@MarathonduMedoc @1aerobics @pucci1224 おはようございます、曇天な大阪なんか少しムッとするのは湿気があるからでしょうか?汗かき親父にはかなわん季節になってきました。
— すーさん (@swec_34) 2019年4月19日 - 07:28
曇ってるのに汗かいた湿度高めか? (@ 泉ケ丘駅 in 堺市, 大阪府) swarmapp.com/c/fKCFUMAVLdA
— すーさん (@swec_34) 2019年4月19日 - 07:59
@kobamac おはようございます、昨日の大勝に江越乗れて無かったですかあきませんね。
— すーさん (@swec_34) 2019年4月19日 - 08:04
本日のJRは定刻運転ちう (@ JR 新今宮駅 in Osaka, 大阪府) swarmapp.com/c/fEmjg9JJvIS
— すーさん (@swec_34) 2019年4月19日 - 08:29
キャンペーン実施中!
— すーさん (@swec_34) 2019年4月19日 - 23:58
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写真●宮島・厳島神社の大鳥居
[画像のクリックで拡大表示] 筆者は5年ぶり三度目の宮島だったが,ちょうど大潮で干潮だったためふだんは海の中に立っている大鳥居まで初めて歩いて行くことができた(写真)。
二日目は海上保安大学校の准教授であるA女史に,呉を案内してもらった。見学したのは大和ミュージアム,てつのくじら館(退役した本物の潜水艦を陸上展示したもの),海上保安大学校の3カ所だ。呉は明治以来の軍港なのだが,おだやかな瀬戸内の海とおっとりした山容の山に囲まれた町にいかつい感じはまったくなく,こんなところで暮らしてみたいと思うほどいいところだった。
最も印象に残ったのは大和ミュージアムだ。戦艦大和の10分の1模型をはじめ,大和とともに亡くなった方の遺書や遺品,大和建造にあたった呉海軍工廠の工具や技術者のノートなどが展示されている。ノートに書かれた流麗な筆記体の英文と理解不能な数式を見て,この時代の技術者が英語で教育を受け,英語で思考できたのだなと感心した。日本語のテキストがない,日本人の教師がいない時代には外国語のテキストで,外国人から学ぶしかなく,日本人は自然の成り行きとしてグローバルな人材に育っていたのだろう。今は造船工学だろうが,ITだろうが,中途半端に日本語のテキストと日本人の教員がそろっているばかりに日本ローカルな人材しか育たないのかもしれない。
さて,印象に残ったのは教育のことではない。大和ミュージアムで解説アナウンスが流れていて聞くとはなしに耳に入った,大和の建造では造船において初めて科学的なプロジェクト管理(工数管理)が行われた,ということだ。今回は戦艦大和建造のプロジェクト管理について述べたい。
西島カーブとは
大和の建造計画は1937年11月起工,42年6月引渡しという4年半の年月をかけ,予算は2億円,現在なら1兆円をはるかに超える巨大プロジェクトだった。大和は同じ設計図から建造される戦艦の1号艦として官立呉工廠で建造された。2号艦は武蔵であり,民間の三菱重工長崎造船所で建造された。
大和の生産管理,つまりプロジェクト管理がいかに優れていたかは,同じ設計図から建造されたにもかかわらず,大和の工数が武蔵の2分の1に過ぎなかったことに表れている。工期も計画より半年早く終わらせた。ドンブリ勘定で予算は超過し,スケジュールは遅れるのが当たり前だった親方日の丸の艦船建造の常識を覆すプロジェクトだったのだ。