ワールドカップ決勝戦の優勝が決まった瞬間を選手の背後から撮った映像を見ると、一人だけPKを決めた熊谷選手に向かわず、左に歩き出す選手がいた。
それが宮間選手だった。
この人はどこに行くんだろう、という疑問が晴れたのは数日後、アメリカ選手が現地のテレビで語ったことによって知らされることになる。
なでしこの帰国後はメディアから引っ張りだこで、つまらない質問ばかりが飛び交っていたが、知られざるエピソードを取り上げたり、あまり知られていない試合の激しさなどが話題となることはほとんどなかった。
どちらかというとバラエティ枠の「とんねるず」の番組でゲーム中の話題に触れられたりしたこともあったが、その程度に終わってしまった。
結局、見るべき価値があったのはNHKの特番だけだったようだ。
それにしても、宮間選手はくだらない(失礼)テレビに出ることなく自分のスタイルを貫かれたのは立派でした。
それが宮間選手だった。
この人はどこに行くんだろう、という疑問が晴れたのは数日後、アメリカ選手が現地のテレビで語ったことによって知らされることになる。
なでしこの帰国後はメディアから引っ張りだこで、つまらない質問ばかりが飛び交っていたが、知られざるエピソードを取り上げたり、あまり知られていない試合の激しさなどが話題となることはほとんどなかった。
どちらかというとバラエティ枠の「とんねるず」の番組でゲーム中の話題に触れられたりしたこともあったが、その程度に終わってしまった。
結局、見るべき価値があったのはNHKの特番だけだったようだ。
それにしても、宮間選手はくだらない(失礼)テレビに出ることなく自分のスタイルを貫かれたのは立派でした。
【一筆多論】別府育郎 一人違う景色を見る力
全員が同じ方向を向く組織は強い。一層の強さを求めるなら、誰か一人、違う景色を見ていると、さらにいい。「なでしこ」が米国に競り勝ったワールドカップ(W杯)の決勝戦を見て、そう思った。
いつも一人、周囲と違う行動をとる選手がいた。黄金の紙吹雪が舞う中、W杯を手にする沢穂希ら選手、スタッフ、協会幹部たちが記念写真に納まろうとしたとき、カメラの前をVサインをしたまま笑顔で横切る選手がいた。宮間あやだった。
延長戦を含めた120分を自らの1ゴール1アシストで引き分け、PK戦に向けて控え選手も含めた大きな円陣が組まれたとき、宮間はベンチで監督、コーチとともに、PKを蹴る順番を最終確認するホワイトボードを見つめていた。
PK戦では1番手でGKの逆をつく緩いシュートを決め、「女ヤット」の愛称もなるほどと思わせた。「ヤット」こと男子代表、遠藤保仁の「コロコロ」と呼ばれる人を食ったようなPKを、W杯決勝の舞台で決める度胸のよさ。
それだけではない。勝敗が決した瞬間、4人目のキッカー、熊谷紗希に向けて駆け出すチームメートに、背番号8は、くるりと背を向けた。宮間は歓喜の輪に加わらず、敗れた米国選手一人一人を抱擁していた。
2月、ドーハで行われたアジア杯準決勝。韓国をPK戦で下した歓喜の輪に、遠藤の姿はなかった。京都時代の同僚で、これが最後の代表100試合目を飾れなかった朴智星を慰めていたためだ。宮間も、米国のリーグで活躍した経験を持つ。
米国戦後半の同点弾も、不思議なゴールだった。角度を変えて繰り返されるビデオ映像に、スタンド最上段からのものがあった。右に開いた永里優季にパスが出たとき、宮間は左サイドのハーフライン近く、ゴールからは遠い位置にいた。
何かを感じたのだろう。ゴール前へ長い距離を宮間は一直線に駆けた。永里のクロスに丸山桂里奈がつぶれ、米国DFのクリアが味方同士で交錯し、トップスピードで割って入る宮間の前にボールは浮いた。
左足のアウトサイドでGKの逆をついてゴールを決めた宮間は駆け寄るレギュラー組を振り切り、控え選手の待つベンチへ駆けた。敗者を、控え選手を思いやる気持ちは、ピッチを広い視野で冷静に俯瞰(ふかん)する見事な司令塔ぶりにも通じた。試合後のインタビューでは、辛(つら)い時代を支えた代表OGの名を次々あげて感謝の言葉を継いだ。
帰国後、テレビ各局をハシゴするイレブンの中に、彼女の姿はなかった。出演要請をすべて断り、「早く温泉に入りたいから」と所属クラブのある岡山に帰ってしまったのだという。岡山では「ただのフィーバーに終わらせないように地道な努力を続けたい」と語った。
有名になった沢の、「苦しくなったら私の背中を見て」という言葉は、最初は宮間に向けて発せられたのだという。次代のリーダーを託す思いが込められた言葉でもあったのだろう。(論説委員)
2011.8.1 07:40 (MSN産経ニュース)
なでしこで、1人だけ見てるものが違う