なのだな。」という情報だけでいいような気になってくる。
例えば、「不都合な真実」と言う映画が話題になっているけれど、この、”不都合”であるニュースソースは、どこのメディアも取り上げたくないのだろうな、と思う。リスクが伴うし、いろいろな方面からの圧力や、脅しなんてのも来るんだろう。そうなると、当たり障りのないところでニュースは構成される。
社会問題も、どこかの局やメディアが一旦取り上げれば「安全」になってくるから一斉報道となる。なんか、この図式はいいものなのか、どうなのか。。。
1989年に、天安門で平和的抗議デモがあったけれど、その後小平の怒りを買い郡により制圧された。けれど、その時点では平和講義デモに参加した多くの市民や学生がどうなったのかは報道されなかった。
でも10年後に「天安門リポート」が発表されてからは、欧米では中国と言う国に対して、警戒感を持っている。
日本では、「虐殺はなかった」との報告があったきりで、このことに触れるコメントは余りない。。。
メディアとはそういうものなのだ、と言う認識がある。
Conspiracy 疑惑。常にそういったものが根にあって、多分報道する側はジレンマを感じているのだろう。けれど、真実をベールで覆いかぶされて知らされている多くの国民は、まるで狐に化かされているようだ。
「知らなかった、知らされていなかった。仕方がなかった。」これは、第2次世界大戦に敗れた後の日本国民の言い分だったはず。
本当にそれでいいんだろうか? 当たり障りのないことだけれを知らされていれば生きていくのは楽だ。報道する側も、危機感も何もなく、捏造くらいの罪でいいわけだ。
でも、リスクを負って真実を探る人たちもいる。世界には圧力を掛けて来る者たちと戦っている人もいる。それは、たぶんかなり、心労なことだろう。うかうか寝てもいられないだろう。そんな世界もある。
平和な国にいられることは幸せなことだ。命の危険と言えば交通戦争くらいで、バレンタインのチョコレートの心配をしていられる。
「ナイロビの蜂」 「ホテルルワンダ」 今、アフリカが一番危ない。。。
報道にも、トレンドやMajorがあると言うことは、色々なニュースを見ていれば分かる。どこも同じような内容ばかりなので、「ああ、今はこれが、話題なのだな。」という情報だけでいいような気になってくる。
例えば、「不都合な真実」と言う映画が話題になっているけれど、この、”不都合”であるニュースソースは、どこのメディアも取り上げたくないのだろうな、と思う。リスクが伴うし、いろいろな方面からの圧力や、脅しなんてのも来るんだろう。そうなると、当たり障りのないところでニュースは構成される。
社会問題も、どこかの局やメディアが一旦取り上げれば「安全」になってくるから一斉報道となる。なんか、この図式はいいものなのか、どうなのか。。。
1989年に、天安門で平和的抗議デモがあったけれど、その後小平の怒りを買い郡により制圧された。けれど、その時点では平和講義デモに参加した多くの市民や学生がどうなったのかは報道されなかった。
でも10年後に「天安門リポート」が発表されてからは、欧米では中国と言う国に対して、警戒感を持っている。
日本では、「虐殺はなかった」との報告があったきりで、このことに触れるコメントは余りない。。。
メディアとはそういうものなのだ、と言う認識がある。
Conspiracy 疑惑。常にそういったものが根にあって、多分報道する側はジレンマを感じているのだろう。けれど、真実をベールで覆いかぶされて知らされている多くの国民は、まるで狐に化かされているようだ。
「知らなかった、知らされていなかった。仕方がなかった。」これは、第2次世界大戦に敗れた後の日本国民の言い分だったはず。
本当にそれでいいんだろうか? 当たり障りのないことだけれを知らされていれば生きていくのは楽だ。報道する側も、危機感も何もなく、捏造くらいの罪でいいわけだ。
でも、リスクを負って真実を探る人たちもいる。世界には圧力を掛けて来る者たちと戦っている人もいる。それは、たぶんかなり、心労なことだろう。うかうか寝てもいられないだろう。そんな世界もある。
平和な国にいられることは幸せなことだ。命の危険と言えば交通戦争くらいで、バレンタインのチョコレートの心配をしていられる。
「ナイロビの蜂」 「ホテルルワンダ」 今、アフリカが一番危ない。。。