活字の海で、アップップ

目の前を通り過ぎる膨大な量の活字の中から、心に引っかかった言葉をチョイス。
その他、音楽編、自然編も有り。

続 凍りついた瞳(め)  被虐待児からの手紙

2009-05-22 00:55:43 | マンガの海(読了編)
原作:椎名篤子 作画:ささやななえ 集英社
1999年3月 初版刊行


先日の記事を書いてから、ずっと気になっていた。

なぜ、児童虐待ということが、起こり得るのだろう?

自分の子供を慈しみ、育んでいく。
DNAを継承させるために、心の奥深くに組み込まれたこの
プログラムが、一体如何なるバグにより、機能しなくなるの
だろう?

ましてや、母親である。
自らの体内から産み落とした命という点において、確実に
父親よりも親和性が高いはずの存在である母と子。

その間でさえ、虐待は起こりうるのだ。
否、その間だからこそ、なのか?

その答えに少しでも近づきたくて、先般の記事でも少し紹介した
本書を取り寄せて読んでみた。


すぐに手に入ったのは、「続」の方である。

ささやななえ氏の作画によるこの作品。
原作は原作で出版されているが、ささやななえ氏のお名前に
見覚えがあり、その柔らかいタッチに少しでも内容の深刻さを
カバーしてもらえれば、という想いから、今回はマンガの方を
選んだ次第。

だが、その選択が正しかったのかどうか。

それほど、本書の読後感は、重く、哀しく、辛かった…。


本書は、5編の物語を収録している。

第1話 捨てられた家
第2話 鍵
第3話 義父
第4話 連鎖を超えて
第5話 虐待が消える日

いずれも、被虐待児からの投稿を基にして描かれたものである。

5話のいずれも、女児が主人公(ああ、この言葉を使うことが
こんなに嫌になることも珍しい。全く、こんな物語の主人公
になんて、誰も成りたくなんて無いに決まっているのに!)
である。

彼女達が大人になって、やっと自分の半生を振り返ることが
出来るようになってから綴られた手記。

その一篇一篇が、行間から声にならない叫びや呻きが聞こえて
きそうになる。

どれほど虐待されても。
どれほど打ち捨てられても。
その親にすがりつくしかなかった子供たち。

ここに紹介された彼女達は、何とか成人し、やっとこうした
手記を認(したた)められる程にはなった。

が、しかし。
それを持って、不幸にも虐待の末に無くなった子供たちと
比して、彼女達がまだ幸せだなんて、どうして言えよう?

ある人は、突然襲ってくる過去の記憶のフラッシュバックに
怯える。

そしてまた、ある人は、いつしか自分の過去が露見して、
周囲から蔑まれるのではないかと慄(おのの)く。


この、絶望的なスパイラルの中にあって、もっとも居た堪れない
思いで読んだ作品は、「第4話 連鎖を超えて」である。

この作品では、虐待を受けていた子供が成人して子供を持った
時に、僅かまだ1歳前後のわが子に対して虐待をしてしまう、
その絶望的な恐怖と痛みが描かれていて、読み終わるとまるで
目の荒い番手のサンドペーパーをかけたように、心がささくれて
しまっていることを感じる。

こんなこと、したくないのに!
可愛い、大切なわが子なのに!

そう思いながらも、振り上げる手が止められない。
その絶望感は、想像を絶する。
そして、子供が感じる恐怖も。

誰もが、幸せになりたい。相手を大切にしたいと思いながら。
その家を支配するものは、絶望と恐怖でしかないのだ。

幸い、本当に幸い、この人の場合は、虐待の挙句に子供が骨折を
してしまったことで運ばれた病院が、虐待を察知したことで、
彼女の心に歯止めが入ることが出来た。

彼女は精神科にかかることになり、夫もようやく家庭で今何が
起こっているのかを知り、仕事にかまけて無関心だった(という
よりも、仕事をしていることを全ての免罪符にしていた)自分を
反省した。

ドラマとかなら、これでハッピーエンド。
ああよかった。となるところだが。

現実の、壁は、厚い。

子供の心に残った傷は深く、3歳の頃から癇癪を起こして暴れる
ようになってしまう。

これから、彼女と子供の間に、再び絆が結ばれる時が来るのだ
ろうか?
それは、誰にも判らない。

それでも、この作品を読んだ人は、祈らずにはいられないだろう。

どうか。
この作品に出てくる、そして、世間の片隅で今も虐待を受けている
全ての子供たちに。

安らぎと平穏が、一刻も早く訪れますように。と。


(この稿、了)


(付記)
先日、全く違うことについて書いた記事で、僕は単純な二元論の
信奉者ではないと言明した。

にも関わらず。
僕は、虐待をする人=悪と、心の中で決めてかかっていたようである。

子供が可愛くて愛おしくてたまらない。
そうした感情と、自らが幼少の頃に受けた虐待を昇華しきれずに、
自分が受けた行為と同じことを繰り返してしまう人もいる。

子供が親の分身とするならば、それは間違いなく自傷行為の一つの
バリエーションなのだろう。

勿論、そうした話があったからといって、全ての虐待をしている人が
幼い頃に被虐待児であった訳でもない。

また、被虐待児が成人して、全て負の連鎖にはまって、子供を虐待
している訳も無い。
むしろ、懸命に子育てを行う中で、自分の心の中のトラウマと必死に
闘っている人の方が、はるかに多いのだろう。

それでも。
極少ない確率なのかもしれないが、上述したような理由で、わが子に
手を挙げてしまう親もいるのだ。

奇しくも昨日、裁判員制度が始まった。
が、今回のような話を聴いて、僕は裁判員となって、きちんとした
判決を考えることが出来るのか?

そう、答えの無い迷宮へと、僕は分け入る。



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